番外 辛い思い出について

 唐突だが、小学校一年生の時に、N田に「被爆者!」と言われて傷ついた事を思い出した。言っておくと俺は被爆者ではない。

 いきなりN田に言われた訳ではない。確かプールの授業後か、体育の授業の後だ。俺が首から下げていたお守り(宗教のシンボル)を勝手に取ろうとしたため、N田に「やめろドロボー」とののしったら、「うるせえ被爆者」と言い返されたのであった。

 泥棒呼ばわりした俺もどうかしてると思うが、それはさておき強烈なカウンターだった。それと俺の大事なものを盗むのに躊躇しない子どものN田にも驚いた。

 と、起こった出来事を文章化してみると大したことはないが、五十才の今でも忘れられない辛い出来事なのだ。

 その当時、クラスの誰も助けてくれなかったし、親や教師に言いつけできなかった。右腕のやけど跡を被爆者呼ばわりされたのだから、抗議の一つだって期待していいのだが、俺はなぜ言いつけしなかったのだろうか?

 親に右腕がどうしてやけどしたのかを聞いたが、はっきりした答えを与えられなかったから、俺にとって右腕のやけどが被ばく跡だと断定できなかったから、なのだ。

 わかるか?この歪んだなりにも論理的な思考が。子どもながら、俺は自分自身の右腕にあるやけど跡について、考え、予測し、察してみようと努力していた訳だ。

 こうして辛い記憶だけが残った。

 右腕に関してはこの一件だけなのだが、なぜかろくな思い出がないと思い込んでいる俺がいる。いや、右腕のやけど跡に関してはこの「被爆者!」エピソード以外たいした思い出がないのだが。歪んでいるなあと思うのだ。

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