第5話 魔力

 酒飲み共が大人しくなるくらいには夜が更けた。

 

 所変わって宿屋【ひと時のやすらぎ】203号室。俺が運ばれた時からお世話になっている大変ありがたい部屋だ。ちなみに203というのは階段を上がって三つ目の部屋だからと俺が勝手に命名した。

 そんな203にてテーブルを挟んで向かい合う相手は先ほど酒場にて出会った美しい筋肉を持つ女性。

 「話がある」とのことで落ち着いた場所を探していたのだが、酒盛りが終わった今、静寂が音をなして聞こえてきそうなこの部屋が適任だと思い、ここを選んだ。もちろんロイドさんにはここを話の場に使うことの許可は得ている。


 「先ほどは仲間が失礼なことをした。申し訳ない」


 席に着くなり、筋肉美女は謝罪の言葉を口にした。

 俺の方から切り出すつもりだったのだが先に謝罪をされてしまった。

 出遅れるわけにはいかない。こちらも即謝罪だ。

 悪・即・謝。

 悪いことをしたらすぐさま謝る。コレ日本の常識ネ。

 

 「いえ、わたしの方こそ、その……ご迷惑をおかけしました」

 「ゴラルは昔からああいう男なものでな、悪気があってキミにかまっていたわけじゃないんだ。勘弁してやってほしい」

 「大丈夫です。あの人が悪い人ではないということくらいわかっています」


 だよな。悪人じゃないよな、多分。ちょっとおせっかいな親戚のおじさんみたいなもんだよな。

 

 「森で怪我をしていたキミを運んだのはあの男でな、キミのことが心配だったのだろう。おせっかいが過ぎたことはわたしの方から改めて謝罪させていただく」

 「あの人が……」


 そうか、やっぱりあの人はリリレナという人物の関係者――というか当事者みたいものか。俺の命を救ってくれた恩人の一人なわけだ。感謝こそすれど恨みなどすまい。

 そしてあのおっさんが団長と呼ぶこの人物は――


 「あたながリリレナさんですか?」

 「ああ。【金色の爪】のリーダをやらせてもらっている。リリレナ・フランクリンだ」

 

 俺をあの森から救ってくれたという人物。

 この人がいなければ、俺は今頃ここにはいなかったのだろう。

 

 俺は考えるよりも先に椅子から立ち上がり、腰から体を九十度に折り曲げた。


 「あなたたちがいなければ今頃わたしは化け物共の腹の中にいたんでしょうね。本当に――本当に、ありがとうございました」

 「礼なんてよしてくれ。たまたまわたしたちがゴブリンと闘った後のキミを見つけただけだ。言い方は悪くなるが、依頼のついでのようなものさ」

 

 ランプの加減だろうか。

 そっぽを向いてぶっきらぼうに言うリリレナさんの頬が、少しだけ赤く染まっているように見えた。


 見られていると自覚したのだろうか、リリレナさんは気を取り直すかのように咳払いをし、一変。

 その顔は真面目なものに変貌した。


 「しかしキミはあんな森の中で何をしていたんだ? モンスターの討伐を依頼されたわけでも薬草の採取に出かけていたわけでもあるまい。そもそも、キミの顔はこの町で見たことないのだが」

 

 何をしていた、か。

 まいったな。それは俺にもわからない。

 俺はただいつものように自室で筋トレに励んでいただけだった。それが気づいたらあの森に居て、化け物に襲われて、闘って、死にかけた。それ以上言いようがない。


 ここが夢の世界じゃないなんてことは理解している。

 そして。

 おそらくここは――


 「リリレナさん。日本、って知ってますか? ジャパン、地球、アース、これらの単語に聞き覚えは?」

 

 質問を質問で返すなと言われたことがある。

 だがこれは必要なことなんだ。

 今の自身の置かれた環境を把握するための必要事項。

 

 俺の言葉にリリレナさんは考え込むしぐさを見せる。

 

 「聞いたことがないな」

 「それじゃあ日本語は? 今あなたが喋っている言語は何なんですか?」

 「? おかしなことを言う。わたしもキミも大陸語を喋っているじゃないか。日本語? というのはどういう言語なんだ? 聞いたこともないが」

 

 話の通じない相手を見るような顔。


 なんとなく。

 わかってはいた。

 それが確信に変わっただけ。


 薄氷のような小さな希望が、俺の中で音を立てて砕け散った。




 ここは地球じゃない。

 どこか、俺の知らない別の世界なんだ。

 



 「大丈夫か?」

 「……ええ。すみません。少し錯乱していたみたいです」


 ここが別の世界――異世界だとして。

 俺はこれから何をすればいいんだ。

 なぜ俺は異世界にやってきた。

 いや、そんなことはどうでもいい。



 俺は元の世界に戻れるのか?  


 

 「実は記憶があやふやで。自分の名前と年齢。それと先ほど言った単語。それしか憶えていないんです」


 俺は嘘をつくことにした。

 どうせあんなことを言ったところで誰も信じてくれるわけがない。それどころか変人扱いされ、もしかしたら今受けている好意全てを敵意として向けられる可能性だってある。ここが異世界なら、どんな言葉が俺を窮地に追いやるのかわからない。できるだけ、俺は無害な存在なのだとアピールをしよう。


 しかし。

 今の話にだって突っ込みどころはある。というより突っ込みどころしかない。

 

 何で森にいたのか。

 その奇妙な服はどうしたのか。

 本当に記憶を失っているのか。


 問い詰めようとすればいくらでも問い詰められる。

 穴なんていくらでもある。


 だが。

 

 「そうか……それは辛かったな」


 目の前の女性はそれだけ言うと、それ以上会話を続けようとはしなかった。


 俺が嘘を言っているとは思わないのだろうか。

 異世界云々の話も嘘くさいが、今話した記憶喪失だってうさんくさいことこの上ない話だというのに。

 

 「信じてもらえるんですか?」

 「……キミの全てを信じたわけじゃない。だが、キミが困っているということはわたしにもわかる。困っている人がいるならできるだけ手を差し伸べてやりたい。それだけのことだ」

 

 底抜けのお人よし。

 だが、今の俺にはリリレナさんのその態度が何よりも心地よかった。

 

 「なに。これでも人を見る目には長けているつもりでね。それに、もしキミが仮に悪人だったとしたら、その時は容赦の無い対応を取るつもりだ」

 「はは……気を付けます」

 

 この人の思いを裏切らないようにしよう。

 そう思えるような人物だ。


 「しかしそれでも一つ気になることがあるんだが、質問してもいいか?」

 「わたしに答えられる内容でしたら是非に」

 「キミがどうやってあのゴブリン共を倒しおおせたのか。わたしにはそれが気になってな。奴らは個としての能力はそれほど高くはない。だが、戦闘経験の無い素人がゴブリン二体を相手取るとなると話は変わってくる。キミは記憶が無いと話していたが、何か戦闘に関する知識を有してはいるのではないか?」

 

 ゴブリン。

 俺を殺そうと近づいてきた緑色の醜い化け物。

 闘って、死にかけ、なんとか生還した。

 今思い返すだけでも恐ろしい。


 だが、確かに俺もわからないことがある。


 「いえ、わたしにそう言った記憶はありません。ただ、ゴブリンと闘っている時、何か不思議な力は感じました。あいつらの攻撃がなぜかゆっくり見えたり、人間とは思えない力が出たり。それに、ものすごい力で頭を攻撃されたにも関わらず、命を落とすことなくわたしはここにいます」


 そう、あの時の俺の力は不自然なものだった。

 動体視力、機動力、耐久力、パワー。

 全ての能力が人間の水準を大きく凌駕していたように思える。

 少なくともまったくの戦闘の素人である俺が出せるようなものではなかったはずだ。


 「……ふむ。それはもしかしたら無意識的に魔力を行使していたのかもしれないな」

 「魔力、ですか?」

 「ああ。人体の中に存在するエネルギーみたいなものだ。大なり小なりあれど、基本どんな人間にも魔力は備わっている」

 「魔力というのは何ができるんですか?」

 「難しい質問だな。だが、そうだな。水や火、風を生んだり、大地を操ったり。生んだ水を凍らせたりもできる。教会に行けば怪我の治癒や毒素を抜くということもできるにはできるが、それには特別な洗礼を受ける必要があるな」

 「なんでもできるんですね、魔力ってやつは」

 「これでもざっと思いついたものを並べただけだがな」


 魔力、か。

 増々ここが地球とは別の世界なのだと思い知らされる。


 「しかし、通常の人間が持つ魔力で生み出す水はせいぜいコップ半分が関の山。火だって焚火を起こす火種にもならなかったりする。当然、他の力を行使するにもそれなりの魔力量が必要になってくる。だからほとんどの人類にとって、魔力というのはあまり重要なものではない。だが、キミの話を聞く限り、キミは自身の魔力を身体強化に使ったのではないかとわたしは思う」

 「身体強化?」

 「ああ。体内に眠る魔力を全身に走り巡らせ、自身の肉体的能力を向上させることができる。もちろんこれにも相応の魔力が必要なのだが、キミの中にはもしかしたら多量の魔力が眠っているのかもしれないな」


 どうだろう。

 俺はこことは違う世界の住人だし、現世でそんな力を感じたことは生まれてから一度もない。リリレナさんの言うような魔力という力が眠っているとは到底思えないが。

 

 「長々と話して悪かったな。今日はもう遅いからこれくらいでお開きにしようか」

 「はい。わたしの方こそ色々と質問させていただいて感謝しています」

 「……その仰々しい喋り方はやめてほしいな」

 「え?」

 「もっと砕けた感じで話してほしいと言っているんだ。大層な人間ではないからな、わたしは」

 「ですが……」


 命の恩人に対してあまり無礼な言葉で話したくはないんだが――まあ、本人がそう言ってるしな。


 「善処します」

 「ああ。よろしく頼むよ。……そうだ、もしよかったら明日の昼、下の酒場で落ち合わないか?」

 「それは構いませんが――」

  

 と、リリレナさんの目が鋭い。


 「それは大丈夫だけど、どうして?」

 「なに。キミの魔力をうちのパーティーメンバーに量ってもらおうと思ってな。魔力を大量に持っているのだとしたら、キミの出自に関するヒントになるかもしれない」


 話していて思ったが、この人はもっと恩着せがましく人にものを言った方がいいと思う。 


 「ありがとう、リリレナさん」

 「……さて、わたしはそろそろ休むとしよう」


 言って、リリレナさんは203から足早に退場した。

 その頬に薄いランプを灯しながら。

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