第4話 美しい筋肉だ

 夜。


 結局俺はあの後眠ってしまったらしい。

 そんな俺を現実の世界に引き戻したのは大きな喧噪だった。


 下の階から聞こえてくるであろうそれは、まあうるさいものだった。

 扉を隔てた部屋にいて、さらに耳をふさいでも漏れ出た音が脳内に響く。


 あまりのうるささに二度寝もままならない。

 宿屋なんだよな、ここ。大丈夫か?


 なんて、いらぬ心配をする俺であったが、この音の正体が気にならないわけでもない。


 どうしよう。

 下に行くべきなんだろうか。

 しかし今はあまり騒ぎを起こすべきではないと思うが……。



 「あー! お兄ちゃん起きたんだ!」



 階段の前でうんうんと唸っている俺の耳に入る聞き覚えのある活発的な声。

 階段の向こうからやってくるのは元気いっぱいのおかっぱガール。

 キーラちゃんだ。


 天真爛漫という言葉が似合いすぎる太陽のような朗らか少女が再び俺の前に現れた。


 「ねー! ねー! もう大丈夫? 起きて平気? 下いく?」


 いろいろと質問したいお年頃なのだろうか。

 ロイドさんが見ていたらまた怒られそうなくらいはしゃいでいる。

 しかしまあ可愛いもんだ。

 俺に兄弟や姉妹はいないが、妹がいたらこんな感じなのかな?

 まあ妹といっても少々年が離れすぎている気はするが。


 「下で何かやってるのかい?」

 「下は酒場だよ! 色んな人が飲んだり食べたりしてるの!」


 なるほど。

 宿屋の側面というわけだ。

 しかしこれだけ騒ぎが大きいとなると、よほど繁盛しているらしい。

 そういえば唯一の宿屋とか言ってたな。他に集まる場所が無いんだろうか。


 「ね! いこー! いこーよー!」


 グイグイと俺の手を引っ張るキーラちゃん。

 行く? から行こうにいつの間にか変わっている。


 「わかったわかった。わかったから引っ張らないでね」

 「うん!」


 俺の言葉が聞こえているのか聞こえていないのか。キーラちゃんに引っ張られながら俺は階段を下りる。うーん、こんな所を見られたらまたロイドさんに叱られてしまう気がするけど……まあいいか。振りほどく必要はないだろう。


 俺はキーラちゃんに誘われるままに階段を下りた。

 すると。



 「ね! すごいでしょ!」

 「……これは」



 そこに広がっていたのはまさにザ・酒場というにふさわしい景色だった。

 飲み屋ではなく、酒場。


 雑多に置かれた木製の丸テーブルの上はどこもかしこも所せましと料理や酒が並べれられている。

 そのテーブルを囲うように様々な恰好をした大人たちが飲めや食えやの大騒ぎ。

 未成年だから居酒屋なんかに行ったことは無いが(そもそも引きこもりというのは置いておいて)、おそらくそれなんかとは比べ物にならないようなどんちゃん騒ぎが目の前で行われている。何かの祭りでもやっているのだろうか。


 「おや、ケンジさん?」


 料理を運びながら声をかけてきたのはこれまた聞き覚えのある声だった。


 「すごい盛況ですね。今夜はお祭りでもあるんですか?」

 「いえ。これがいつもの光景ですよ」


 ロイドさんは額に汗を垂らしながら笑いかけてくる。


 「おー、あんちゃん。目ぇ覚ましたのか」


 今度は聞き覚えの無い声だ。

 しゃがれたオヤジのハスキーボイス。

 何だろうと声のした方へ振り返ってみると、そこには右頬に大きな傷を負ったいかにも冒険者然とした恰好のおっさんが酒をくらっていた。


 「まーとりあえず飲めや!」


 言っておっさんは琥珀色の液体が並々注がれたジョッキを俺に差し出してきた。


 「ゴラルさん、彼は大怪我を負って先ほど目を覚ましたばかりですよ? 三日間も眠っていたのにいきなりお酒なんて飲んだら胃袋が驚いてしまいます」

 「怪我だぁ? んなもん酒飲んで眠りゃああっという間に元通りよ」

 「ダメです。オーナーのわたしが認めません」

 「ッチェ。なんだい。酒の一杯や二杯くらい」


 ブツブツとゴラルと呼ばれたおっさんがつぶやく。


 ……って、三日?

 俺、そんなに長い間気を失ってたのか?


 「まあとりあえず座れや、あんちゃん」


 言うや否や。

 おっさんの隣の席へと無理やりに座らされてしまった。

 力つえーな。


 「ゴラルさん……」

 「だーいじょうぶだって。酒はのませねえよ。……ちょっとしか」

 「……はぁ」


 お気をつけて、という視線を俺に送り、ロイドさんは別のテーブルへと消えていった。


 「まあほら、とりあえず乾杯だ。乾杯」


 おっさんはそう言って先ほど俺に渡そうとしてロイドさんに咎められたジョッキを押し付けてくる。

 酒……だよな、これ。


 「あの、俺十九なんでお酒はちょっと……」

 「ああ? 何言ってんだ。十九なら酒なんて飲み放題じゃねえか」


 ……ああ、場所によって飲酒できる年齢なんて変わるよな、そりゃあ。

 断った方がいいんだろうか。

 しかし話から察するにこの人は俺を助けてくれたリリレナという人の知り合いか? だったらそれを無碍に断るのもなんだか悪い気がするな。


 「ほれ、グイっといけ。グイっと」

 「……はぁ」


 流されるまま、俺はおっさんからジョッキを受け取った。

 生まれて初めてのお酒。興味がなかったかと言えば多少の嘘になる。

 いくらかの逡巡の末、俺は手に持ったジョッキを口元で傾けた。


 ジョッキの液体が俺の胃袋へと流し込まれる。

 麦? ホップ? よくわからないが感じたことのない素材の味が脳みそを介して俺に伝わる。


 これは。

 これは――



 「ッ――! にがぁ……」

 「はーっはっは! そうかそうか。酒の味はまだわかんねえか!」



 おっさんがバンバンと俺の背中を叩く。


 「うぇ……」

 「だーっはっは! すぐ慣れるさ! ほれ、飯食え。飯!」


 ダン! と料理がこんもり盛られた皿を目の前に出される。

 卵? オムライスみたいだな、これ。ケチャップの代わりに良くわからない茶色のソースがかかってるけど。


 「さあ食え食え」


 親戚のおっさんのごとく飯を食わそうとしてくるおっさんだ。おっさんという生き物は総じてそういうものなのかもしれない。


 「ゴラル、その辺にしておかないか」


 凛とした声。

 騒がしいはずの店内でさほど大きくもないその声はなぜかはっきりと聞き取れた。

 これも聞き覚えは無い。


 「おー団長。団長もほれ、こっちで食えよ」

 「わたしはいらない。もう済ましてきた」


 団長と呼ばれた女性がこちらに近づき――俺の隣に腰を下ろす。

 視界に入る。


 綺麗だとか。

 背が高いだとか。

 生傷が多いなーだとか。

 腰まで伸びる髪の毛が銀色だとか。

 様々な感想が出てくるが――


 一目見て思った。



 「……美しい」

 筋肉だ。



 俺のように筋トレでつけたような所謂見せ筋ではない。アスリートがスポーツをする上で自然についたようなそんな筋肉。

 だが決して細くない。

 現代の男性諸君よりかは圧倒的に大きなその体。

 見るだけでこの人物がどれだけの努力をしてきたか想像に易い。


 薄い生地の上から主張する大腿四頭筋(太ももの前側)。

 はちきれんばかりの上腕二頭筋(力こぶ) 。

 美しい盛り上がりを見せる僧帽筋上部(首に近い肩の筋肉)。


 見れば見るほどにその体に魅了されてしまう。


 「……あの」


 っと、いけない。

 いつまでも女性の体を凝視するなんて失礼だ。というか犯罪になりかねん。

 少々――否、かなり名残惜しいが彼女の体から視線を外さなければ。

 それでも最後の抵抗とばかりに横目でチラリとしている腹直筋(お腹)を覗いていると――



 「おいおいおい! あんちゃん。今なんつった? 聞き間違いじゃなきゃあ、団長を見て美しいって言ったように聞こえたが!?」





 おっさんのアホみたいにデカイ声が店内に響き渡ると、今の今まで騒がしかった店内が一瞬にして静まり返った。


 おいおいおっさん、いつ俺がそんなことを口走ったよ。

 そりゃあ確かに見惚れるような美しい筋肉だけどさ――あれ、もしかして口に出てたか?



 …………。



 えーっと……なんでこんなに静かなのかな?

 さっきまですごい盛り上がってたじゃないですか。

 ねえ、ロイドさん?


 「…………」


 ロイドさーん、お皿が傾いて料理がこぼれそうですよ?

 ねえ、キーラちゃん?


 「おいしー!」


 ああ、美味しいか。

 それは良かった。 



 「団長が告白されたぞおおおおおおおおおおおおおおお!」

 「ちげえわばーーーーーーーーーーーーーーーーか!!!」



 外野も盛り上がるんじゃねえ! 

 そりゃあ確かに美しいとは言ったかもしれねえ。てか多分言った。

 けどだからって告白したことにはなんねえだろうが!

 ね、団長さん!


 「……その、すまない」


 ふられたああああ!

 告白もしてないのにふられた……!


 「まーまー、あんちゃん。団長に手を出そうって男なんかこの町にはいねえからよ。ゆっくりいこうや、ゆっくりと」


 ……このクソオヤジ。

 誰のせいでこんなことになったと思ってんだよ。


 先ほどまでの喧噪を超える勢いで酒場が勢いを取り戻す。

 良かったですねロイドさん。大盛況ですよ。大盛況。


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