第3話 死闘の末に
静かだ。
何も聞こえない。
何も見えない。
真っ暗な空間。
壁が無い。
床が無い。
どこまでも落ちていく。
どこまでも。
どこまでも。
「――」
なんだろう。
何か聞こえた気がした。
何も聞こえないこの空間で誰かの声が。
☆
「――ッ」
目を覚ますと目の前に広がるのは見知らぬ天井だった。壁紙なんて貼っていないむき出しの木材が良い味を出している。古民家というやつだろうか。俺の記憶の中ではこんな古風な天井は見覚えが無い。
…………。
俺は、生きているのか?
化け物共に襲われて、頭をかち割られて、どうにかして化け物共を倒した――いや、殺した。
殺したんだ。
俺が。
あの時の嫌な感触が今でもしっかりと右手に残っている。
……あの異常な力は何だったんだろう。
化け物の腹に穴をあけた。
化け物の頭を踏み砕いた。
あれじゃあどっちが化け物なのか――
「………………」
「………………」
薄茶色で覆われていた俺の視界が突如として肌色で埋め尽くされる。
ヌッと少女が俺の前に現れた。
子供特有のクリクリした水色のパッチリお目々。
おかっぱパッツンで切りそろえられた綺麗なブロンドヘアー。
聞かなくてもわかる。
この子は日本人じゃあない。
小さな顔が無言で俺のことを見つめる。
日本人が珍しいのだろうか。
しばらくして。
「お父さーん! 目ぇ覚ましたよー!」
ドタバタとやかましい音を立てながら少女は部屋から出て行った。
「……なんなんだ?」
まったく状況が呑み込めない。
今日はそんなことばっかりだ。
「……しかし」
日本語上手かったな。
両親が親日家で日本語を叩き込んだとか?
それにしても流暢過ぎたとは思うが。
「ほら、お父さん! ほら!」
「こらこらあまり引っ張るんじゃありません」
先ほどの少女の声ともう一つ。
ダンディな男の人の声がドタドタという足音と共に近づいてくる。
バタン!
と少女が半開きにさせたドアが勢い良く開く。
「ね! 目ぇ覚ましたの!」
「わかったわかった。だからあまりはしゃぐんじゃないぞ。大きな声は病人に毒なんだから」
男性の言葉に少女はハッとした表情になり口を両手で抑える。
男性が少女から俺へと向き直る。
「お体は大丈夫ですか?」
「え? あ、はい」
言われて俺は右肩をグルングルン。
左肩もグルングルン。
ついでにぶん殴られた頭もグルングル――
「ってぇ……」
それは少し調子に乗りすぎた。
しかし先ほどまでのような死の危機を感じるような痛みは無い。
「多分、大丈夫です」
「それは良かった」
端正な顔立ちの男性の笑顔に、不覚にも一瞬ドキっとしてしまう俺。
違うぞ。
俺はノーマルだ。
誰に言うでもなく自分に言い聞かせる。
そんな俺の態度に訝しい表情を浮かべる男性。
あ、まずい。
「えーっと……あなたがわたしを助けてくださったんですか?」
俺は何とか意識を逸らそうと言葉を紡ぐと、男性の表情は優しいものに変化した。
危ない危ない。あらぬ疑いをかけられるところだった。
「いえ、わたしではなくリリレナさんがここまであなたを運んだんですよ」
「リリレナさん?」
「はい。この町唯一の冒険者パーティ【金色の爪】のリーダー。リリレナ・フランクリンさんです」
男性はいたって真面目そうな顔でそう言った。
金色の爪?
冒険者?
何をふざけたことを。
と、茶化そうにもそれを言っている目の前のダンディな男性の顔からは、少しもおふざけや、俺を騙してやろうという感情を読み取れない。
マジだ。
この人はマジで言っている。
「えっと……」
何を聞くべきだ?
森のことか?
化け物のことか?
それとも俺を助けてくれたというリリレナ・フランクリンという人のことか?
というか何であなたたちはそんなに日本語が堪能なんですか?
わからん。わからないことが多すぎる。
そんな俺の困惑をよそに男性は話を続ける。
「いやあしかし複数のゴブリンに襲われて生還するなんて、あなたも冒険者の方ですか? 見たところ随分軽装に見えますが――」
ゴブリン。
はっきりと。
男性は言った。
ゴブリン。あの緑色の化け物のことを指しているであろうことは馬鹿にもわかる。
言われてみれば確かにそんな呼び名がふさわしい見た目をしていた。
冒険者。
金色の爪。
ゴブリン。
それらの単語がぐるぐると俺の頭を駆け回り――
そしてやがて一つの答えを出す。
……いや待てありえない。
だったらこれが夢の中の世界だっていう方がまだ現実的だ。
これが。
この世界が現実だと認めてしまったら俺は――
「――と、大丈夫ですか? やはりまだ体調がすぐれませんか?」
「……いえ……大丈夫です。それより、あなたのお名前は?」
「これは失礼しました。わたしはロイド・カッセル。この宿屋【ひと時のやすらぎ】のオーナーをしております」
また一つ。
嫌な単語が脳裏に刻まれた。
「【ひと時のやすらぎ】……。ありがとうございますロイドさん。わたしの名前は春夏冬拳次――いや、ケンジ・アキナシです」
「ケンジさんですか。いえ、わたしは何もしておりません。お礼をするならどうかリリレナさんに」
ロイドさんの言葉に俺は頷いた。
リリレナという人物がいなければ俺はあの森で確実に死んでいただろう。
緑の化け物――ゴブリンに襲われて。
ぞっとしない。
そうだ。
俺は死んでいたかもしれないんだ。
あの森で。
今になって体の震えが止まらなくなる。
抑えようと意識をすればするほど余計にその震えは大きくなる。
「わたしはキーラ・カッセル!」
いきなり。
何の脈絡もなく、今まで黙っていた少女が声を荒げた。
「ねえねえお兄ちゃん! お兄ちゃんはどこの人なの? 何歳? 何をしてるの? なんで森の中にいたの? キーラに教えて!」
黙って話をきくことに疲れてしまったのだろうか。
我慢していたものが噴出したという感じだ。
そんな少女の言葉にロイドさんは首をカタカタと傾ける。
「キーラ……黙っていなさいと言っただろう? あんまり聞き分けが悪い子はー……」
「あ! キーラ用事を思い出しちゃった! いてきます!」
ロイドさんの妙な圧に押されたキーラちゃんはピューンという効果音が聞こえてきそうな勢いでこの部屋から出て行った。
呆気にとられる俺とロイドさん。
いつの間にか体の震えは止まっていた。
「元気な娘さんですね」
「元気過ぎて困っております。まったく、誰に似たんだか……」
やわらかい笑顔だ。
きっとこの人はいい父親なんだろう。
――俺の父さんと同じく。
「ッ――」
「! どこか痛みますか?」
「……いえ。大丈夫です。ただ……すみません」
「…………」
それ以上は何も言葉が出てこなかった。
だが、ロイドさんは何かを察してくれたのだろう。
俺が何ともいう前にこの部屋から出て行った。
ポツンとベッドに残された俺が一人。
広すぎず狭すぎず。
安心感という面で考えれば最適な広さの部屋。
「……夢なら醒めてくれよ」
くぐもった声がむなしく響いた。
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午後六時半頃に四話目投稿予定です。
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