第110話 死んでませんから

「いやいや、死んでないから。

 勝手に殺さないでくれよな」


アキヒサは苦笑しつつ、レイを宥める。


「ほら、僕は大丈夫だから」


「わぁぁあん!」


アキヒサが抱きしめると、レイはいっそう激しく泣く。

 治った両手もつかって、まるでセミのごとくしがみついている。


「うぇ、えげっ……」


しかも泣き過ぎてちょっとえづいた。


 ――そうか、壁にめり込んだ僕が死んじゃったかと思ったのか。


 なんだかんだでアキヒサはこれまで怪我をしたことがないので、初めて見た怪我をしたアキヒサが怖かったのだろう。

 実のところアキヒサが生きているのも間一髪であったことは、言わない方がいいと黙っておく。


「キュゥ? キャオォーン!」


レイの泣き声で、一匹だけ湖の外に取り残されていたシロが気絶から目を覚ましたのだが、そちらも釣られたように鳴き出す。

 レイとシロの泣き声がこだまするカオスな空間になっているが、実はアキヒサたちがいるココはまだドラゴンの背中の上だったりするわけで。


「なんじゃ、なんじゃあ?

 なにがどうなっとる?

 鬼神が泣くだとぉ?」


湖の氷で固められたドラゴンが、首だけをグリンと回して顔だけこちらを向く。


 ――あ、この仕草ってトカゲっぽい。


ドラゴンとはやはりトカゲなのか、とアキヒサは妙に感心してしまう。

 いや、そうではなくて、今がこのドラゴンと話し合うチャンスだ。


「あの、あなたもお話を聞いていただけるなら、氷を溶かしますけど?」


アキヒサの申し出に、ドラゴンが「フン!」と鼻を鳴らし、生臭い息がアキヒサたちに吹きかかる。


「この程度の氷、どうどでもできる。

 鬼神がムキになってかかってくるから……」


ドラゴンがなにやらグチグチ言っている。

 そのドラゴンの態度が気に食わなかったのか。


「いじめたの、わるいの!」


レイがアキヒサにしがみついたまま、足でゲシゲシとドラゴンを蹴っている。

 その攻撃で鱗にちょっとヒビが入った。


 ――これ、本気の蹴りだよ。


 しかもレイは手と違って足には靴を履いていて、そちらは怪我をしている様子はない。

 靴は最初にコンピューターに貰ったもので、レイの蹴りの威力に耐えられるのだから、恐らくは普通の靴よりも丈夫なのだろう。


「あ、これ! やめぬか!」


蹴られて嫌がるドラゴンを、レイがキッと睨む。


「ごめんなさいする!」


レイの叫びに、ドラゴンがきょとんとする。


「は?」


「わるいこと、ごめんなさい!」


ドラゴンとレイがしばし見つめ合う。

 つまりレイは、アキヒサを尻尾で叩いて怪我をさせてしまったのは悪いことで、そのことを謝れと、そう言いたいらしい。

 アキヒサには理解できたのだが、この理屈がドラゴンに通じるかは別である。


「なにを言っとるんじゃ? 鬼神は」


「ごーめーんーなーさーいー!」


不思議そうにするドラゴンを、レイは地団太を踏むように蹴りつける。


 ――あ、とうとう鱗を踏み割った。


 さすがに痛かったのか、ドラゴンが「痛いじゃろうが!」と悲鳴のように叫ぶ。

 けどこのドラゴンは、そうまでされても何故かアキヒサたちを振り落とさない。

 もしかして、本来は穏便な性格のドラゴンなのだろうか?

 思えば最初のドラゴンはレイしか見えておらず、アキヒサの事を背景くらいの認識しか持っていなかったのだろう。

 だから尻尾でアキヒサに怪我をさせたという事を覚えている以前に、見えていなかった可能性がある。

 アキヒサ自身としては痛い思いをしたし、文句の一つだって言いたい気持ちはあるが、この絶対強者なドラゴンに楯突いたならばせっかく手に入れた第二の人生が物理で終わってしまう。

 ここは大人になって不満を飲み込むのが吉だろう。

 このままだと話が進まないというのは、ドラゴンにも分かったらしい。


「あー、ゴメンナサイ、これでいいのか?」


年長者として譲ったらしいドラゴンの棒読みな謝罪に、レイは一応満足したようで。

 「フン!」と可愛らしく鼻を鳴らして、蹴るのを止めた。

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