10章 処刑
隠れ家には、ときおり平民たちがやってきた。
彼らから、普段どのような暮らしをしているのか聞くことができた。私はローゼリアのことも平民だと思っていたが、ローゼリアは恵まれたほうだった。確かにそうだ。彼女の家は成り上がりとはいえ、余裕があった。
それすら無い人々は、ローゼリアが国政を放棄し、騎士団がぐちゃぐちゃになり、ミハエルやオリガ様までもが追い出されたことでいっそう困窮していた。騎士団の監視の目がなくなったことで犯罪が横行し、商品の横流しや不当な値段のつり上げが行われるようになった。政情不安から貴族の買い占めが発生し、末端まで行き届かない。このままでは本当に暴動が起きそうだった。下手に平民たちから突き上げを喰らうよりは、王の死を隠し続ける王妃を引きずり下ろす――という名目で、オリガ様が中心になった方がいいのだろう。
いよいよ決行の日が決まると、その日は朝から忙しなかった。
決行の時間が来るまで、私達は待機していた。
警備が手薄になる時を見計らい、オリガ様は二つの別働隊とともに突入した。私はオリガ様の隊につき、できるだけ戦闘を避けて突破していった。
これで失敗すれば目も当てられない。学生時代を思い出すようだったが、あのときとはまったく違う。これは革命だ。王妃を引きずり下ろすための……。この気持ちをどう書き表したらいいのだろう。すべて終わったら、ネイトに物の書き方を習おうと思ったのは覚えているが、実際にこうして文字にしても結局文字にできないでいる。
城の右翼側と左翼側でほとんど同時に突入が始まり、私達もオリガ様の合図で中に入り込んだ。私たちは城の裏側から入った。スパイを兼ねてくれたコックが仲介となって、扉を開けてくれた。目指すは王妃のいる西の塔だった。だが、西の塔は思ったよりも狭く、上に続く階段は薄暗い石造りになっていて、同じ城の中とは思えない。実際ここは隔離塔といってもいい。普段はあまり使われることはない。まだ捕まってすらいないのに、こんなところにいるのか。
「ローゼリアはミハエルや僕を追い出し、国政を完全に放棄したあとは隠されたという噂もあったんだが、まさか、こんな……」
誰も姿を見ていないという話だったが、こんなことがあり得るのか。かつての聖女が……。私にはまだ書ける勇気が無い。とにかく階段を上がりきったところに、扉はあった。
「よろしいですか」
オリガ様がどういうわけか私に尋ねた。
頷こうとしたが、少し考えて私が開けていいか尋ねた。オリガ様は思うところがあったのか、私に譲ってくれた。
ノックも無しに入るのはどうかと思ったが、私は勢いよくドアを開けた。
その途端、冷たい空気と一緒に、強烈な香水のにおいと、それに混じってつんと鼻をつく悪臭が漂ってきた。
「ろ、ローズ……あなた……」
ローズは見るも無惨な姿になり果てていた。
正直、ここに書くのにも耐えられない。鼻をつくような悪臭の中に、彼女はいた。部屋の中はメイドがついているというのにあちこちぼろぼろで、何をどうすればこうなるのかわからない。ドレスは汚れきっていて、その体が見えている。露出した肌も、当時よりも肉がついたとか、そういう次元の話ではなかった。毒を摂取し続けたことによる肌の異常は、ひとつふたつではなかった。
「……あれっ、ミザリィ?」
かすれた声が
「あれ、でもなんでいるんだっけ……こんなイベント……、……今の彼女はまだ悪役令嬢として……ミザリィがいる……ここって学院……?」
ぶつぶつと呟き続ける彼女の言葉は、おそらく他の方にはわからなかっただろう。
でも私は気付いた。
彼女の心はきっと、一番楽しかった頃に戻っていたのだ。
周囲からの重圧も、そして自分の内側からの重圧も、悲しみも無い、一番楽しかった頃……。
そう。そうね。
私はアンタにとっては、アンタをいじめる悪役なのよね。だから、悪役らしく徹することにするわ。
「まあまあ。このような場所でも眠っていられるなど、やはり庶民というのはわかりませんわね」
後ろでオリガ様がびっくりしておられたけれど、構うものか。
「まったく。ぼやっとしてないで、水でもかぶっていらっしゃい。――さっさと支度をしなさい」
そう言うと、ローズはまたあの笑顔になった。
顔は変わってしまったが、私にはわかる。
「この人が本当にあのローゼリア……?」
「ええ。本物です」
たとえどんなに姿が変わっても、確信はあった。
与えられた「シナリオ」を頼りにしてきた彼女。
「連れて行ってあげてください。椅子車に乗せて、ドレスはできるだけ派手すぎないものを上から被せて。顔にはヴェールを。せめて、彼女に慈悲があるように」
椅子車は、ローズが作らせたものだ。両足を失ったり、すぐには動けない兵士の為に提言した。こんなところで役に立つとは思わなかっただろう。彼女が作るように命じたものはいくつかある。「医療」という言葉を作り、医者達の底上げをはかったのも彼女だ。怪我だけではなく、病に対する措置。そのなかで彼女は、「心の病」という言い方も一度していた気がする。……彼女はたったいま身をもって、心の病とは何なのかを知らしめた。いまは平民たちも彼女に怒りを向けているが、彼女も彼らの事を考えていたのだと理解させねばならない。いまは無理でも、きっといつかは。
支度はすぐに終わった。王妃に恐怖によって支配されていた人々は、容易に城を明け渡したからだ。
彼女が連れていかれたのはバルコニーだ。
下からはわあわあと声が聞こえている。あのときと同じだ。ヴァージル様とローズがこの国の王と王妃になられた時と。でもいまは違う。誰もがローズに責任をとらせようとしている。忌々しい。だけれど彼女はそこまで敵視されてしまった。だがわずかに、その姿への困惑が見られた気がする。あまりに姿が変わってしまったから。
オリガ様が、宣言をされた。
「闇に堕ちた怪物に、鉄槌を!」
下からの声が大きくなった。
ヴェールの中で、彼女は笑っていた気がする。
動かない手を懸命に振ろうとしていた。
ああ。
彼女はいま、幸せの中にいるのか。
それなら――。
私はオリガ様に合図をした。
オリガ様はひとつ頷くと、ローズの首に手をかけた。少しだけ頭を垂れさせるような格好だった。きっとこの光景を、私は永遠に忘れない。
剣が振るわれ、彼女の首がごとりと落ちた。
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