7章 ローゼリアの秘密(1)

 いつだったか、ミハエルがこっそりと我が邸宅を訪れた。

 フードをかぶって顔を隠した彼に、うっかり下の娘が鉢合わせしてしまい、少しだけ騒ぎになりかけた。相手がわからず怪しい人物だと思ったらしい。対応として正解ではあるが、このときばかりは不運だったというしかない。


 ネイトはミハエルに文句を言いかけたが、フードをとった顔を見てそれを止めた。あのネイトでさえ口ごもるほど、ミハエルは疲れ切った顔をしていた。目元には隈があり、すっかり憔悴しきっていた。昨日から何も口にしていないというので、紅茶の代わりに水を出し、クッキーの代わりに粥を出した。

 彼はもはや誰かに話を聞いてもらわねばならぬほど、追い詰められていた。

 悩みの中心は、やはり世継ぎのことだった。


 側室が二人、ヴァージル様についたのだという。


 名前を聞いたが、どちらも良家の女だった。ローザリアがもともと貴族でなかったことを考えても申し分ない。彼女たちは一応、形として迎え入れられた。実際には専用の屋敷に住まわされただけだった。ローザリアが嫌がったのもあるし、ヴァージル様もローゼリアに気を遣って、せいぜい一、二度、話をする程度だったという。

 しかし国民が望んでいるのは、やはり聖女の子だった。


 ミハエルは疲れ切った目で言った。


「一度……、一度、ミザリィ様にローゼリア様と会っていただきたいのです」

「私が?」

「あなたとであれば、ローゼリア様は心を開くかもしれない……」

「なぜ? 国王陛下は何をしていらっしゃるのです」

「ローゼリア様も、ヴァージル様との子を望んでいらっしゃる。しかし、それゆえに追い詰められているようなのです」

「私には、あなたのほうがよっぽど追い詰められて見えますわ」


 ミハエルは苦笑した。

 そして、下腹のあたりを手で切る仕草をした。


「実は、ローゼリア様が……そのう、ご自分で、ナイフを刺したのです」

「えっ」


 さすがに「えっ」と言うしかない。

 私もネイトも驚いてしまった。


「それは……ローゼリアが、自分で自分の腹を切ったということ?」

「はい」


 一瞬、自分で死を選んだのかと思った。

 だが、よくよく詳しく聞くと――詳しくも何もそのままだったのだが――こういうことだった。

 ミハエルとヴァージル様が、今後について話し合っているときだった。突然廊下からメイドたちの悲鳴が聞こえ、ヴァージル様を呼ぶ声がしたのだという。ただならぬものを感じた二人は廊下に飛び出た。悲鳴の出所はローゼリアの部屋だった。

 慌てるメイド達をかき分けて部屋に入ると、今度はヴァージル様の悲鳴があがった。


「ローズっ、なにをしているんだっ!」


 ミハエルが続いて部屋に入ると、そこには下腹部を真っ赤に染めたローゼリアがいたのだという。


「痛いよう、痛いよう」


 そんなことを言いながら泣いていた。

 その手には短剣が握られていて、その刃先には血がついていた。


「だ、誰がこんなことを? いったいどうしたというのだ?」

「だって、だって」


 泣きじゃくる彼女は話にならなかった。とにかく医者と回復術の使える者を呼びにいき、王宮はかなりの騒動になった。だがこうしてミハエルが口を割るまで静かに思えていたのは、やはりヴァージル様が口止めしたのが大きかったのだろう。話は王の周辺のみにとどめられ、現場を目撃したメイド達には口封じに金貨を握らせて暇を与えたのだという。それがたった数時間の間で行われた。

 そして当のローゼリアだが、なんとか落ち着いて話を聞けた頃には、翌日になっていた。


「私の体に原因があるなら、回復魔法をかければいいと思ったの……」


 ミハエルにはその発想が理解できなかったらしい。

 ただローゼリアが言うには、子を宿すための臓器に異常があるのではないか、という事を言っていたらしい。もしそうなら一度傷つけてから回復魔法をかければ、元の正常な形に戻るのではないか、と思ってのだという。

 だがもしそうであったとしても、先天性のものであるなら治そうとしても無理だろう。回復魔法というのは、その人の顔を変えるものではない。たとえ金の髪をすべてそぎ落としても、黒い髪にはならないのだ。

 幸いにしてか、刃物は内臓に達していなかった。痛みに耐えきれなかったのだろう。


 だがこれにはヴァージル様もさすがに考えざるをえなかったらしい。


「学生だったとき、ダンジョン探査では、ずいぶんと世話になったよな。彼女も怪我をすることがあった」

「そうでしたね」

「あのときの慣れが、引き起こしたんだろうか」

「陛下。ローズ様は心身ともに衰弱しております。しばらく静養してもらうというのは……」

「こんなときに一緒にいてやらないで、どうしろというんだっ」


 ミハエルはあっけにとられた。

 駄目だ。

 一度この二人を引き剥がした方がいいのではないか。そんなことまで想った。


「……いや。すまない。お前に当たってもどうしようもなかった」

「いえ……」


 それでその日の話はおしまいになった。


 だがそれがきっかけで、ミハエルは私に助けを求めてきたらしい。

 袋小路に入り始めたこの状況に、なんとか一石を投じることのできる誰かが欲しかった。そういうことらしかった。

 私は承諾した。

 一週間後に王宮に向かうことを約束して、その日はミハエルを泊めた。ヴァージル様への報告は、後でどうとでもなるだろう。

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