4章 聖女としての力

 「狂化」は魔物の凶暴化を現した言葉だ。

 いつ頃からそれが始まったのかはわからない。

 学院が認知した頃というなら、おそらく「薔薇の庭園」で一年生が襲われた時からだ。いや、そのときこそ既に、闇の皇帝モルグの支配が届いた事の証明だった。

 あのとき、学院側はただの事故として処理した。表向きには。なにしろそれくらいの「事故」は多少なりともあるものだから。多少の違和感を覚えながらも、学院側はそうした。


 しかし、次第に隠しきれなくなってきた。

 管理されていないダンジョンでの「狂化」された魔物は次第に数を増した。「変異体」と呼ばれる、見たこともない特徴を持った魔物まで出現した。

 勇気と蛮勇をはき違えた男子学生が命を落とし、女子生徒は怖がって震えた。

 ちょうど、彼女を中心としたパーティが、三つ目のダンジョンを攻略しようとしていた頃だった。


 「暴走児」であったルークは相変わらず言動は無茶苦茶だったけれど、自分の炎をコントロールできるようになっていた。

 「根暗」だったディランは氷属性であったことが判明したうえ、貴族の男子として相応しい自信をつけていった。

 「女好き」のオズワルドは手当たり次第に声をかけるのを止めて大人びていき、「人嫌い」で気難しい本の虫だったネイトはそれほど他人を毛嫌いすることはなくなって、「子供」じみていたメレディスはその才能を魔術に活かせるようになっていた。

 そして最後に、「孤独」であられたヴァージル様は、彼女を通じて仲間たちとの交流を持ち、あのミハエルまでもが彼女に感謝を述べるほどになった。


「きみも変わったよ」


 と、ヴァージル様に言われたことがある。

 私にはわからない。

 ただ、そう言われたときには、出会った時に彼女に抱いた敵意のようなものは既に無かった気がする。私の中で消化しきっていた。だからそう思われたのだろう。

 それを懇切丁寧にヴァージル様に説明したが、あのかたは笑うばかりだった。まったく、あのかたは彼女に甘い。私の変化が彼女のおかげだなどと、世迷言もいいところだ。


 ところでその彼女だが、彼女自身は変わらなかった。

 相変わらず天真爛漫なように振る舞いながら、何かを成そうとしているようだった。


 そんな彼女は、次第に「白薔薇」と呼ばれるようになっていった。

 赤薔薇と呼ばれた私との対比のように。


 「白薔薇の聖女」

 それが彼女の二つ名になった。


 理由は単純で、彼女の薔薇の魔石が白い光を放つようになっていたからだ。

 こんなことは学院始まって以来だ。たとえ下位クラスでも似た色を持つ。真っ白になるなどありえないことだ。でも紛れもない事実だった。

 彼女の得意分野は回復魔法。それだけならば風の属性にも存在はする。しかし彼女は気絶まで追い込まれた人間の意識を取り戻させることができた。意識だけではなく、同時に体力と傷を少しだけ回復させることで、立ち上がらせることまでできたのである。それはじゅうぶんに戦況を変えられた。

 更に言えば、彼女の魔力は「変異体」と呼ばれる魔物にもとどめを刺すことができた。それは、事件の裏で動いていた闇の皇帝モルグからも危険視されるほどだった。 


 闇の皇帝モルグ。

 かつて闇の力に魅了され堕ちた魔術師。

 封印され、肉体を失ってなお、再び現世に舞い戻る機会を伺っていた魔術王。こちらからの攻撃はまったく通じず、世界は傾きかけた。

 それを止めたのが彼女の光の力だ。彼女の祈りはその闇の力を祓い、こちらからも攻撃が通るようになった。その意味でも、彼女が「白薔薇の聖女」と呼ばれるようになった要因だろう。


 モルグの存在は次第に大きくなった。

 白薔薇の聖女という対抗策があってもなお、増長は止められなかった。

 学院の管理する「薔薇の庭園」から属性毎のダンジョンを攻略していった彼女に、ついに学院側からある指令が下った。


 学院地下にある「地下聖堂」を攻略せよ、という指令だ。


 私も初めて聞いた。

 学院の地下にそんなものがあったとは。


 地下聖堂は、かつてモルグを封印した聖杖がおさめられている場所だ。どうやら前回の戦いで聖杖がずいぶんと傷ついてしまったため、むやみに使われることの無いように保管されていたらしかった。地下聖堂の上に学院を置くことで、強力な魔力の目くらましになることを期待した。上では学院の生徒たちが毎日のように魔法を使うから、結界が使われていても不思議じゃない。


 正直、少しつっついてやろうかと思った。

 だが彼女はそれもわかっていたかのような顔をしていた。相変わらず小憎らしい娘だ。さっさと送り出してやった。ヴァージル様は笑っていらしたが、無礼にもほどがある。

 地下聖堂で何があったのか、私はあえて聞かなかった。

 時々、傷だらけで帰ってくるパーティメンバーを見ていれば、何が起きたかくらいは想像がつく。地下聖堂には侵入者を防ぐため、多くの魔導騎士達が徘徊している。魔導騎士はいわばゴーレムのようなものだが、その戦闘力は並のゴーレムではない。


 しかし彼女には既に聖女としての力が備わっていた。


 彼女は聖杖とともに帰ってきた。

 そして、名実ともに白薔薇の聖女となった。

 同時に、時が満ちた。

 闇の皇帝モルグは復活し、旧帝都遺跡に陣取った。


 彼女は、いまや六人の騎士となった彼らに守られるように、旧帝都遺跡に向かった。


 そして、私は――学院生徒とその後を追った。

 彼女が戦うのはモルグだけでいい。そのために邪魔な者はすべて焼き尽くすべきだと思った。あとは学院生たちの、日頃の努力の結果を見せつけてやるだけだ。しかしまさか、このときにいなかったレストール先生がモルグの復活を手助けしていた黒幕とは思わなかった。それだけは驚いた。

 彼女のすべての魔力を注ぎ込んだ祈りが形になり、モルグの闇を祓った。こちらの攻撃が通るようになれば、あとはもうこちらが祈るだけだった。

 長い、長い戦いは一昼夜に及んで――。やがて本当の夜が戻ってきた。

 夜の後には朝がやってきて、誰もがその光景を見ていた。

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