第7話 妹の休日

 今朝の葵は早起きだ。海斗とお出かけの約束をした日曜日だからだ。洋服ダンスの引き出しの音がゴトゴトと、海斗の部屋まで聞こえた。

 海斗は着替えて、先に下りてリビングのドアを開けた。リビングには、正太郎と明子が楽しそうに話をしていた。三人は朝の挨拶を交わした。


「今日はね、葵を横浜美術館に連れて行こうと考えているんだ。今、モネ展をやっているでしょ。それに横浜らしい所も案内出来ると思うんだ」

「それは良いわね海斗さん。きっと喜ぶわ。絵を描くのが好きだから、絶好の機会だと思うわ。誘ってくれて有り難う」

「葵には言わないでね。驚かそうと思って行先は言っていないんだ」

 明子は微笑み、うなずいた。正太郎も話し掛けた。

「有難う海斗、それじゃあ小遣いをやろう。葵ちゃんと美味しいものを食べて来なさい。気を付けて行くんだよ」

「有難う、お父さん。……それと家で二人の時間も出来るでしょ?! 夕食までには帰るね」

 正太郎と明子は顔を見合わせ笑った。


 するとオシャレをした葵がリビングのドアを開けた。葵も朝の挨拶を交わした。家族が揃うと食卓に着き、明子は手際良く朝食を並べた。オムレツにサラダとトースト、ヨーグルトが並んだ。正太郎も海斗も、明子が作る料理を楽しみにしていた。明子も葵も、家族揃って食べる食事が大好きな時間だった。


 朝食を済ませると、二人は出発した。

「ねえ、お兄ちゃん、私、楽しみだな!」

葵は海斗と並んで歩いた。

「みなとみらいって、どうゆう場所か知っている?」

「え~と、桜木町のお洒落な所でしょ?」

 海斗は鼻高に語った。

「エッヘン、みなとみらいは、正式にはみなとみらいニ十一地区って言ってね、まだ建物が建つ前、二十一世紀の未来都市を創造して付けられた町名なんだよ。お父さんが学生時代の頃は未だ、殺風景な場所で造船所と貨物列車の基地があったらしい。だから今でも当時を知る人は繁華街の桜木町と、殺風景な場所のみなとみらいを、使い分けている人が多くいるんだよ。因みに文字数が多いからMMニ一って、略す事が有るんだ」


「あ~、だから桜木町から海側は新しい建物が多くて、未来都市っぽいのね」

「今日は、みなとみらいに有る横浜美術館に行き、モネ展を見ようと思います!」

 葵は飛び跳ねて喜んだ。

「わー、やったー、嬉しいよ、お兄ちゃん! 横浜美術館に行って見たかったんだよ。それに、みなとみらいにも行けるのね。私、ちゃんとした美術館に行くの初めてだよ」

葵は嬉しそうな顔をした。


「それは良かった。葵は絵を描くのが好きだよね、だから興味があると思ってさ」

「私ね、電車にある広告を見て、行きたいなって思っていたの」

海斗は喜んでいる葵を見て、ホッとした。


 二人は、みなとみらい駅で降り、横浜美術館に到着した。

やはり、かなりの人が並んでいた。

「すごい列だね~、葵」

「お兄ちゃんと一緒なら、いくらでも待っていられるよ。ねえ、お兄ちゃんと二人で並んでいたらカップルに思われるかな?」

「えっ! うん、そう見えるかもね」

葵は海斗と腕を組んで笑った。無邪気に笑って腕を組む葵はとても可愛かった。


 美術館に入館すると海斗は、葵が見るペースに合わせる為に一歩後ろを意識して歩いた。二人はゆっくり作品を眺めた。

「ねえ、お兄ちゃん、世界的な作品を、こんなに間近で見られるなんて凄いよ。この柔らかい表現が、独特の世界観を感じさせるのよね」

「流石ですね~、葵先生!」

海斗はちゃかすと、葵は赤面し二人で笑った。


 ゆっくり、一つ一つの作品を見て回った。

「俺、知らなかったよ、睡蓮って、幾つもあるんだね」

「そうだよね、モネも良かったし常設展示も良かったね。美術館って楽しいね」

「お兄ちゃん有り難う。いろいろ見られて、とっても楽しかったよ。本物を見るって大事だね。それと、いっぱい見たからお腹が空いちゃった」

葵は時間も忘れて、夢中で見ていたのだ。二人は美術館を退館した。


 海斗は休憩を兼ねて、葵を食事に誘った。

「お父さんが葵と美味しいものを食べるようにって、お小遣いをくれたんだよ。だから気兼ねしないで、美味しいもの食べようね。葵は何が食べたいかな?」

 葵は考えて、答えた。

「お兄ちゃんとパフェが食べたい!」

「えっ、脳が疲れているのかな? じゃあ美味しい食事をしてからパフェを食べようね」


 葵は好きな人が出来たら、一つのパフェを食べ合う事が夢だった。海斗は葵をイタ飯屋に誘い、食後に一つのパフェを食べ合った。パフェを食べていると突然、葵が鼻をすすり始め涙目になった。

「葵、どうしたの、寒いのか? それとも舌でも噛んだのか?!」

「……ププ、寒くも無いし、噛んでも無いよー、もう笑わせるんだから。わたし嬉しいの! 引っ越しをするまでの生活の事を考えると、こんなに幸せで、……有り難う。お兄ちゃん!」

「礼を言うなら、お父さんとお母さんだよ。俺も同じで、今の生活は楽しいよ」

葵は泣いたり笑ったり、忙しかった。

「未だ行こうと、思っている所があるんだよ。いいよね」

「うん、有り難う」


 海斗はランドマークタワーに向かった。婦人服が並ぶフロアで、ハンカチをプレゼントしたのだ。葵は嬉しくて再び海斗の腕を組んだ。その姿は周りから見て恋人の様だった。


 そんな時、買い物に来ていた林莉子が偶然に、その様子を見てしまった。

「う、嘘! あれ伏見君だよね」

一緒に買い物をしていた中山美咲も見てしまった。林莉子は言った。

「もー、伏見め! 浮気性なんだから。私が月曜に言ってやるわ!」

 中山美咲はショックで声が出なかった。そうとも知らず海斗は、葵と楽しく買い物を続けた。


 海斗は買い物の後に、葵を観覧車に誘った。二十分ほど並び乗車すると葵は興奮をして景色を眺めた。

「お兄ちゃんって、エスコート上手だね。きっとモテるんでしょ?」

「まさか、たまたま知っていただけだよ。それに全然モテないよ、彼女いないし」

「えー、うそー! ホントに彼女、居ないんですか?!」


 二人を乗せたゴンドラは徐々に移動して、一番高い所に移動した。東の方角には横浜港が見えた。海の先には夕陽を浴びた、白いベイブリッジが空に映えるように見えた。

「お兄ちゃん、とっても綺麗! あの橋、ベイブリッジでしょ?」

「そうだよ、東の方角もいいけど、反対側も見てごらんよ」


 葵は眩しそうに西の方角を見た。

「わー、すごく綺麗!」

夕陽をバックにした、大きな富士山のシルエットが見えた。

「ねー、綺麗だねー」


 海斗は葵の顔を見つめた。うるんだ瞳が見えたが今度は心配しなかった。こんなに綺麗な景色を見れば、誰だって感動するからだ。葵はかけがえの無い時間を、二人で過ごしていると思った。二人は観覧車から降りて帰路についた。

 その日の夕食は、葵が珍しく喋りっぱなしだった。正太郎も明子も、葵の話を聞いてほっこりした。


 (翌日の月曜日、教室にて)

 海斗は松本蓮と鎌倉美月に、横浜美術館の話しをしていた。

「昨日ね、横浜の案内を兼ねてね、妹とモネ展に行って来たんだ」

「いいな~海斗、葵ちゃんと二人で行ったの?」

「そうだよ蓮、葵は前に美術部に居たんだって。俺さ、電車の吊り広告のモネ展を目にしていたから、誘ってみたんだ」

 鎌倉美月は海斗を見た。

「それじゃあ、喜んだでしょ。やっぱり本物を見られるなんて、貴重だもんね」

「そうなんだよ。それが想像以上に喜でくれたよ! 俺も本物の美術を見られて感動した。蓮も美月と行った方がいいよ、お勧めだよ」

「じゃあ美月、行ってみるか? たまたまハス繋がりだしネ」

思いがけない蓮の誘いに赤面した。

「ププ、ハス繋がりは余計だけどね、うん、本物を見るチャンスだもんね、行こうね」

 鎌倉美月は松本蓮と二人だけで、美術館に出かけるのは嬉しいけど、照れ臭かったのだ。


 三時限目から中山美咲は教室から居なくなった。昨日、見てしまった海斗と彼女の事が頭から離れず、眠れず体調を崩したのだ。

 中山美咲は保健室に居た。保健室の熊谷祥子先生は、中山美咲に睡眠時間や、家の事、学校の事、友人問題、そして悩み事まで聞いた。

 熊谷先生は優しく話しかけた。

「これは、お医者様でも草津の湯でも治おせない、やつだね」

「こんなに、心がザワザワしているのに、治せないのですか?」

 熊谷先生は一呼吸おいて言った。

「これは恋の病だよ。解決するには、いろんな事を一方的に考えるより現実と向き合って話し合う事が何よりの解決策なんだよ。たとえ、それが望まない結果でもね。誰かに話す事で気が楽になるのも、この病の対処法なのよ。だから私が聞いた事で少し楽になったでしょ。これできっと眠れるから、少し寝てから教室に戻りなさい」


 中山美咲は一時間程、深い眠りに就いてから教室に戻った。心配している林莉子に、恥ずかしながら体調について説明をした。

 林莉子はカッとなった。

「美咲、私もあの女の子の事、気になっていたから私が聞いてあげるね!」

昼休みになると、林莉子は怖い顔をして海斗を屋上に呼び出した。


 海斗は怖かったので、松本蓮と屋上に上がった。すると、林莉子の隣に中山美咲が居た。

「私、伏見君一人を呼び出したんだけど、なんで松本君が居るの! まあ、いいけどね。昨日、ランドマークで美咲と買い物をしていたら、伏見君が、歳下の子とデートしている所を見ちゃったのよ、説明してくれる!」

中山美咲は、悲しそうな顔をしていた。


「えー、違うよ、違う! それ妹だよ」

林莉子も中山美咲も目が点になった。

「嘘を付いているんじゃ無いでしょうね! 伏見君に妹がいたの? だいち妹にしては、仲が良かったわよ」


 松本蓮が説明した。

「林さんさあ、それ妹だよ。妹が美術が好きで、一緒に見に行ったんだって。今度は俺も美月と行こうかって、話をしていた所だったんだ」

「ねえ美咲、伏見君に妹がいる事、知っていた?」

「う、うん、……」

「もー! 伏見君、紛らわしい事しないでよね! てっきり彼女がいると思ったじゃないの!」

林莉子はカンカンだった。中山美咲はバツが悪そうな表情をした。

「じゃあ、いいわ! さあ、お昼にしましょう、美咲行くわよ」

林莉子は中山美咲の腕を引き、階段を下りて行った。


 気落ちしている海斗に、松本蓮は話しかけた。

「なあ海斗、女って怖いな。凄い情報網だよな、本当に見たのかな?」

「本当に怖いね。でも蓮が居てくれて助かったよ」

「所で海斗は中山さんと、付き合っているのか?」

「未だだよ。まだ一回、勉強を教えただけだよ」

「それじゃあ、林さんと付き合っているのか」

「それは、まったく無いよ!」

「じゃあ、何が前提で怒っているんだ? 俺が思うに中山さんは海斗が好きだよ。今のは浮気の追求だよ」


 海斗は思った。もし、そうだとしたら中山さんの家に行って、キスをしそうになったのも偶然では無く、自然の流れだったのかもしれない。急に海斗はデレデレしになった。


「海斗、聞いているのか、お前、急に骨が無くなったように見えるぞ! どうかしたのか?!」

「だって中山さんが、俺の事、好きなんだろ、エヘ」

「俺も解らないけど、そんな感じがしたよ。でも喜んでばかりいられないよ。そうだとしたら、中山さんって独占欲強いね。兄妹で出かけただけで焼き餅を焼くんだぜ。ちょっと引くな」

「う、うん、蓮、いろいろ有り難う、教室に戻ろう」


 確かに美術鑑賞だけじゃなく、知らない人が見れば、あれはデートだった。海斗は、女性と付き合う難しさを痛感したのであった。


 中山美咲は寝際に思い返していた。ランドマークで見た女の子が妹で良かった。数学を教えてもらった時のときめきを思い出し、安心して眠むりについたのであった。

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