次元回転

@lil-pesoa

1話完結


蒸し暑い夜の事だ。ある平地に聳え立つ古びた電波塔は音の波動を放って、数百メートル離れた道路脇のガードレールを振動させた。ガードレールはラジオアンテナと化して、鉄の振動音で何やら声を発している。そこに猫背の男がだるそうに歩いてきた。男はどこからともなく聞こえる不思議な声に気がついて、最初は少し怯えたような格好で、後ろを振り返ったり空を見上げたりして声の主を探そうとしていたが、やがて座り込んでガードレールに頭を近づけると、音の正体に気づき、耳を澄まして何を言っているのか聞き取ろうとした。ガードレールにほとんど耳をくっつけるぐらいに近づくと、話の内容がよく聞こえた。若い男の声で、

「どこかの国の大海原にガラスのボトルが浮かんでいて、その中に一通の手紙が入っていた。ある日の嵐でそのボトルは天空に巻き上げられて、そのまま数百キロ移動して、繁華街の小綺麗なマンションの屋上にあった水槽に落ちた。ここの1番上階の住人が、オーナーに特別に許可をもらって屋上に小さな水槽を置いていたのだ。水槽の中には上品そうな金魚が何匹か遊泳している。そこでちょうど屋上の扉が開く音がした。星のよく見える夜だったので、一服がてらその住人が金魚の餌やりにやってきたのだろう。タバコを加えて餌袋を開きながら歩いてきた住人は、金魚の水槽にメッセージボトルが入っているのを発見し一瞬目を丸くしたが、それ以上動揺する様子もなく、金魚達にパラパラと餌をやりながら「真相を知ってるのはお前達だけだな」と呟いて、その後ゆっくりとボトルを水槽から引き抜いた。瓶詰めの手紙も何とか取り出して、一呼吸置いた後、すまし顔の金魚達を一瞥してから、内容に目を通した。そこにはこう書かれていた。

「とある国に、1人の優秀な泥棒がいた。身体能力が人一倍長けていて、過去にパルクールの大会で優勝したこともある。いつも夜の不健康に発光する都市の隙間を、獲物を探して飛び回っていた。この日目をつけたのは、和風建築の2階建て住宅で、屋根の瓦の上をコツコツ歩いて寝転がり、月を眺めながら住人が寝静まるのを待った。1時を回ったところで泥棒は屋根から二階のベランダに飛び移り、針のようなものを懐から取り出して器用に窓を開けた。気配を消しながら家を物色していると、リビングからテレビの光が漏れてきているのに気がついた。額に汗をかんじながら忍び足でリビングを覗くと、部屋には誰もおらず、テレビに映画のようなものが映し出されているだけだった。どうやら古いケイパームービーらしく、白黒の画面の中で英国紳士風の男達が何やら動き回っている。泥棒は早く逃げれば良いものを、なんとなく引き込まれてしまって、ソファに腰掛けてその映画をジッと眺めていた。そして、最後のシーンまで来た時に、上階に通じる階段の灯りがついて、住人が欠伸をしながら降りてきた。泥棒は何も獲れずに慌てて窓から逃げ出した。しかしあの古い映画の最後のシーンの続きを見たくて、どうしても耐えがたくなったので、夜が開ける前にと、再度その家に侵入することにした。今はもうテレビは消えていて、住人が起きてくる気配もない。もやは金目の物などどうでもよかった。泥棒はビデオデッキとテレビの電源をつけて、その場で最後のシーンだけを鑑賞し始めた。盗みの天才が、見事脱出不可能の要塞から秘宝を盗み出して、海が見える豪邸のベランダでヒロインと会話する場面だ。

「俺がなぜ泥棒になったか、わかるかい?」

「盗みの才能があったからかしら?」

「いいや」

「じゃあ、どうして?」

「ラプラスの悪魔を否定したかったからさ。」

泥棒はテレビの電源を消して、音もなくその家から脱出した。帰る途中、彼は覆面やピッキング用の針を捨てて、その足でノートとペンを買い、脚本家になろうと決意した。数年後、彼の作品は小さい映画館でひっそりと公開された。客は入らなかった。誰もいないシアタールームのスクリーンに主人公が登場して、低い声で話し出す。

「これは、本当の話だ。あるバーで、パーティの余興として超能力者の男が小さいステージに立ってショーをしていた。スプーンに手を触れずに曲げたり、トランプの数字と絵柄を透視で見抜いたり、念力で重い箱を動かしたりして、まばらな拍手を貰った後、仰々しくお辞儀して舞台を降りようとすると、1人の若い青年が近づいてきて、こちらに向かって手招きしている。チップをもらえると思ってそばへ行くと、青年は「いいショーだったね」と言った。超能力者の男は腰が抜けるほど驚いて、尻餅をついた。その青年の口が全く動いていないにもかかわらず、声がはっきりと頭の中に聞こえてきたからだ。超能力者の男は「もしかして、ホンモノ?」と恐る恐る聞くと、「どうだろうね」と、今度は普通に喋ってきた。青年は男に手を差し伸べながら「せっかくだから飲まないかい。」と言うので、男は衣装を脱いで私服に着替えて、その青年とバーカウンターで飲み始めた。青年はやはりホンモノだった。壁をすり抜けたり、人の意識に干渉したり、瞬間移動もお手の物だと言う。超能力者の男は自身の小才を恥じた。そうして酔いも深まってきた頃、青年が「おもしろい話がある。」と言う。男はワクワクしながらどんな話しかと尋ねると、「僕は脳を媒介して高次元の知識にアクセスできるんだ。有名な言葉で言うと、アカシックレコードとか呼ばれているヤツかな。過去に何度かそこに到達して、色んな知識や事象を見てきたんだけどね、その一部が、なんていうかな、バグみたいなのが起こってる所があったんだ。現象がずっとループしてる感じで、前に進んでいない。話が矢継ぎ早に展開していながら、全く展開していない。あぶくみたいに、生まれたと思ったら次の瞬間には消えている。かと思えば、また生まれている。高次元から見てる僕以外、当の本人達は誰もそれに気づかないんだけど、それがなんか、良かったんだよなあ。人間って感じがしてさ。」

超能力者の男はもう完全に酔いが回ってしまって、ボンヤリとした視界の中で青年の話を聞いていた。「何だ、何が良いんだかわからんなあ。もっとおもしろい話はないのかあ」

するとカウンターの後ろのテーブル席に座っていた、ボルサリーノを深く被った紳士が「面白い話だったら、俺にも一つある。」と呟いた。

青年は振り返ってその紳士を見て言う。「聞かせてよ。」

「あれは、蒸し暑い夜の事だ。」

青年は何かに感づいたようにハッとして、少しだけ口角を上げた。

数時間後、closeの札がかけられたバーを出て、超能力者の男に肩を貸してタクシーまで送り届けた後、青年は自らの小才を恥じた。

「僕も結局はあぶくの一部ということか。運命というものを作っている誰かがいるなら、きっと幼児みたいな奴なんだろうなあ。」

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