五   龍笛《りゅうてき》



 青葉通りの街路樹が木の葉を落としている。

 花京院の宗雅堂に紅彦の姿があった。店主の水澤から連絡があってやって来たのだ。

「紅ちゃん、これは預かり物だが、見てごらんよ」

「これは注文打ちの馬針ばしんだね」

「うん、流石だね。この商売をやってから、これほどの物は見たことないよ」

「誰が持ってきたの?」

「紅ちゃんだから言うけどさ。鉄門一家の若い者がね、組長から届けろって言われたって、大事そうに持ってきたんだよ」

「鉄門・・・」

遠戚筋えんせきすじに馬鹿野郎がいてね、そいつは鉄門の佐藤さんの世話になっているんだ。」

「・・・」

「まあ、それはそれとして。佐藤さんからね、この金象嵌きんぞうがんの意味を調べてくれって頼まれたのさね」

 馬針は貫級刀とも言われ、長時間走って鬱血うっけつした馬脚から血を抜くための剣の形をした二十センチメ-トルにも足らないもので、脇差などの櫃穴ひつあなに差し込んでいた。

「これも例の一件とからんでいると思って、紅ちゃんに連絡したんだよ」


   天女之下隠閃光 宗次


「紅ちゃん、この象嵌はおそらく純金だと思う。だけど、銘が宗次なんだよ。霞さんのお父さんは宗綱だし、宇多先生が持ち込んだ鎧通よろいどおしは紅綱だし、何か関係があるのかもしれないねえ」

「鉄門の佐藤さんは、これをどこで手に入れたんだろうか?」

「さあ、そこまでは聞いてないけど・・・。ところで、霞さんは一緒じゃ無なったのかい?」

「相澤さんの奥さんと一緒にヘアサロンはなにいるよ。ここで合流することになってるんだ」

「なあんだ、そうだったのかい。相澤さんの奥さんてのは、タマさんのことかい。一度、タマさんの実家の倉をのぞいてみたいと思ってたんだよ。きょう、お願いしてみようかな・・・」

 ヘアサロン華は苦竹にがたけ駅の近くにあり、最新のヘアスタイルや客の好みに合わせたカットをするので、仙台市内ばかりではなく、近隣の町からも通ってくるので、なかなか予約が取れないのだと評判の店だった。この店はスタイリストの緋絽美ひろみが運営しており、母親が朱雀苑で宇多に世話になっていた。そのような関係で、多少の融通ゆうずうがきいたのだった。

「霞さんは、長い黒髪が美しいから、何をしても似合うからいいさねぇ・・・」

「タマさんの髪型、とても素敵ですよ」

「霞さんからそう言われると、何だかその気になってくるよ。家さ帰ったら、父ちゃん何というかねえ・・・」

「ええ、どなたが訪ねて来たのだろうかって、目を丸くするかもしれませんね」

「霞さんも近頃はお世辞がうまくなったねえ」

「相澤さん、とってもお似合いですよ」

「緋絽美さんまでそったらこといったら本気にしちまうぞ」

 緋絽美は成人した子供が二人いると宇多から聞いていたが、すらりとした小顔の美人はとてもそのようには見えない。まるで三十代の華やいだ独身女性に見えるので、そうとは知らない男たちに言い寄られることがあるんだと、笑いながら宇多が言っていたのを思い出した。

「相澤さん、これからどちらへ行くのですか?」

「きょうは霞さんとウィンドウショッピングと洒落しゃれ込もうかと思ってたけど、花京院の宗雅堂さ行かなくちゃなんねえから、ちょっくら忙しいのさねえ」

「宗雅堂さんに何かあるのですか?」

「霞さんの亭主が待っているんだよ」

「その方なら宇多先生から聞いています。確か、紅彦さんとおっしゃるのですよね」

「そうだよ。紅ちゃんていう佳い男なんだけどね、あの風変わりな宇多先生がえらく気に入ってしまってね、しょっちゅうやって来るんだよ。仕事は大丈夫なんだろうかねえ・・・」

 緋絽美はどことなく霞と似ている。姿格好や顔もよく似ており、知らない人には姉妹と間違われていた。宇多に紹介されて何度か通う内に気心が知れて、霞を本当の妹のように接していた。


 地下鉄の勾当台こうとうだい駅に天宮百合の姿があった。

 黒木の指示で宮城県警本部に出向いた帰途だった。

 岩手県警本部でサクドガ森における鉄門一家と百舌のメンバ-が衝突したことが判明し、事細かな事情聴取をしてからこちらに向かったのだ。天宮は咬傷こうしょうがすっかりえていたが、黒木は連絡係として新任の伊東真一を同行させた。伊東はイケメンの優男やさおとこだが、子供の頃から古武術を鍛錬しており、その道では名が知られていた。

「天宮さん、鉄門の連中は襲う相手を間違えましたね」

「田宮さんたちが、野犬をけしかけたと思ったんでしょう」

「でも、飼い犬と野犬では、見てくれも違うでしょう」

「伊東君は警察犬と取っ組み合いしたことがある?」

「まさか、人間以外とはやったことはありませんよ」

「私は野犬に襲われたことがあるけど、冷静に対処したつもりでも、頭の中はパニックだったわ。まして、まともな訓練をしていないヤクザでは、正常な判断がつかずに、田宮さんたちに発砲したんでしょう」

 天宮はパンツの上から太股ふとももの傷に触れ、心なしか頬をあからめていた。

 サクドガ森での出来事は地方紙にも掲載されていなかったので、地元住民はまったく知らなかったし、警察の一部の幹部しか承知していなかった。

 あの日、天女岩を目指していた百舌の田宮と石川は、期せずして鉄門一家の山中ら五人と接近してしまい、野犬に襲われてしまった。野糞のぐそをしていた野田という使い走りは、野犬に尻をかじられ転げ回ったところを数匹の野犬に噛みつかれて半死半生の状態になり、それを見かねた田宮らが救出に行ったところを山中らに拳銃で撃たれたのだった。幸い命には別状無かったものの、ヘリコプタ-で東京の中野にある警察病院まで搬送され、現在も入院している状態にある。

 鉄門一家の連中はもっと悲惨で、三人が首を噛まれて即死、兄貴分の山中も全身を噛まれて意識不明、田村から連絡を受けた百舌本部が救助ヘリを差し向け、岩手医科大学医学部付属病院へ搬送したが五人全員が病院到着前に絶命したという。

 田宮らが襲われた周辺には、拳銃で撃たれた野犬が数匹死んでいたというが、他の野犬は何処ともなく姿を消していたという。

「これで、また藤原への逆恨さかうらみが増幅ぞうふくしてしまいましたね」

「でも、下手に動けば鉄門は命取りになるわね」

「天宮さん、きょうの結果を本部に連絡しておきます」

「班長には、これからの予定も報告しておいてね」

 天宮たちはタクシ-に乗り込み走り去った。


 宗雅堂が華やいでいた。

 霞とタマがやって来たのだ。

「お噂は霞さんから聞いていましたが、初めてお目にかかります。店主の水澤です。いつも、宇多先生や紅ちゃんにはお世話になっているんですよ」

「これはこれは、ご丁寧な挨拶で痛み入ります。霞さんがいたく親切にしてもらって、こちらこそありがとうございます」

「それにしても、霞さんが来られると、こんな薄汚い店が花が咲いたように明るくなるよ」

「まあ、・・・」

 骨董品が雑然と陳列されている一角で、時代物のテ-ブルにコ-ヒ-の香りが漂っていた。

「霞さん、紅ちゃんに聞いたんだけどね、宗次っていう刀鍛冶を知ってるかい?」

「宗次・・・、覚えがないわねえ」

「この馬針にその銘が刻まれていたんだよ」

 水澤がテ-ブルに置いた。

「それが馬針ていうんかい。そういえば、実家の倉にそんな物が仰山ぎょうさんあったっけねえ」

「相澤さん、ぜひ一度、相澤さんの実家にお邪魔させていただけませんか?」

「今度実家へ行ったとき、兄ちゃんに聞いておくよ」

「そう急ぎませんので、よろしくお伝え下さい」

「紅彦さん、銘よりもこちらの方が気になるわ。天女の下に閃光が隠れるって・・・」

「サクドガの森に連れて行こうとしているようだな」 

「すべてのものが天女岩につながっているようですね」

「霞さん、そろそろ帰らねえと阿修羅が待ちくたびれているんじゃねえのかねえ」

 そう言いながら、タマは目敏めざとく見つけた古伊万里こいまりのぐい飲みを包んでもらっていた。

「そう言えば、昨日ね、霞さんのペンダントのことを聞いてきたひとがいたんだよ」

「どんな女?」

「背がすらりとして綺麗きれいな女だったよ。東京からこっちに来たついでにここに寄ったと言うんだけどね、いろいろと根掘り葉掘り聞いてったよ」

「誰かしらねえ?」

「でも、大丈夫ですよ。霞さんていう女は知らないし、会ったこともないと言っといたよ」

「霞さんがこっちへ来てから知り合った女って、あたしとサブの姉さん、それにヘアサロンの緋絽美さんぐれえだべ。何だか怪しいねえ、その女は」

「紅ちゃん、くれぐれも気をつけてよ」

「ああ、大丈夫だよ。困ったときには、いつも宇多先生が出てくるから・・・」

「そりゃあ、余計よけいこんがらかって、危なくなるねえ」

 水澤の言葉に笑いが出て、これを潮に紅彦たちは宗雅堂を後にした。


 宇多の姿が草庵にあった。

「なんだい、誰もいねえのかい。仕様がねえなあ・・・」

 ブツブツ言いながら、勝手にコ-ヒ-を入れて茶の間にどっかりと座った。

「サブの野郎、留守番もまともにできねえのか・・・」

 そこに、聞き覚えのある足音が近づいてきた。荒い息を吐きながら、傾いた門を潜って来るサブの姿を開け放した廊下越しに見えた。

「あれっ、先生なにしてんだよ?」

「何だ、その言い草は・・・」

「ああ、また勝手にコ-ヒ-飲んでのか」

「あのな、サブよ、おめえはもう少しお上品になれねえのか?」

 太いゲジゲジ眉毛の下で二重まぶたの澄んだ瞳が笑っていた。

「俺は先生と付き合うようになってから、だんだん下品になっちまったんだべさ」

「おめえ、言うに事欠いて、なんちゅうことを言うんだ」

「ところで、何の用だよ、先生よ」

「紅彦はどこさ行ったんだ?」

「きょうは霞さんとタマさんと一緒に仙台へ行ったんだよ」

「何しに・・・?」

「何言ってんだよ、先生も呆けちまったのか」

「何がだ・・・」

「霞さんのヘアスタイルが格好いいって叔母さんが言うもんだから、先生が紹介したっていう仙台のヘアサロンへ行ったんだよ」

 ようやく汗が治まってきたサブが一息ついて宇多の横に座った。

「なんだ、緋絽美さんのところへ行ったのか」

「先生、緋絽美さんて、綺麗なんだってね」

「うん、そうだな・・・、霞さんといずれがアヤメかカキツバタってところかな」

「何だ、そりゃあ・・・」

「まあいいや、ところで何時頃帰ってくるんだ?」

「夕方になるんでねえのかな。叔母さんがブティックとかいう店で買い物したいと言ってたから・・・」

「阿修羅はどうした?」

「えっへっへ・・・」

「何だよ、そりゃあ、どこさ行ったんだ?」

「実はね、卓三さんが松茸穫りに行くっていうから貸してやったんださ」

「おめえ、阿修羅は物じゃねえんだぞ、貸し借りはねえべ」

「いやね、卓三さんがさ、一人じゃ物騒だからって言うんでさ、阿修羅もその気になってさ、ありゃあ、凸凹でこぼこコンビださ」

「おめえに言われちゃ、卓三さんも形無しだな」

「先生、叔母さんには内緒だぞ」


 日が西の空に傾く頃、のっそりと阿修羅が廊下の前に立った。

 しばらくしてから、軽トラックが庭に入ってきた。

「おおっ、やっぱりなあ。居なくなったと思ったら帰っていたのかい」

「なんだ、叔父さんか・・・」

「なんだは、ねえだろう」

「松茸は採れたのかい?」

「それだよ、車に忘れてきてしまった」

「まだ呆けるには早えだろうに・・・」

「馬鹿こくでねえ」

 卓三はぶつぶつ言いながら、大人の手首ほど太さがある松茸を5本ほどいれた竹笊たけざるを持ってきた。

「ところで、紅ちゃんはまだ帰ってこねえのか?」

「ああ、叔母さんが何か買いたい物があるって言ってたぞ」

「ふう~ん、そったらこど言ってたか」

 サブは話しながらお茶をいれた。

 卓三はうまそうにのどをならした。

「実はな、きょうも天狗岩のところにいたんだよ」

「何がいあたんだよ?」

「阿修羅が何か言ってなかったか?」

「叔父さん、阿修羅は犬だぞ。しゃべるわけがねえべよ」

「そうじゃねえよ。何か変わった仕草をしなかったかって言うつもりだったんだ」

 卓三は頭をきながら苦笑いしていた。

「出たんだよ」

「じれってえなあ、だから何がだよ」

「黒服だよ」

「黒服っちゃ何だよ」

「天狗岩の近くにさ、いたんだよ。あそこら辺で背広なんか着ていちゃ、目立ってしようがねえでろうさあ。んでも、あの女は別嬪べっぴんだったのう」

 卓三が天狗岩近くにある松茸のシロを探していたとき、阿修羅が突然走り出して岩陰に姿を消した。卓三は何があったのだろうかと、腰を伸ばして周囲を見渡した。阿修羅が走った先には獣道のような林道がある。そこに一組の男女の姿があった。俳優のような顔立ちの男とうれいをびているがスラリとした美人の女が一緒だった。

 怪しげな者には容赦ようしゃない阿修羅だが、一向いっつこうにそんな身振りは見せずに、わずかに尾を振って女のそばに近寄っていた。

 卓三が声を掛けようとしたとき、軽く会釈して林道を下っていった。

「へえ、そんなことがあったのか・・・」

「ありゃあ、阿修羅とどっかであっているな。そうでなきゃ、ただじゃ済まねえものなあ」

「何していたんべ・・・」

「さあ、なあ・・・」

 そこに、紅彦が運転するジムニ-が帰ってきた。

 西に傾いていた太陽は山影に隠れ、夕闇がそこまで迫っていた。

 玄関からにぎやかな声が聞こえてきて、両手に紙袋を提げたタマが姿を見せた。

「あれ、父ちゃん、わざわざ迎えに来てくれたのかい」

「そうだって言いたいけんど、松茸を持ってきたんだっちゃ」

「なんだい、父ちゃん一人で松茸採りにいったのかぇ」

「そんでねえ、阿修羅を連れてったんださ」

「叔母さん、そこで綺麗な女と出くわしたんだってよ」

 サブがニヤニヤして話の腰を折った。

「誰だい、その人は?」

「俺は初めて会ったんだが、どうも阿修羅は前に会ったことがあるようだったなあ」

 霞がずんだ餅とお茶を運んできた。

「卓三さん、松茸をたくさんありがとうございます」

「あれっ、紅ちゃんはどうしたんだ?」

「納屋で阿修羅の世話をしています」

「そうかい」

「卓三さん、さっき話していた人たちって何?」

 霞はタマの横に座った。

 サブは作業場を片付け始めていた。

「天狗岩の近くで出会った奴らは、二人とも格好がいいんだけんど、何だか冷たそうなんだよね」

「どんな人?」

 卓三は二人の特徴などを思い出して話した。

 そこに紅彦がやって来た。

「紅彦さん、昼過ぎに宇多先生がやって来て、何か話がありそうだったけど、勝手にコ-ヒ-飲んで帰っていったぞ」

「サブ、師匠に向かって紅彦さんはねえだろうって、前から言っているだろうよ」

 タマに言われて、サブが肩をすくめた。

「何も伝言がないんだから、たいした用事じゃないだろう」

「紅彦さん、その女の人は、もしかしたら百合さんじゃないでしょうか?」

「天宮さんは東京へ戻ったんじゃなかったっけ?」

「ええ、でも何となく百合さんだと・・・」

「だとしたら、また百舌が動き出したのか・・・」

「この話は、宇多先生には言わねえ方がいいな」

 横からサブが口を挟んだ。

 この晩は、霞が仙台から買ってきた折り詰め寿司と豪快に焼いた松茸が食卓を飾り、気の置けない五人が夜食を共にした。


 次に日は朝から霧が立ちこめていた。

 その霧の中から、のっそりと夜叉丸が顔を出した。

 紅彦の携帯電話が鳴り、サブから連絡が入った。

「サブちゃん、どうかしたのですか?」

 霞が紅彦の顔を見た。

「いや、どうということはないんだけど、濃霧で来るのが遅れるからという電話だよ」

「また何かあったのかと思ったわ」

「あいつも顔を覚えられてしまったからな・・・」

「サブちゃん、近頃、腕を上げましたよねえ」

「あいつは意外と手先が器用なんだよ」

「良かったわねえ、紅彦さんに弟子ができて・・・」

「宗雅堂の水澤さんや宇多先生のお陰で大手の注文が来るようになったから、あいつにも給料が払えるようになったしなあ」

「きょうは仙台の三菱百貨店への納品日でしたね」

「昼過ぎに取りに来るそうだ」

 コ-ヒ-を飲みながら話していると、濃霧を切り裂いて軽トラックが入ってきた。

 大声で話しながら、サブとタマが部屋に上がってきた。

 タマが何やら大事そうに古びた風呂敷を抱えていた。

「紅ちゃん、サブを遅刻させちまって悪かったね」

「いや、急ぎ仕事は一段落しているから気にすることはないよ」

「そうかね、そりゃあ良かった」

「ところで、タマさん、それは?」

 紅彦が風呂敷を指さした。

「おお、そうだったよ。これを姉さんが実家から預かったてきて、霞さんに渡してくれって頼まれたのさね」

「叔母さん、またけが入ちまったぜ。それを早く言わねば駄目だんべよ」

「ところで、サブ。きょうはどうしてタマさんと一緒なんだ?」

「それがさあ、お袋がよ、それを叔母さんに見せてから霞さんに渡してくれってんでよ。まさか叔母さんをバイクの尻に《けつ》乗っけるわけにはいくめえよ。そんで、叔父さんの運転しずれえ軽トラに乗ってきたてな訳だよ」

「サブ、あんだは男のくせに、話が長すぎるんだよ」

「叔母さんの代わりに俺が説明したのに、そりゃあねえべよ」

 サブが角口つのくちになった。

「タマさん、それを見せて下さい」

「おお、そおだったね」

「叔母さん、早くしなよ」

「だから・・・、あんだが言うなって」

 サブの頭を小突いて、風呂敷を霞に渡した。 

 霞が古びた風呂敷を広げると、中にこれもまた黒漆塗りの桐箱が現れた。箱を開けると、中には刺繍ししゅうほどこされた布袋が入っており、箱の蓋裏ふたうらには、沙霧愛玩之龍笛と揮毫きごうされていた。

 房紐ふさひもほどいてみると、雅楽ががくで使われる龍笛りゅうてきと言われる横笛が入っていた。

「これは母上が大切にしていたものです。お月様が美しいよいに吹いていました。でも、どうして・・・」

「それがさあ、実家の倉でさ、また出たんだよ」

「叔母さん、お化けが出たみたいに言うんでねえよ」

「いつだったかね、霞さんのことを姉さんに話したんだよ。そしたらさ、姉さんがね、霞さんの母さんの形見が実家の倉に残ってるて言うんだよ」

「叔母さん、なして、うちのお袋が霞さんの母さんの名前を知ってるんだよ」

「ほんだからよ、茶飲み話にさ、霞さんのことをはなしたんださ。そんとき、霞さんは母親似で、名前は沙霧さんていうんだと、そんとき教えたのかもしれないねえ」

「やっぱり呆けが始まっちまったのか・・・」

 そのとき、霞が龍笛を吹き始めた。

 深い霧のなかに嫋々じょうじょうとした笛の音が流れ、草庵に一時ひとときの静寂が舞い降りた。

 いつの間にか、阿修羅も霞がかなでる音色に誘われたかのように縁側の前に立っていた。

「霞さんが吹くと、いいねえ・・・」

「タマさん、どうしてタマさんの実家にあったんだろうか?」

 さきほどから聞きたがっていたことを紅彦がたずねた。

「そうだよ、叔母さん、それが抜けてただんべさ」

「そうだったね」

「しっかりしなよ、叔母さん」

 霞も龍笛を手にして、タマを見つめていた。

「う~ん、ちょっと待ってな・・・。もう何十年前の子供の頃に祖父さんに聞いた話だからさ、記憶が途切れ途切れなんだよ」

「もう、しょうがねえなあ」

「わたしの実家は阿倍って言うんだけどね」

「叔母さん、それはみんな知ってるよ」

「サブ、話の腰を折るんじゃねえ」

 もたサブは頭をコツンと小突かれた。

「霞さんのお母さんは、化け物みたいなひぐまに襲われて亡くなってしまったんだってね。霞さん、ひどいことを思い出させてしまってごめんね」

「大丈夫よ、タマさん。話を進めて・・・」

「お母さんの法要のことをおぼえてるかい」

「ええ、よく覚えています」   

「そんとき、お母さん、沙霧さんのお父さんも臨席りんせきしたでしょう」

「阿倍のお祖父様もいらっしゃってました」

「なんでもね、そんときにね、霞さんのお父さんがね、沙霧さんの形見だってこの龍笛を渡したんだって。嘘か、本当か、後で作られた話か分かんねえけどさ、その日に供養していた坊さんがさ、その箱書きは拙僧せっそうがすると言って、強引に書いてしまったそうだよ。何か、思い出せないかい」

 タマは一息ついて、霞を見つめた。

「あの日、弘忍様が・・・」

「あいつが、やりそうなことだな」

 思わず紅彦が横から口を挟んだ。

「そんだらことをね、実家の祖父さんからね、まだ小っちゃい頃に聞いたことを思い出したんだよ。夕べ何食ったか覚えてねえのに、何十年も前のことがつい昨日のように思い出すなんて、どうなっちまったんだろうかねえ」

「そんで、叔母さんよ、なんでお袋の実家にあったんだよ」

 サブも気になるらしい。

「それがさあ、よく分からねえんだよ」

「いや待てよ。俺は分かったぞ」

「何が分かったんだよ。サブの頭でも分かることがあるのかい」

「叔母さん、びっくりするなよ。俺と霞さんは、何と親戚だったんだよ」

「何を寝ぼけたこと言ってんだよ」

「あのな、叔母さん。叔母さんのもお袋も、旧姓は阿倍だんべ。よ~く考えてみなよ。霞さんの母さんも旧姓は阿倍だぞ。んだからよお、俺んちはよ、霞さんのお祖父さんの子孫かもしれねえじゃねえか」

 サブが珍しく熱弁を振るっていた。

「なるほどって言いたいところだけど、あたしの兄弟姉妹はちっとも霞さんと似てないじゃねえか」

「叔母さんやお袋は、とっくの昔に血が薄くなってしまって、安倍川ぐれえになっちまったんだな」

「タマさん、サブの言うことも満更まんざら出鱈目でたらめとは言えないかもしれないよ」

「紅ちゃんまで・・・、そんだらことねえでねえか」

「いや、流転るてんえんがあるところに飛ばされるのかもしれないよ」

「紅ちゃん、それじゃ、霞さんはあたしの娘っていうことにしておこうかね」

「それじゃ、霞さんが迷惑っちゅうもんだべ」

「タマさんやサブちゃんと親戚だなんて、ほんとうに心強いわ」

「いやあ、まいったな、それじゃあ、紅彦さんと俺は義兄弟みたいなもんだっちゃ」

「サブ、調子こくんでねえ。この子は、月とスッポンちゅうことが分かっていねえんだから・・・」

「タマさん、おなかすいたでしょう。今、お昼ご飯をお持ちしますから、きょうはゆっくりしていってください」

「もうそんな時刻になってたのか。んでも、父ちゃんが待っているから・・・」

「叔母さん、ご馳走ちそうになるべ。大丈夫だよ、叔父さんはインスタントラ-メンでも食ってるよ」

「んじゃ、お言葉に甘えて、そうすんべか。霞さん、忙しいのに悪いねえ・・・」

「叔母さん、いいんだよ、親戚だから・・・」

「お前が言わなくてもいいんだよ」

 賑やかな昼食が終わる頃には、濃霧が薄らいで日が差していた。

 

 銀座のシュライクでは百舌の幹部会議が開かれていた。

「黒木君、現状と今後の方針を説明してくれんか」

「はい、これまでの経過報告はすでに済ませてあるはずですが、再度ご説明いたしますか?」

 黒木たちを指揮するのは公の国家組織には規定されておらず、ごく一部の者しか承知していない。そして、百舌を支配する者は一年足らずで異動してしまう。日本の情報機関は、以前から内閣、警察庁、そして防衛省の内部に設置されていると言われているが、その実態は明らかになっていない。

 黒木はこれまでの経過を詳細に報告し、これから実行する作戦の概要を説明した。

「そうか、今、現地に駐屯ちゅうとんするのは誰かね?」

「はい、盛岡に田宮と石川の二名が、一関に天宮と伊東の二名を配置して詳細な情報収集と鉄門一家の監視をさせております」

「天宮君は負傷したと聞いているが、通常勤務ができるのかね」

「はい、軽傷でしたので問題ありません」

「それで、どうなのかね?」

「はい、どうやら埋もれている文化財を鉄門一家も嗅ぎつけて、横取りを画策かくさくしているようです」

「黒木君、反社はんしゃの連中はどうっていうことはないだろう。その組織が消え去ったとしても、誰にも迷惑はかからんし、闇から闇へ消し去ればいい。後始末はK機関に任せてある」

「ありがとうございます」

「そのようなことだから、今後は手加減せずにやりたまえ」

「承知しました」

「では、後のことは黒木君に任せたよ」

 濃紺のダブルス-ツの紳士は、二人の屈強くっきょうな男にガ-ドされて部屋を後にした。

「平岩君は田宮チ-ムの、松田君は天宮チ-ムの後方支援に、菊池君は鉄門一家の監視、原君は藤原の監視についてくれ」

 テ-ブルの上には岩泉と一関周辺の地図が広げられており、それぞれ数カ所に朱書でマ-クが記載されていた。

「では、とくに質問が無ければ散会とする。これは老婆心だが、原君、一般人の藤原には細心の注意を払ってくれ」

「了解しました」

 営業マンと変わらない格好かっこうをしたメンバ-が、それぞれ街の中に溶け込んで行った。


 草庵に見慣れたベンツが走り込んで来た。

 阿修羅がのっそりと車に近づいた。

「何だ、出迎えか。やっぱり、おめえが一番賢いなあ」

 相変わらず賑やかに宇多がやって来た。

 いつものことながら勝手に上がりこんで、タマたちがくつろいでいる茶の間へ顔を出した。

「何だ、まだ昼飯を食ってたのか」

「もう済みましたが、先生はまだですか?」

「いや、もう食った」

「先生よお、きょうは何の用事だよ」

「サブ、おめえに、そんだらことが言えるのか」

「何言ってるんだい、俺と先生の中でねえか」

「サブ、あんだは、もうちょっと何とかならねえのか」

「タマさん、いいんだよ。サブは物怖ものおじしねえところが唯一ゆいいつの取り柄なんだからよ」

「宇多先生には何かと世話になっているのに、何とまあ罰当たりなおいっこだよ。先生、こいつを甘やかさないで、たんと鍛えてください」

「いやあ、まいったなあ」

 サブが頭を掻きながら萩の月を口に放り込んだ。

「紅彦、面白えのが手に入ったぞ」

「何ですか?」

 太い眉毛の下で涼やかな目が笑っている。

「この間、仙台へ行ったときによ、花京院の宗雅堂に寄ったんだよ。そんとき、水澤のおっちゃんが奥からもってきたんだよ」

 絞り染めの風呂敷をテ-ブルの上に置いた。

「これを開けてみろ」

随分ずいぶん古そうな箱ですね」

「おお、だいぶすすけちまったな」

「何の木でしょうねえ」

「水澤のおっちゃんは、イチイじゃねえかと言ってたがなあ」

 紅彦の隣に霞が座って手元を見ていた。

ふたを開けると、長い年月を経てほころびそうになっている古布こふに包まれた短刀が入っていた。

 蝦夷拵えぞこしらえの中には、両刃もろはの短剣が鈍い光を発していた。

「先生、これは・・・」

「ああ、ウメガイだよ」

「これと同じようなものをサクドガの人たちが持ってたわ」

「霞さんならすぐに分かるんじゃねえかと思ってたよ」

 サブとタマが興味津々で三人を代わるがわる見ている。

「紅彦、なかごを見てみろ」

「・・・」

 差表さしおもて紅龍生誕紅龍生誕差裏さしうら茎尻なかごじりに小さく宗と一字が刻されていた。良く鍛えられた玉鋼は不純物を排出しているので、気の遠くなるような年月を経ても綺麗な地肌を見せていた。

「どうも分かんねえんだよ、その紅龍てのがな・・・」

「紅彦さん、ちょっと見せて下さい」

 霞が何か思い当たる節があるような顔をして短剣を手にした。

「これは父が鍛造したものに間違いがありません。でもどうして宗綱ではなく宗の一字なのでしょう・・・」

「霞さん、差表の銘はどうなんだ?」

「紅彦さん、サクドガの里で坐弓見ざくみ様から聞いた話をしてもいいかしら?」

 それはこの世界へ流転する前のこと。霞が坐弓見から聞いたことを、記憶を辿たどりながら静かに話し始めた。

「坐弓見様には妹さんがいたそうです。その方は都である屋敷で働いていたそうですが、ある日、暇をもらってサクドガの里に帰ってきたそうです。そのときには、すでにお腹の中には赤ちゃんがいたそうです。里に帰ってきてから男の子を産んだそうです。でも、その子が生後半年の頃、サクドガのやしろの前で、まるで神隠しにでも遭ったように掻き消えてしまったそうです。その男の子は、紅龍ぐりょうと名付けられ、いつも紅色の着物を着せられていたそうです」

「へ~え、そんなことがあったのかい。その子の母さんは嘆き悲しんだろうねえ、可哀想だよ・・・」

「タマさん、それが元でお身体を壊して、まもなくお亡くなりになられたそうです」

「気の毒になあ・・・」

 遠い昔の出来事なのに、タマは涙ぐんでいた。

 サブは先ほどから紅彦の顔を穴が開くほど見つめている。

「そうだったわ。その紅龍という子の父親は藤原一族の方らしいんだけれど、坐弓見様もはっきりしたことは分からないと言っておられました」

「ということは、この短剣は紅龍って奴の誕生記念のものだっちゅうんかい」

「きっと、坐弓見様に頼まれて父が鍛造したのだと思います」

 霞はそろっと短剣を戻した。

「紅彦、おめえ、確か名字は藤原だったな」

「先生、今更何を言ってるんだよ。先生も叔母さんと同じように呆けが始まっちまったのかい」

「サブ、おめえもちっとは頭が働かねえのかい」

「そうだよ、サブは霞さんの爪のあかをもらってな、せんじて飲みな」

「タマさん、それじゃ、サブの野郎が喜んじゃうべ」

「先生まで何を言ってやがるんだよ」

 深刻そうな話のときには、大抵たいていサブが血祭りに上げられて座をとりなすことになっている。

「それにしても、きょうは色々なことが起きるねえ・・・」

「この短剣以外に何があったんだ、タマさん」

「実家で霞さんの母さんの笛が見つかったんだよ」

「笛って・・・?」

「これです」

 霞が宇多に手渡した。

「こりゃあ、能楽で使う龍笛っていう笛だぞ。これを霞さんのお母さんが吹いていたのか」

「はい、時折ですけれども・・・。月の美しい晩には父と母が縁側に座って、母が龍笛を吹いていました。

「そういうことだったのか、ず~っと気になっていたことが、今ようやくすっきりした。紅彦、おめえは孤児みなしごだって言ってたな。これで辻褄つじつまがあったっていうもんだ」

「先生よ、何の辻褄があったんだよ?」

「あのな、そのうちにな・・・。それより、霞さん、俺にもその龍笛の音色を聞かせてくれねえか・・・」

 霞が奏でる幽玄な調べが禹烏うとケ森に響き、納屋からのっそりと歩いてきた阿修羅が縁側の前に座り、眠そうな目をして聞き入っていた。宇多も目を閉じて柱にもたれかかり、これから湧き起こりそうな予感を払拭ふっしょくするかのように胡座あぐらをかいて気を静めている。

 禹烏ケ森にもやっていた霧は消え去り、草庵から流れる笛の音が辺り一面の静けさをさらに深めていた。


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続・紅夜叉《べにやしゃ》 菴 良介 <いおりりょうすけ> @sourinan

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