四  藤袴《ふじばかま》


季節は秋を迎えていた。

観音山の舞草神社が調査されていた。明治の廃仏毀釈の ときに移された仁王像の安置形態と随神門の建立形態に関する調査だという。県の教育委員会には、古代仏閣研究会から調査の申請がなされていた。

烏兎ケ森の草庵では、紅彦とサブが忙しく働いていた。

京都の老舗からまとまった注文がきたのだ。

「お茶が入りましたよ」

仕事場に霞が顔を出した。

 サブが来てから、縁側を拡張して仕事場を増築したのだった。

「サブ、一服しようか」

「もうちっとで片が付くから、紅彦さん、先にやっててください」

ネジり鉢巻で一心不乱に小さなハンマーを叩いている。

「ここんとこ、サブちゃん見違えるようになったわねえ」

霞がサブの後に回り、作業を覗き込んだ。

「まあ、綺麗・・・」

「そんだらこと言われたら、手元が狂ってしまうだよ。霞さんも落ち着いて、お茶を飲んでてください」

サブは、うっすらと顔を赤らめている。

「・・・声かけたけど、返事がないから上がっってしまったよ」

タマが仕事場に上がって来た。

「あら、すみません」

「あれ、霞さんはこっちにいたのかい」

まるで自分の家のように、無遠慮に部屋に入って来た。

「サブは、ちゃんと仕事してたんかい?」

「このところ張り切っているんですよ」

紅彦の隣に霞が座って、タマに座布団を差し出した。

「へーえ、どんな風の吹き回しだろうねえ」

「叔母さん、どんな風とは、そりゃあなかんべよ。紅彦さんも何か言ってよ」

「サブ、お師匠様に向かって、紅彦さんはねえべ」

サブが頭を掻きながら、タマの横に腰を下ろした。

「きょうは何の用だい?」

「何だね、さっきは、せっかく人が褒めてやったんだから、口のきき方も何とかならないのかねえ・・・」

「タマさん、サブちゃんは、あれから随分と上達したんですよ。ねえ、紅彦さん」

横で紅彦が笑っている。

「そうかね。霞さんが言うんじゃ、信用しないわけにはいかないねえ」

「ところで、用は何だよ?」

「あっ、そうだった」

「これだよ。俺は叔母さんに似たんだな」

タマが軽くサブの頭を小突いた。

「紅ちゃん、ようやく見つかったよ。これだろう、捜していたのは?」

タマが小さく折られた奉書を差し出した。

「これをどこで?」

「短刀のはこさね」

得意そうな顔をしてタマが胸を張った。

「ほら、霞さんのお父さんが造った短刀、あの匣が二重底になってたんだっちゃ」

「叔母さん、よく分かったんじゃねえか」

サブが茶化した。

「なあに、どうってことはないさね。と言いたいとこだけど、そりゃあ、もう大変だったんだよ」

「どうして分かったのですか?」

霞が促した。

「それがね、また実家に行って、蔵探しをしたんださ。いやーあ、まいっちゃったよ」

「タマさんには面倒をかけてしまったねえ」

「紅ちゃんの頼みだもの、ましてや、ここにいるボンクラを預かってもらっているんだもの、気合いの入れ方が違うわねえ」

「叔母さん、そういう言い方はなかんべよ」

サブがぼやいた。

「かれこれ、三日も通ったんだけんども、どこにもねえのさ。実家からは、何を探しているだとか聞かれるし、ほとほと困っちまったんださ。そんで、思いあぐねてねえ。そしたら、父ちゃんもたまにはいいことを言うもんだな。俺にあの短刀を見せろと言うんだよ。面倒くせえから、あの桐匣きりばこごと渡したらさあ、これはおかしいって言うんだよ」

「なんだい。叔父さんも惚けたのかい?」

「馬鹿、あれで、父ちゃんもなかなかしっかりしてるんだよ」

タマが胸を張った。

「それで二重底を見つけたんですね?」

霞がお茶を入れた。

「そうなんだよ」

「へーえ・・・」

 タマがうまそうにお茶を飲み込んだ。

「何を魂消てんだよ。お前もしゃきっとせねば駄目だぞ」

「まいったなあ・・・」

三人の会話を横目に、紅彦が奉書を開き、そこに書き込まれている絵図面に見入っていた。先ほどから気になっていた霞が、紅彦に寄り添うようにして手元を覗き込んだ。

「紅ちゃん、一昨日のことなんだけどさあ、若いいい男が二人やって来てさあ、昔のことを色々と聞くんだよ」

夢中で図面を見ている紅彦に、遠慮がちにタマが話しかけた。

「どんな人?」

紅彦が顔を上げた。

「何とか研究会って言ってたけど、今、舞草神社のことを調査しているらしいだよ」

「叔母さん、そいつら悪そうな顔していたんでねえのかい?」

「何言ってんだよ。お前よりもずーっといい男さね」

「そんな筈はねえだろう」

「それがだよ、二人とも紳士で、賢そうな顔をしてたよ。歳の頃は三十前といったところかな。ありゃあ、東京の人だなあ」

「タマさん、どんなことを聞かれたの?」

霞が尋ねた。

「最初はね、随神門にあった仁王様を、どうして動かしたのかとか、観音山に舞草神社が祀られた理由とか、その頃の文書が残っていないか聞いてたんだけどね、そのうち、安倍にまつわることを教えてくれっていうんだっちゃ。私が安倍の血を引く者だって、あの人たちはよく調べてんだよ」

「ふーん」

紅彦はタマの顔を見た。

「そのことをね、紅ちゃんに話しておいた方がいいだろうと思ってね」

「タマさんは、どんな感じがしたの?」

霞も興味を示した。

「ここが陸奥むつと言われていた頃、安倍一族のことも知りたいって言われてね、私は学がねえから分かんねえって言ったのに、勝手に話し出すんさね」

「酷え野郎だなあ。叔母さんの顔を見れば、そんなことは分かんべよ」

「霞さん、サブは昼飯抜きでいいよ」

タマは、サブを一睨ひとにらみしてから続けた。

「舞草神社は、本当は刀鍛冶にまつわるものを封印するためのものじゃねえかとか、元々は神社が建立される前には安倍家の菩提寺があったんじゃねえのかとか、また、こんなことも言ってたよ。陸奥時代にはここに大きな日本犬がいたらしいが、その伝説を聞いていねえかってね」

「そりゃあ、阿修羅のことでねえか」

サブが大声を張り上げると、縁側から阿修羅がのっそりと顔を出した。

「阿修羅は賢いねえ、うちのサブとは大違いだよ」

阿修羅が軽く尾を振った。

「何だか、薄気味悪いんだよ。何かが渦巻いて、紅ちゃんと霞さんの周りで動き出しているような気がしてならねえんだ」

タマは不安そうな表情で二人を見た。

「タマさん、心配することはないよ」

「大丈夫よ、タマさん。私には紅彦さんも阿修羅もついているし、ちっとも心配することなんかないわ」

霞が殊更明るく言った。

「霞さん、俺のこと忘れてんべよ」

サブが口を尖らせた。

「もちろん、サブちゃんも宇多先生もいるから、とても心強いわ」

「私は?」

「タマさんは別格ですわ。母親代わりですもの・・・」

「私もこんな綺麗な娘がいたらいいなって、常日頃から思ってたんだよ。そうかい、そうかい・・・」

嬉しそうにタマの顔がほころんだ。


その頃、仙台で黒野組社長の後藤が安東恵と会っていた。後藤は、昨晩、鉄門一家組長の佐藤と豪遊して酷い二日酔いだった。国分町から東一番町のクラブを五軒梯子してようやく解放されたのだ。

「よりによって、飲みに行くのに、何で子犬なんか連れてくんだよ」

「えーっ、ずーっと一緒だったの?」

恵が驚いた顔をした。

「俺んとこから連れてった奴だけどさ、しかし、あれはねえだろう」

「後藤さんとこのは、確か、グレートデーンとかいう種類でしたよねえ」

恵も後藤の家までは行ったことがないが、寝物語に何度か聞いたことがあった。

「あの野郎、子犬にホスエスの乳首をくわがせやがんだよ」

「気持ち悪い・・・」

「それがよ、そのホステスが気持ちいい、男よりも上手だなんて言いやがった」

「あーっ、もしかしたら、うらやましかったんじゃないの?」

恵が後藤の腕を叩いた。

「俺はこっちの方がいいよ」

後藤が恵の乳房を撫でた。

「馬鹿ねえ」

恵は後藤の手を叩いて立ち上がり、宝石箱から純金の指輪を取り出した。

「誰に貰ったんだい?」

「違うわよ。これは、私が草庵に注文して特別に造らせたものよ」

「どれ、この模様はどっかで見たことがあるような気がするぞ」

後藤が小首を捻った。

「でしょう。これはね、草庵の奥さんのペンダントの模様を真似したの」

「ああ、あれか・・・」

「後藤さんが分捕ぶんどろうとした奴よ」

「そいつは聞こえが悪かろう」

二人は顔を見合わせ、薄笑いを浮かべた。

「それで、観音山のお宝はどうなったの?」

「どうもこうもねえよ。鉄門の連中がこってんぱんにやられちまったよ」

後藤が苦虫を噛み潰した顔をした。

「誰に?」

「その指輪を作った奴によ」

「えーっ、藤原さんて、そんなに強いの?」

恵の瞳が怪しく輝いた。

「居合斬りがすげえらしい」

「本物の刀なの?」

「あたりめえだろう」

後藤が吐き捨てるように言った。

「それであきらめてしまったんだ・・・」

恵が後藤の顔を覗き込んだ。

「馬鹿言え、続きがあるんだよ」

「・・・」

「早池峰山の北の方に、サクドガ森っていう山があってな、藤原が女房を連れてその山に入ったらしい。登山の格好でな」

「何しにいったのかしら?」

「それだよ。鉄門の連中が後をつけて行ったんだけどな、そこで犬に噛まれるわ、藤原に斬られるわで、佐藤組長も面子丸潰れだ」

「へーっ、斬られたの・・・」

「ああ、佐藤さんがカンカンだったよ」

「何か、藤原って、やばそうねえ」

「でも、このままじゃすまねえだろう」

「やくざの面子めんつか・・・」

恵が後藤の肩にしなだれた。

「今度は俺んとこの連中を五、六人出さなくちゃなんねえのよ」

後藤は、溜息と一緒に煙草の煙を吐き出した。煙は大きな輪を作り、天井に当たった。

「喧嘩の助っ人で?」

恵が驚いた声をあげた。

「まさか。土木作業員をサクドガ森に寄越してくれって、佐藤さんに頼まれてな。そもそも、俺が持ち込んだ話で組員が斬られているんだから、仕様がねえよ」

「お宝があったのかしら?」

「さあなあ・・・」

「どれくらいになるのかしら?」

「見当もつかねえなあ」

「二、三十億円ぐらいあるのかしら?」

浮かない表情の後藤とは対照的に、恵は浮き浮きした目をして細い煙草をくわえた。恵の膝にパピヨンが飛び乗り、頬ずりした恵の口をペチャペチャと音を立てて舐めた。


サクドガ森の社跡やしろあとでは、藤袴が辺り一面に芳しい香りを漂わせ、淡い紫色の花を咲かせていた。

遠くで野猿の鋭い鳴き声がした。

紅葉にはまだ早い広葉樹林を、紅彦と霞が歩いている。二人の背には、キャンプ道具が重そうに担がれていた。枯れ葉を踏む音が、山雀や四十雀を驚かせて、木々から飛び出させていた。阿修羅は二人から離れ、樹林や藪の中を動き回っている。

「宇多先生にここに来るって話したとき、先生は一緒に来たがっていましたねえ」

 霞は額にうっすらと汗を浮かべていた。

「小学校で予防接種があるから、それをサボるわけにはいかないだろう」

「でも、先生ったら、うらやましそうな顔をしていまいたよ」

霞が思い出したように笑った。

「あの人は子供と同じだから、思いついたら居ても立ってもいられないんだよ」

「とても、お医者様には見えませんよねえ」

近くで野猿の叫ぶ鋭い声がした。

 同時に、野犬の怒声が樹林に響き渡った。

「何があったのかしら?」

霞は声がした方角を見つめた。

「犬と猿の縄張り争いだろう」

「・・・だと、いいんだけれど・・・」

「あっ、阿修羅の野郎、すっとんで行ったぞ」

さっきまで見え隠れしていた阿修羅が、樹林に姿を消していた。

「行って見よう」

紅彦は走り出していた。

目の前の大櫟おおくぬぎの太い枝に野猿が群れ、下に向かって牙を剥いていた。阿修羅は野犬の群れを無視した形で、野猿の視線の先を凝視していた。そこには、野犬から逃げ遅れた小猿が一匹、枯木の幹にしがみついて震えていた。

「紅彦さん・・・」

霞が紅彦の腕をつかんだ。

「ほら、阿修羅を見ろよ」

子牛ほどもある阿修羅が、野犬に向かってのっそりと動き出した。野犬の群れが警戒して一斉に威嚇してきたが、阿修羅はどこ吹く風で小猿に近づいた。小猿は怯えた眼で阿修羅を見て、一声甲高く啼いた。

野猿の群れが騒いだ。

野犬が小猿を銜えようとしたその刹那、阿修羅の体躯が躍動した。一瞬速く小猿を銜え、驚くほど高く跳躍して、そのまま小猿を空中に放り投げた。小猿は、野猿の群れがたかっている枝にすがりつき、母猿の胸に潜り込んだ。

阿修羅は着地すると同時に野犬の群れに突入し、ボスの紀州犬に体当たりした。数を頼りとする野犬には、幾多の修羅場を潜ってきた阿修羅の敵ではなかった。

「阿修羅はすごいわねえ」

霞は紅彦に腕を絡めた。

「あいつの前には敵なしだな」

「このところ夜叉丸と同じような風格が出てきましたねえ」

霞が目を細めた。

「でも、あいつはまだガキだ」

「まだ紅彦さんに甘えたいのよ」

野猿が一際甲高く啼き、深い森に消え去った。阿修羅は小猿が消えていった方向をしばらく眺めていたが、きびすを返して霞の前に戻ってきた。

野犬の群れは、まるで波が引くように姿を消していた。

「さあ、行こうか」

「さっきの群れは、先だっての群れとは別のものでしたわよね。どうしてこんなに野犬が多いのかしら?」

霞は野犬が姿を消した樹林に目をやった。

「無責任な人間が多いからさ・・・」

「みんな捨てられてしまったのですね」

「ああ、とことん最後まで面倒をみる人が段々と少なくなってしまった」

「じゃあ、阿修羅は幸せねえ」

自分の名前を言われたので、阿修羅は霞の顔を仰ぎ見た。

阿修羅を従えて、二人は獣道を登った。


仙台駅に男が降り立った。

黒革製の細長い筒状のようなケースを肩に吊し、南口改札口から人並みに飲まれて一階に降り、タクシーで国分町に向かった。

鉄門一家から黒のベンツが走り出た。

ベンツは、高松の蛍が池にある組長の屋敷を目指していた。大きな墓地を過ぎ、やや下り坂の細い道を抜け、枯れたあしが目につく池の畔にある豪邸に吸い込まれるように入った。広大な屋敷には、母屋の他に数棟の建物があり、一見、老舗しにせの料亭と見間違うようなたたずまいをしていた。

「組長、お連れいたしました」

二十畳ほどあるリビングで寛<くつろ>いでいた佐藤が、ゆっくりと首を回して若い組員を見た。

「客間か?」

「はい、今、兄さんがお相手しております」

「すぐに行くと伝えておけ」

佐藤は組員の後ろ姿を眺めていたが、重い腰を上げ、長い廊下を客室へと向かった。

「おお、峠さん、遠路ご足労頂き、誠に有り難いことです」

「・・・峠です」

「いつ着かれましたかな?」

「はあ、つい先程・・・」

「峠さん、膝を崩してくつろいでください」

「・・・」

「おい、峠さんにビールをお出ししなさい」

先ほどの若い組員に命じた。

「いえ、今は酒を断っていますから・・・」

俯き加減で峠が呟いた。

「そうですか。それじゃあ、そっちは無理に進めませんが、私のコレクションを見てみますかな?」

「コレクション?」

「おい、奥からあれを持ってこい」

佐藤が組員に顎をしゃくった。

「峠さん、あなたは居合の達人だそうだね。刀剣の目利きも得意ですかな?」

「先だっては、清麿を・・・」

峠が頭を下げた。

「どうですかな、清麿の切れ味は?」

佐藤の目が笑っていた。

「はあ、あれは斬るにはまだ惜しくて、寝刃ねたばを合わせておりませんので・・・」

「なあに、惜しいことはありませんよ。名刀は斬るために造られてるんですから、存分に試してみればいいですよ」

「・・・」

「峠さん、新撰組組長近藤勇が使っていた刀を知ってますか?」

佐藤は悪戯そうな目をしていた。

「世間では虎徹と言われていますが、あれは大名が持つ刀です。武州の郷士ごときが腰にできるものじゃないんですがねぇ」

「峠さんも博識ですなあ。あれは清麿を磨上て、虎徹と銘を切ったんですなあ」

「・・・」

「まあ、それだけ清麿も見込まれたとということですかな」

そこに刀箱を抱えて、先ほどの組員が部屋に入ってきた。

「さあ、峠さん、見てください」

佐藤が促した。

その箱には、白鞘拵の日本刀が三口さんふり入っていた。腰反りの強い長目の鞘を、滑らせるように刀身を抜いた峠の双眸が光を帯びた。

「如何ですかな?」

「これは・・・」

峠の双眸が光った。

「いい出来だろう」

「来国俊、二尺四寸、大磨上げ・・・」

流石さすがですなあ」

佐藤が豪快に笑った。

「さあ、遠慮されずに、全部見てください」

佐藤に促されて、峠は次の白鞘を抜いた。

「これは・・・、豊後國行平、鎌倉初期の名工とうたわれた鍛冶ですね」

「姿は優しいが、なかなかの業物わざものですよ」

「・・・」

「その二口は差し上げる訳にはいきませんが、もう一口あるでしょう。そいつは差し上げましょう」

峠は無言で白鞘を抜いた。

「相州物ですか・・・、時代は南北朝辺りかな・・・」

峠が小首を捻った。

「佩裏に薄雲と銘が切ってあります。二尺三寸一分、重ねがやや薄く、身幅が広く、手持ちが良くて使い易いですよ」

佐藤が目を細めた。

「そうそう頂くわけにはいかんでしょう」

「峠さん、遠慮されることはない。これはタダ同然で私の手に入ってきた物です」

「しかし、これほどの業物を頂戴するわけにはいかんでしょう」

刀身を静かに鞘に戻した。

「峠さん、それを拵に収めませんか」

佐藤が部屋の隅に控えていた組の者に命じて、黒石目の鞘と武蔵拵の柄頭を峠に渡した。

「峠さん、いかがですかな?」

「これは実践向きの拵ですなあ」

海鼠鍔なまこつばを撫でながら峠が呟くように言った。

「庭に巻藁まきわらが用意してあります。斬ってみますか?」

佐藤の目が笑っている。

「峠さん、宗綱も切れるそうだが、そいつも、そんじょそこらの物を斬ってもへこたれませんよ」

峠を促して、佐藤は座敷から庭に降りた。


烏兎ヶ森の草庵に珍客があった。

宗雅堂の水澤が顔を見せていた。

「そうなんだよ。師匠はサクドガに行っちまったんだよ」

「何だか不服そうだよ、サブちゃん?」

水澤の目が笑っている。

「俺はいつも留守番だっちゃ」

「でも、二人の邪魔をしちゃ悪いよ」

「そんだらことじゃねえんだって。師匠が動くと、決まって何かが起きるんだっちゃ」

サブが不安そうな顔をした。

「そんで、きょうは何の用ですか?」

「サブちゃん、何の用だはないだろう」

水澤が声を出して笑った。

「いやー、邪険にするつもりはねがったんだども・・・」

サブが頭を掻いた。

「実はね、宇多先生から電話があってさあ、紅ちゃんのところにこれを届けて置いてくれって言われてさあ・・・」

水澤は勿体をつけて、唐草模様の風呂敷をほどいた。

「これはね、陸奥の雫って言われているものでね、蕨刀わらびとうなんだよ」

「蕨刀?」

「ああ、サブちゃんは知らないだろうけれどもね、舞草刀って聞いたことがあるだろう。それの原形だよ」

「舞草刀なら俺だって知ってるよ。厳美渓の博物館で見たことがあるよ」

「へえー、やっぱり紅ちゃんの弟子だねえ」

「いやあ、霞さんのお父さんがどんな刀を造っていたのか知りたくて・・・」

サブが照れ臭そうに頭を掻いた。

「んでも、その刀、何だか安物みてえだぞ」

「はっはっはっは・・・。サブちゃんにかかっちゃ、たまらないねえ」

「そんだら、値打ち物かい?」

サブは蕨刀を手に持って眺めた。

「サブちゃん、私は仙台に帰らなくてはならないから、それはサブちゃんから宇多先生に渡してくれる?」

水澤は座布団が暖まらないうちに、そそくさと帰ってしまった。

サブはしばらく蕨刀を眺めていたが、桐箱に戻すと、何事もなかったように彫金の作業に没頭していった。

宇多が草庵に顔を見せたのは、秋の陽が烏兎ヶ森に傾いた頃だった。

「おう、紅彦から連絡はねえのか?」

玄関に入ってくるなり、靴を脱ぐのももどかしそうにして、ずかずかと作業場に太い眉毛の顔を突き出した。

「なんだい、先生かい。魂消るでねえか」

作業の手を休めて、後ろを振り向いた。

「お前でも魂消るのかい?」

「心臓によくねえぞ。先生は医者だんべよ。そのくれえ分かるべよ」

サブが角口をしていた。

「何をむくれてるだい?」

「むくれてなんかいねえよ」

「ははーん、お前は留守番になったもんで、そんでガキみてえに

いじけてんだな」

宇多の目が笑っていた。

「先生、そんだらこど言ってっと、宗雅堂の届け物渡さねえぞ」

「それを早く言わねば駄目だべ」

宇多は部屋を見回した。

「サブ、早く持って来い」

「ありゃあ、どっかの古墳を盗掘してきた奴でねえのか?」

サブが腰を上げた。

「馬鹿こいてんでねえ。そんなもんじゃねえぞ。早くもってこ」

「そんじゃ、仕様がねえから持ってくっか」

「いいから、早くもってこ」

宇多は勝手にお茶を入れて、旨そうに喉をならした。

「先生、蕨刀っちゃ、格好悪りいぞや」

サブが大事そうに桐箱を抱えてきた。

「お前に分かるのかよ?」

「だってよ、柄頭がでんでん虫みてえでよ、何だかドンくせえじゃねえか」

「お前、鋭いじゃねえか。ここに謎が隠されているんだよ」

宇多の手元をサブが覗き込んだ。

「へーえ、そうは見えねえがなあ・・・」

「それがトーシローだっちゅうの」

「そんじゃ、早く教えろよ」

サブが角口をした。

「ほら、ここ見てみろ」

「・・・」

「何だ、分かんねえのか?」

「あっ・・・」

「なっ、すげえだろう」

渦巻きの形をした柄頭が、宇多の掌の中で二つに割れていた。

「先生、そりゃあ何だよ?」

「これはな、砂金の親分だよ。粒金つぶきんと言ってな、大昔はべらぼうに採れたそうだ」

「粒金・・・?」

「なんだ、お前は・・・。紅彦と霞さんが捜しているのが、これだんべよ」

「あっ・・・」

宇多がサブの頭を小突いた。

「先生、何で蕨刀にこれが入ってたんだべ」

サブは小首をかしげた。

「ほんとにお前はボンクラだな。阿手流為はな、蕨刀を蝦夷の象徴だと思ってたんだ」

「そんで・・・?」

訝しげな顔をしているサブを見つめながら宇多は話を続けた。

「これが入っていたとこにな、弘忍って書き込んであったのよ。これが分かるか?」

「あっ、そりゃあ、紅彦さんの友達でねえか。そんじゃ、弘忍がこれを隠してたんじゃねえのか?」

まん丸い目をしてサブが宇多を見た。

「おうよ、それを紅彦に知らせたくて、こうやって忙しいのにやって来たんじゃねえか」

「へーえ」

「あいつらは何処をほっつき歩いてやがんのかなあ・・・」

宇多は目を細めて、烏兎ヶ森に沈む太陽を眺めた。


闇が広がっていた。

夜の静寂に梟の鳴く声が響いた。

 阿修羅は先ほどから姿が見えない。

 夜のとばりがおりて、漆黒の世界が二人が野営するテントを包み込んでいった。

 翌朝、天女岩を目指して上ってくる二つのグル-プがあった。端正な顔立ちの男が二人、別のル-トからは目つきの良くない五人の男たちが雑然と天女岩にむかっていた。

 端正な男たちは百舌の特殊捜査班に属する田宮明と石川順一で、巧みにドロ-ンを操作していた。天宮百合が負傷して本部付となり、その後任としてやって来たのだ。

「田宮さん、変な奴らが映ってます」

「何人だ?」

「ちょっと待って下さい。・・・木々に隠れて見え隠れしていますが、五人確認できます」

「あそこでドロ-ンを回収しようか」

 田宮が示した所は、猫の額ほどの狭い空間だった。

 別のル-トから上ってくるのは、仙台からやって来た鉄門一家の組員だ。左頬に深い傷跡がある男が山中、黒縁の眼鏡の男が小林、他に若い者が三人ほどいた。それぞれ山歩きにふさわしい格好をしてはいるが、何せ目つきが悪すぎた。

 その頃、紅彦はザイルを松の木に縛り付け、天女岩の西側斜面を下っていた。霞は天女岩の下に腰掛け、遠くの空に浮かぶ鰯雲を眺めていた。

阿修羅は大岩に立ち、山中たちを取り巻くように近づいている野犬の群れを眺めていた。野犬は紀州犬が率いる十数頭の集団だった。心ないハンタ-に置き去りにされた狩猟犬が野生化し、凶暴化して地元の集落まで獲物を探しに出没しているという。

 山中たちは野犬に包囲されていることに気づいていない。

「兄貴、少し休みませんか?」

「おう、あそこで一服すっか。コバよ、さっきドロ-ンが飛んでいなかったか?」

 コバと呼ばれた黒眼鏡の男が小首をかしげた。

「アオ、おめえは見なかったか?」

「なんか、小せえ音が聞こえたような気がしましたが・・・」

「小林さん、自分はチラリと見ましたです」

 中村と呼ばれている使い走りが自信なさそうに口にした。

「まあ、気にするほどのことでもあるめえ・・・」

 山中たち一行は、少し開けた場所に腰を下ろした。

「兄貴、どうぞ」

「なんだこりゃ、あまり冷えてねえじゃねえか」

「すんません・・・」

 野犬の群れは徐々に包囲網を狭めていた。

「おい、野田、どこさ行くんだ?」

「ちょっと、きじ撃ちに・・・」

 野田の姿が隠れた辺りからけたたましい怒号どごうが湧き上がった。


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