二 胡蝶《こちょう》

一関市の外れに舞草神社がある。

北上川東岸の観音山の中腹に、紅彦と霞の姿があった。

 東北の冬は駆け足でやってくる。

木枯らしが霞のびんを吹き上げていった。

 お揃いの革ジャンに身を包んだ二人が随神門の前のベンチに腰を下ろし、烏兎ヶ森、石蔵山の上空を舞う数羽の鳶を眺めていた。

かつて、この随神門に安置され、門を潜ってやって来る者を睥睨していた仁王は、明治の廃仏毀釈のときに観音堂に移され、今はその面影を僅かに留めているだけだ。

先ほどまで霞の傍らに腰を下ろしていた阿修羅は、いつの間にか姿をくらましていた。

「ここにいると、冠山のことが懐かしく思えてくるわ」

「向こうが砂鉄川、そこが北上川、そしてあっちが平泉だから、位置的にはこの辺りが冠山ということになる」

紅彦は缶コーヒーを飲み干した。

「舞草神社というのは、夕霧城にあった舞草刀と関係があるのかしら?」

「うむ、この地域は刀鍛冶がたくさん住んでいたと伝えられているが、ここよりも白山岳がそうだったとも言われている」

「あら、あそこに・・・」

社の脇に聳えている榎の枝に白頭烏が留まっていた。

「あいつは烏兎ヶ森の・・・」

「烏兎ヶ森って、烏と兎のいる森のことよねえ。あの烏が森の主かしら?」

「昔、中国では、太陽には三本足の烏が、月には兎が棲んでいると言われていたんだ。それが忙しく追いかけっこをしたんで、月日が巡っていくと言われていたんだよ。それで歳月のことを、烏兎と言うようになったということだ」

「ふーん。でも、あの烏、なんだかとっても寂しそうな感じがするわ」

「孤高の烏か・・・」

白頭烏は身動きもせず、じっと二人の様子を窺っていた。

「社の裏の方へ行ってみるか?」

「阿修羅は?」

「あいつはほっといても大丈夫だ」

「どこを歩いているのかしら・・・」

紅葉の季節が過ぎ、人の訪れが少なくなった境内は、落葉が敷き詰められ鮮やかな絨毯じゅうたんを織りなしていた。

二人がその錦繍の絨毯を進んで行くと、人の世の移り変わりを物言わず眺望してきたような雰囲気の公孫樹が、その着飾ったものを脱ぎ捨て、寒々とした姿で社の横に屹立していた。

社の裏は熊笹をまとった山肌が迫っており、幾星霜を経たであろうと思われる楓の根元に小さな観音像が建立されていた。いつの時代に造られたのか、それは穏やかな表情で佇み、侵すことのできない気品を全体に漂わせていた。

「そうか、ここは観音山だものな。観音様が祀られていて当然だな」

「でも、寂しそう・・・」

観音像の頭に、雪のように降り積もった落葉を払いのけ、自分のスカーフを観音像の頭部に巻き付けた霞が、その前に膝をつき無言で両手を合わせた。

紅彦は霞を促し、東斜面に続いている獣道に足を踏み入れた。

陽は西に傾き始め、時折聞こえる小鳥の鳴き声が、一層山の静寂を深めていた。

しばらく進むと、獣道は大きくせり出した岩に消え入るように途絶えていた。二人が引き返そうとした矢先、斜面の熊笹がカサカサと音を立てて揺れ、その中から阿修羅が顔を突きだした。

「驚かさないでよ、阿修羅は・・・」

紅彦の陰に隠れた霞が声を出した。

「やっぱりお前か」

「どこを歩いていたのよ?」

霞が阿修羅の鼻面を撫でた。

 阿修羅は紅彦を見つめてからきびすを返し、生い茂る熊笹の中に姿を消した。

「ついて来いと言ってるぞ」

「何かしら?」

「さあ・・・」

霞をかばいながら、阿修羅を追った。熊笹の途切れる辺りで、阿修羅が二人を待っていた。

「どうした?」

紅彦の問いかけを無視して、阿修羅は前方の斜面に向かっていた。通草あけびの蔓が密生している場所の前で、阿修羅は紅彦を見つめた。

 そこには、一見しただけでは分からないが、蔓の裏側に黒い闇が口を開けていた。

「これは・・・」

紅彦の後ろで、霞が驚いたように声を張り上げた。

「紅彦さん、これはお地蔵様の頭ではないかしら・・・?」

「・・・」

紅彦が足下に目をやると、無惨に割れて丸みを帯びた石が幾つか転がっており、それは長い風雪に耐えて風化していた。

「紅彦さん、私この顔に見覚えがあるような気がするわ」

「まさか・・・」

「ええ、杖林寺の裏に立っていたお地蔵様に間違いないと思うわ」

「じゃあ、あれが夕霧城に続く洞穴ということになるぞ」

「ええ・・・」

霞が紅彦に腕を絡めた。

「そうだったのか、あいつの臭覚に触れたんだろう」

「阿修羅も、ここが忘れられなかったのね」

陽が西に傾き、木枯らしが梢を揺らした。


数日後、観音山中腹の舞草神社境内に、紅彦、霞、そしてサブの三人が集まっていた。阿修羅は先ほどまで一緒にいたが、宇多の到着を待ち草臥れて森の中に消えていた。紅彦はサブを加えることにしたが、どこから嗅ぎつけたのか、宇多が強引に仲間入りをした。その宇多が約束の時刻にやって来ないので、三人はしびれを切らしているのだ。

「サブ、お前は入口で待ってろよ」

「紅彦さん、それはなかんべよ」

「いや、もし落盤でもしてみろよ。誰かが外にいないと、助けを呼びにいけねえだろう」

「そうか・・・。ほんでも、俺でなくともいいべよ」

「いや、この役目はサブが適任だよ」

「ほんだって、宇多先生だっているべよ」

サブがゴネている。

「宇多先生が待ってると思うか、どう考えたって無理だろうが・・・」

「サブちゃん、お願いね。大丈夫だったら、いつでも入れるのですから・・・」

「じゃあ、仕方がねえか」

サブは霞に言われると弱いのだ。

「じゃあ、行くか?」

「紅彦さん、宇多先生がまだだぞ」

「待ってても、先生はルーズだからなあ」

「もう少し待った方がいいんでねえか?」

「いや、もういいだろう」

そう言ったところに、涼しげな顔つきで宇多がやって来た。

「おお、時間通りだったぞ」

「先生、何が時間通りだよ。大幅遅刻じゃねえかよ」

宇多に悪態をついた。

「まあ、いいじゃねえか。行くかい」

「先生、罰として、ジャンケンで決めた方がよくねえか?」

「お前がそんなことを言えんのか?」

「仕様がねえなあ」

サブが拗ねた。

「さあ、行くかい」

宇多のかけ声で三人はサブを入口に残し、洞穴の中に姿を消した。どこで見ていたのか、阿修羅が熊笹の中から姿を現し、サブをジロリと一瞥いちべつしてから紅彦の後を追いかけた。

紅彦たちは風穴洞の中を下っていた。一旦、左方向に進んでから穴は右に大きく曲がり、地中深く伸びていた。やがて、急勾配になっている場所を過ぎると通路は平坦となり、広い空間が三人を待ち受けていた。

「おおっつ、魂消るじゃねえか」

いつの間にか、宇多の後ろに阿修羅がやって来ていた。

紅彦は辺りを見渡しながら、奥へと進んで行く。その後ろには、霞と阿修羅が続き、殿しんがりには宇多がいた。

「ここも似ているわねえ」

岩肌に目をやり、霞が呟いた。

「うむ・・・」

紅彦は更に奥へと進み、左手の方向に黒い染みのように見えた横穴に向かった。

「グルルル・・・」

突然、阿修羅が威嚇の唸り声を発した。

「・・・」

「どうしたのかしら?」

霞が紅彦の背中に身体を押しつけてきた。

「どうした?」

宇多が戻ってきた。

「ライトを消してください」

「うむ・・・」

「阿修羅も静かにしろ。先生、奥に先客がいるようだ。帰った振りをして、少し様子を見ましょう」

「さあて、戻るか?」

飲み込みの早い宇多が、殊更大きな声を張り上げ、懐中電灯を消した。五、六分過ぎた頃、行き止まりの岩の下部に口を開けている穴から、微かな物音が聞こえてきた。霞の心臓の鼓動が早鐘のように紅彦の背を打っている。

「来たぞ・・・」

紅彦が宇多に知らせた。

「おうよ」

「先生は、霞をお願いします」

「おう・・・」

宇多の声に気合いが入っていた。

黒い影が、紅彦の佇んでいる側まで来た。

「何かありましたか?」

紅彦が静かに声をかけた。

「ブーン」

羽音が紅彦を襲った。

僅かに身を反らせ、それをかわした紅彦の足刀が、黒い影の脇腹にくい込み肋骨をへし折っていた。

「ギャーッ」

紅彦の後ろから短刀を突き出そうとしていた男の腕が、三メートルの距離を一気に跳躍した阿修羅の牙によって噛み砕かれた。

「紅彦、こいつら何者だ?」

「さあ・・・、分かりません」

懐中電灯の明かりに照らされた男の顔は、以前、烏兎ヶ森で会った男だった。

「お前はあのときの・・・」

「なんだ知り合いか?」

宇多は、もう一度男の顔を照らした。

「しかしなあ、紅彦。阿修羅の野郎は、こいつの腕を噛み砕いてしまったぞ」

「阿修羅は、刃物を持った奴には、容赦しないからなあ」

「仕様がねえなあ・・・」

ぶつぶつ言いながら、宇多は腕を噛みつかれた男の手当にかかっていた。その男は、裏の世界に入る前、崇山少林寺の正統を継ぐ拳法家であると豪語していた松田であった。脇腹を抱えてうずくまっているもう一人は、山東流合気道免許皆伝の腕を持つ平岩だった。小太りの平岩からは想像だにできないが、山東流に平岩ありと言われた男だ。

そのとき、阿修羅が突然入口の方に向かって疾走した。

「どうしたのかしら?」

紅彦の背で霞が声を出した。

「先生、ほどほどにして行きましょう。大した怪我じゃないですよ」

「ああ、もうちょっとだ」

宇多を促し、紅彦が先頭を歩いた。

「紅彦、あいつら何者なんだ?」

「さあ、よく分からないけど、締め上げれば何か出てくるかもしれませんね。でも、いきなり襲ってくることはないだろうになあ」

「お前、あまり物騒なことを言うなよ、こっちは気が小さいだから、穏やかにいくべや」

そう言いながらも、宇多の顔が子供のようにほころんでいた。

洞窟の入り口付近が騒がしかった。

息を切らしながら宇多がついてきている。

「阿修羅、逃げろーっ」

「パーン、パーン」

「何すんだ、このガキは・・・」

ガラの悪い声が飛び込んできた。 

紅彦に続いて、霞と宇多が洞窟を飛び出すと、サブが顔面から血を流し、四人の男に囲まれていた。

「どうした、サブ?」

紅彦が声をかけた。

阿修羅の姿は見当たらなかった。

「なんだ手前は?」

サングラスをかけた中年の男が、紅彦に向かってきた。

「それは、こっちのセリフだ。サブに何をしたんだ?」

「ああ、これか。口のきき方ができねえ兄ちゃんに、ほんのちょっと、礼儀を教えてやったんだが、悪かったかな?」

サングラスの男が太々しく嗤<わら>っている。

「サブを放してくれないか」

紅彦の双眸が険しくなっている。

「放してやろうじゃねえか。その代わり、その女をこっちによこせ」

「ふざけたことを言わないで、早く放してくれないか」

「おい、安堂」

サングラスの男が、痩せぎすの男に顎をしゃくった。

「森下さん、こいつを殺っちまいますか?」

安堂が拳銃をサブの頭に突きつけた。森下と呼ばれたサングラスの男は、鉄門一家の幹部で、裏世界では大蛇おろちの京太郎と恐れられていた。

「あんたら、馬鹿なことをすんでねえ。拳銃を振り回したのは、見ねえ振りすっから、サブを放して、早く帰れや」

宇多が紅彦の横に並んだ。

「サブ、阿修羅はどうした?」

「こん畜生がピストルをぶっ放して・・・、そんでも、阿修羅には当たってねえよ。その辺にいるんでねえかなあ、いでっ」

「乱暴はよせ」

拳銃でサブの頭をこづいた安堂に、宇多がさとすような言い方をした。

「森下さん、こいつらばらして穴ん中に放り込んでおきますか?」

「やってみろよ」

紅彦の双眸が底光りしていた。

「何を・・・」

安堂が拳銃を握り直した。

「待って・・・、紅彦さん、私が身代わりになります」

「霞さん、そりゃあダメだ」

サブが悲鳴のような声を出した。

「おめえは黙ってろ」

安堂にこづかれ、サブは大人しくなった。

「わたし・・・、いきます」

霞の顔が青ざめている。

「分かった。だが、どこで霞を解放するつもりだ?」

紅彦の声が沈んでいる。

「おめえらが何もしなけりゃ、一関駅に放り出してやる」

森下が口を歪めて嗤った。

「あんたたちは、何でそんなことをするんかね。拳銃なんかぶっ放して・・・。黙って通り過ぎれば、それまでだったべよ」

宇多がえた。

「あのでっけえ犬さえこなけりゃ、俺たちもぶっ放さねえよ。運が悪かったとあきらめんだなあ」

「森下とか言ったな。霞に危害を加えたら、お前らをどこまでも追い詰めて、一人一人なぶり殺しにするぞ」

紅彦の双眸が不気味に光っていた。

「ご託を並べていねえで、早くその女をこっちに寄こせ」

紅彦の眼を避けるように、森下が苛立いらだったように声を張り上げた。

「紅彦さん・・・」

霞は紅彦の手をそっと握り、ゆっくりとした足取りでサブの方に近づいた。

「もたもたしてんじゃねえよ」

サブが腰を蹴られ、紅彦の足下に転がった。

「てめえら、そこを動くなよ」

安堂が捨て台詞を残し、霞を拉致して境内に消えた。

やがて、随神門ずいしんもんの前から大型車の排気音が遠ざかっていくのが、境内まで下りてきた紅彦たちの耳に届いてきた。

「俺は奴らを追う。先生、サブをお願いします。それと車を借ります」

紅彦は暗い双眸で宇多を見た。

「紅彦さん、ちょっと待ってくろ。タツに連絡して網かけっから・・・」

「ピューッ」

紅彦の鋭い口笛を聞き、藪をかき分けて阿修羅が出てきた。

「阿修羅、追え。さあ、いけっ」

宇多とサブを残して、紅彦は宇多のベンツで、阿修羅の後を追いかけた。

この姿を、随神門の屋根から白頭烏が鋭い目で眺めていた。

東北本線一関駅と平泉駅との間に、山目駅がある。駅前にある磐井モータースに、サブの悪友タツと五郎が働いていた。サブから携帯電話で連絡を受けた二人は、オートバイで店を飛び出し、棚の瀬橋を通過したところだった。二人が一六八号線との交差点を過ぎ、須崎方面に向かっているとき、前方から黒のセルシオを追いかけるように、見覚えのある大型犬が走って来た。

タツは、石蔵山で阿修羅に手痛い思いをしていたので、はっきりと覚えていたのだ。セルシオをやり過ごしてから、二人はUターンし、セルシオを追い抜いき、いきなり割り込みをかけた。二人のオートバイがクラクションを無視して走っていると、セルシオは左折し、一六八号線に乗り入れてアクセルを踏み込んだ。タツと五郎は、鮮やかなハンドル捌きでUターンし、霞を乗せたセルシオを追った。その後を、グレイのベンツがタイヤを軋ませながら追いかけていた。

千歳橋を過ぎ、根岸を越え、大船渡線の鉄橋の手前で、タツと五郎に進路を遮られたセルシオは、北上川の川原に続く砂利道に追い込まれていた。流れの手前で止まったセルシオのすぐ後ろに、紅彦の乗ったベンツが逃亡を防ぐようにエンジンを止めた。タツと五郎は、ベンツの両脇を固めるように、オートバイを横付けしていた。

紅彦が無双宗綱を手にベンツから降り、セルシオに近づいて行くと、霞に拳銃を突きつけた安堂が降り、森下と若い者二人がそれに続いた。

阿修羅は、姿を隠していた。

川風で薄の穂が揺れ、ねぐらに帰る野鳥が、上空を横切って行った。

「ふざけたまねをすると、この女の頭を吹っ飛ばすぞ」

安堂が拳銃を霞の頭に突きつけた。

「もうよさないか・・・」

紅彦の声が沈んでいる。

「それ以上近づくと、ぶっ放すぞ」

安堂が手にした拳銃を紅彦に向けたとき、左手の薄の茂みが揺れ、そこから飛び出した阿修羅が安堂の手首を噛み砕いた。

「ウワーッ」

「この野郎」

森下が拳銃を手にしたとき、紅彦の右手が動き、無双宗綱が一閃し、川原に落ちた拳銃が石に当たり金属音を発した。

このとき、宇多とサブが到着した。

「間に合ったか・・・」

「霞さん、怪我しねかったかい?」

真顔で、サブが霞の身を案じていた。

「タツ、五郎、ありがとよ」

「リーダー、水くせえことを言うなよ」

「もう解散したんだから、リーダーはねえだろう、タツ」

ガラにもなく、サブが照れている。

「阿修羅、よせ。もういいよ」

襲いかかろうとしていたのを、紅彦が静かに止めた。

「ガルルルル・・・」

隙を見て拳銃を拾おうとした森下を、阿修羅が威嚇した。

「尾口、坂村、ど素人にやられたら、組にえれねえぞ、五人ぐれえ、おめえらで何とかなるだろう」

右手首を押さえながら森下が、まだ二十代前半に見える組員に命じた。

 尾口と坂村が腰を落とし気味に、紅彦の両側から迫ってきた。

「先生、霞さんをお願いします。サブ、絶対に手を出すなよ」

宇多が霞をかばい、タツと五郎のいる位置まで後退した。

薄暮の川原に夕陽が差し、紅彦の頬を朱に染めていた。

「紅彦さん、斬らないで・・・」

「・・・」

「紅彦、斬るんじゃねえぞ」

宇多の声を聞いて、タツと五郎が生唾を飲み込んだ。

「こいつらは、生きていてもロクなことはしねえだろう」

紅彦の双眸が組員に注がれている。

「だめだよ、師匠、そんなことしちゃ。時代が違うべよ」

サブが叫んだ。

「・・・」

一瞬、森下が怪訝な表情をした。

川面を走る風が紅彦の総髪を吹き上げたとき、尾口と坂村が同時に腰だめの短刀を突きだしてきた。舞うように紅彦が動き、二人を叩いた無双宗綱は、鮮やかに背広を切り裂いていた。

「サブ、こいつらの短刀とそっちの拳銃二丁を拾ってくれ」

「了解」

腫れあがった顔で、サブが紅彦を見た。

尾口と坂村は共に両膝をつき、ズボンの前は失禁で黒く濡れていた。

「お前らの首を刎ねようと思ったが、やめておこう」

紅彦は無双宗綱を抜き、二人の髪を次々に一纏ひとまとめめずつ切り取り、森下に向き直った。

陽が沈み、川原には夕闇が迫っていた。

「森下、お前は生かしておくわけにはいかんな。どうせ、また同じことをするだろうからなあ」

「・・・」

無双宗綱をベルトに差して、紅彦は森下の目を見据えた。

「斬る前に聞くが、お前らは、舞草神社に何をしに来たんだ?」

「俺たちは、組長の指示に従っただけだ。組長が、誰に頼まれたかは知らねえ」

心なしか、森下の膝が震えている。

「あそこで、何をするつもりだったのだ?」

「組長から、奥さんのペンダントを取り上げるように言われたんだ」

「それだけじゃないだろう?」

「それから、あんたらを監視しろって言われたよ」

「それだけか?」

「あそこに行ったら、あんたらが穴に入った後だったんで、あの兄ちゃんに案内を頼んだんだが、ことわりやがった。見張りに突っ立ってて、中に入れてくれねえから、ああいうことになっちまったのさ」

森下の額に冷や汗が滲んでいた。

「何もサブを殴ることはあるまい。見ろよ、あの顔を・・・。可哀想に。それと霞を拉致したのは、命取りだったな」

「忘れてくれねえか」

「忘れる・・・。そんなことしなくてもいいよ。お前だけは、首を刎ねる」

紅彦の双眸が光った。

「斬らないで、紅彦さん・・・」

霞が叫んだ。

「紅彦、斬るんじゃねえ。そいつら斬っても何にもならねえぞ」

宇多が紅彦に近づいてきた。

「いや、この男だけはどうにもなるまい」

「よせ、紅彦」

宇多が叫んだときには、無双宗綱が一閃され、森下の髪が見事なまでに切られた。宇多を始め、サブたちの目には、森下が斬られたかように映っていたのだ。

「おい、あの穴の中にいた連中は、おまえらの仲間か?」

紅彦が森下を見つめた。

「仲間・・・、知らねえ。ここにいるのが全部だ」

「・・・」

「嘘は言わねえ」

「組の名前はなんて言うんだ?」

「それは勘弁してくれねえか」

森下の目に動揺が走った。

「言いたくなければいいよ」

ベルトから無双宗綱を抜き抜いた。

「分かったよ。俺たちは鉄門一家の者だ」

観念したように、森下が応えた。

「鉄門・・・、どこにあるんだ?」

「仙台に・・・」

森下の双眸がおびえていた。

「組長に何と報告するかはお前の勝手だが、今度このようなことをしたら、お前たちの頭は首から離れるぞ」

淡々とした紅彦の話し方に、鉄門一家ばかりでなく、タツや五郎たちも背筋に冷たいものが流れていた。

「さあ、俺の気が変わらない内に行けよ」

「すまねえ・・・」

四人が乗り込んだセルシオは、北上川の土手から走り去った。

紅彦の横に霞と阿修羅が寄り添った。

夕闇の中を、季節外れのモンシロチョウが一羽、川面を吹く木枯らしに漂うように、頼りなげに紅彦たちの頭上を越え、薄の川原に消えた。

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