鼓動

 切れ目を入れたネズミの胸から、鋏で十字に切り開いていく。ジョリ、ジョリ、ジョリ。

 ダンボールを無理やり切るときのような硬い感触で、裁ち鋏で布を切るのにも似ている。

 命を断つのに、紙やプラスチックフィルムを切るようなスーッという滑らかな爽快感はなく、生々しい有機物ならではの手応えが跳ね返ってきた。


「うげぇ」


 斎藤が眉を顰めた。けど、彼女は目をそらさない。中学三年の春、理科の解剖の授業でのことだった。


 仰向けに横たわり四肢をピンで留められたネズミの神経はとうに首のところで断ち切られ、まだ死んではいないけど、もう動き出すことはない。

 理科の内田先生が機械的にポキポキと脊髄を折っていくのを、クラスの皆はわーきゃー恐怖と好奇の混ざった声をあげつつも、真剣に見ていた。


 君も斎藤と同じ、一瞬たりとも目をそらさない。


 腹を十字に切ったあとは、皮と筋肉層をぺろんと剥がし、四箇所をピンで留めた。

 ネズミの内側は花開いたかのようにほんのりピンクで、中央でてらてらと光る赤黒い内臓は、まだかすかに温もりを残していた。


 生きてる。あるいは、生きていた。


「おい、中村。俺こんなの無理。やってくれ!」


 違う班の机で、男子Aが中村に押し付ける声が聞こえた。


「んああ、俺だって嫌だけど。やるしかねえだろ。どうせ死んじまうんだから」


 中村もそういうやつだ。グロいのは苦手なくせに。

 命を奪って私たちの好奇心や知識欲を満たすからには、人であることのエゴを貫き通すしかないと諦めてのことだ。

 私たちの腹の中にも、赤黒くぬらぬらとした臓物が隠れている。誰の腹の内を見ても同じ。


 内田先生が私たちの班のテーブルに来ると、丁寧に胸郭を切り開いて、一つひとつ、臓器の説明をしてくれた。


「ほら。心臓がまだ動いているだろう。生きているんだ。もうすぐ止まる」


 恐ろしがっていた生徒たちも好奇心には勝てず、やがてちらほらと、花開いたネズミの体を覗き込んだ。

 夢中になって内田先生の話を聞いた。私たちと大差ない生き物のからだの仕組みについて。機能について。名前について。



 中学生の私たちは、私たちの残酷さに気付き始めていた。


 でも、君だけはその残酷さと無縁だと、私は勝手に思い込んでいたのだと思う。

 そのときの君の表情が忘れられないのは、確かに、目の前でまだ、心臓が動いていると思ったからだ。


 そう、動いていた。


 鼓動。


 ドクン、ドクン、ドクンドクンドクンドクンドクン。


 その音が、聞こえてくる。



「あたしらって、こんなんでできてるんだね」


 ふだんは斎藤を嫌って距離をとるクラスの女子も、その言葉に静かに息を飲み、まだ動いている心臓をのぞきこんだ。


 そうだ。そんなんでできている。


 私たちはその日、少しだけ大人になった。

 きっと、君も含めて。


 やがて鼓動は止まった。

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