空と海
「海ってのはさ、空を映し出してるから青いんだよ」
中村がしたり顔で言うのを、クラスの女子が感心しながら聞いていた。私と斎藤は、それを遠くから見ていた。
「暑そうだね」
「うん」
とは言ったが、まだ六月。空調のボオという音が耳障りだっただけで、暑いというほどでもなかった。
近くの海はなんとなく青とは違う。
緑がかった、エメラルドグリーンとか清らかな印象ではなく、淀んだ色味をしていた。それが空の色のはずはない、と私は思う。
君も彼らと一緒になって海を見ていたのに、そこだけぽわんと、やわらかな夜がさすように、すこし暗い。
「あいつだけ涼しそうだけど」
「たしかに」
比喩的だ。けど、彼女の言いたことはわかった。君のことをよく観察しているのは、私だけではない。
「女子A、女子B、女子C。金太郎飴」
斎藤の観察はクラス全体に及ぶ。そこにはいつも蔑みがこもる。
「こら、やめなさい」
「いいんだよ。どうせ私たちだって、ちっとも特別なんかじゃない。だからこうして他人が均一で、取るに足りない存在だって貶めることによって、自分だけを特別にしようって思うわけさ。メタ化して、一段高い位置に立つのさ」
最後に自嘲。
斎藤の観察は、彼女自身にも及ぶ。個性という言葉に執着して雁字搦めになった他人の惨めな姿を笑うのに、彼女自身も雁字搦めになっている。悪いのは、それに気づいていることだと思う。
「いやそれ自覚的にやってる時点でアウトだよ。自分も特別じゃないんだって、結果的に自分を貶めとるやんか。一段低くしとるやんかー」
斎藤はいつも真面目で、いつもふざけていた。私が斎藤の本気を見たのは、一度しかない。それを見た私は、斎藤に対してなにも言えなかった。
ああ、もう。なんてややこしくて、めんどくさいやつ。でも、嫌いになれない。
そんな彼女との関係は続く。
「あれ。そっか」
といって彼女は笑った。
半袖のしたに覗く斎藤の白い腕。
彼女が嫌味なのは、クラスでずばぬけた美人であること。美人でしかも口が悪い、となれば当然のように嫌われる。
いや、恐れられる。
斎藤は少し、君と似ているかもしれない。
「じゃあさ。空はなんの色を映しているの?」
君がにわかに中村に尋ねた。中村はギョッとした表情を浮かべ、青すぎる空を見上げた。
そこに答えがあるはずなのに、ただ青ばかりがむなしく広がっていた。
と、女子Aが割り込むように、二人の間に入った。
「空はなにも映してないよ。青いのは光の散乱のせい。だから空は青く見えるんだよ。ね、中村くん」
中村は再びギョッとした表情を浮かべ、アハハハッと朗らかな笑い声をあげた。
「あー、そうだったのか。知らなかった。なんだよ、知的アピールしたかったのに。ありがとう、勉強になった」
と、ここで自分の無知をさらしてしまうところが、中村のむかつくところだ。なんと朴訥とした、屈託のない男。
時々そこまで計算して、素直さを装っているのではないかと疑いたくなる。
そしていつも、それが彼の性質なのだという結論に至る。なにせ彼はそれほど頭が回らない。というか、あのギョッとした表情だけで十分だった。
「もう、中村くん、知らなかったのー」
「なんだあ、知らなかったのか。って、あたしも知らなかったけどねー」
中村の両隣の女子B、女子Cが、彼の腕をパチンと叩いた。叩きながらも、女子Aをちらと睨んだ。
「暑そうだね」
「うん。暑そう。でもあいつだけは——」
六月だった。
「……空はなにも映さない」
君が呟いた。空調のボオという音が耳障りだった。
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