天を怒突く(どつく)

高ノ宮 数麻(たかのみや かずま)

第1話

 目の前に立ち塞がったのは、大きな男だった。


身長は約190cm位、シャツの上からでも隆々とした筋肉の持ち主だと見て取れる。その大きな男は、浅黒い顔に鋭い眼光でこちらをじっと睨みつけながら、ゆっくり口を開いた。

「お前か、天堂翔馬ってふざけたクソガキは?」


翔馬はその大きな男の顔をあきれた様子で見ていた。

「はあ…、またこんなかよ…」


翔馬は大きく溜息をつき、左手で顔を覆った。その時、大きな男が翔馬の胸ぐらに掴みかかり、怒声を浴びせた。

「おいコラ! テメエ調子に乗りやがって! ぶっ殺してやる!」


大きな男は左手で翔馬の襟元をつかみながら、右手を大きく振りかぶった。

その右手を振り下ろそうとした瞬間、翔馬は男の左手を振り払い、体を反転させると、高速の右ストレートを男のアゴに叩き込んだ。

ゴキッ、という鈍い音が辺りに響き渡る。男には翔馬のパンチが全く見えなかった。

「ウガッ!」


男は一瞬ひるんだが、すぐに体勢を立て直し、尚も翔馬に襲いかかる。

大きな体を地面すれすれにして、翔馬に向けて高速のタックルを仕掛けてきた。

大きな男はレスリングの経験者だった。そのタックルも実に堂に入っている。

男の両腕が翔馬の身体に触れるほんの直前、翔馬は地面を思い切り蹴って、その身体は宙を舞った。


男が翔馬を見失ったその直後、男の後頭部に翔馬の右踵(かかと)が突き刺さる。

ガツン、という音とともに、大きな男はそのまま前のめりに顔から崩れ落ちた。

四つん這いで朦朧とする男の前に立ちはだかる翔馬。ゆっくり腰を下ろし、男の胸ぐらを掴むと、翔馬は男に静かな口調で諭すように語りかけた。

「おい、もういい加減こんなことは止めろ。喧嘩自慢だかなんだか知らねえけど、俺を巻き込むな。別に俺に勝ったって、何の自慢にもならねえよ。」


男は完全に戦意を失っていた。

「ああ…、分かった…、すまねえ」

翔馬はすっと立ち上がり、何事もなかったようにその場を後にした。


実は、翔馬にとってこんなことは日常茶飯事だった。

天堂翔馬の名前が地元で知れ渡ったのは3年前、まだ翔馬が中学2年のときだった。

些細なことで地元の不良グループと揉めごとになった翔馬は、河川敷にその不良グループを呼び出した。

街なかで不良グループのメンバーに出くわすたび、毎回騒動になるのが心底嫌だった翔馬は、もうどっちが勝っても負けてもこれですべて終わらそうと不良グループに「決闘」を提案したのだった。

河川敷に集まった不良グループの人数は20人。翔馬は1対1の対マン勝負を呼びかけ、不良グループの中で一番強い奴を代表で出せと要求した。

すると、不良グループは皆ヘラヘラと笑い始めた。

「ああ、しまった…」


翔馬はすぐに理解した。

「こいつら、はなっからまともに勝負するつもりなんかねえんだな」


不良グループのリーダー格の男、鎌切洋児(かまきりようじ)は地元でも有名なワルだった。

「おいおい天堂翔馬くん。お前の頭の中はお花畑だねえ。あのさあ、今日でおまえ、死ぬから」


鎌切が翔馬を挑発すると周りのメンバーも翔馬に対し罵詈雑言を浴びせる。

鎌切が翔馬に向かってゆっくり近づき、翔馬の顔めがけて唾を吐きかけた。

その瞬間、翔馬の中でスイッチが入った。翔馬は自分の中に「通常モード」の自分と、「戦闘モード」の自分がいることを知っている。

「戦闘モード」の自分は、自身で制御することが難しいので、普段はできるだけ「戦闘モード」の自分は出さないようにしていた。

だが、相手の非道な態度と容赦ない挑発は、翔馬の「戦闘モード」のスイッチを押してしまった。


鎌切の吐いた唾は結局、翔馬の顔にかかることはなかった。翔馬は「戦闘モード」に入ると、すべての物がスローモーションのように見える。空中を飛んでくる鎌切の唾を避けることなど簡単だ。

鎌切の吐いた唾を翔馬が頭を振って避けたとき、周りにいた不良グループのメンバーたちはそのことに全く気付かず、まだヘラヘラと笑っていた。ただ一人、鎌切だけは気が付いていた。

<…吐いた唾をこの距離で避けることができる人間がいるのか!…>


鎌切は翔馬の特殊な能力に驚愕し、戦慄した。しかし、ここで引くわけにもいかない。

「お、おい、お前ら、早くこんなクソガキ、やっちまえ!」


鎌切の号令で、一斉に襲ってくる不良グループのメンバーたち。

まず、翔馬の背後から後頭部めがけてパンチが飛んできた。それを察知して躱すと、すぐに体を回転させて裏拳で相手のこめかみを打ち抜く。

相手は頭を大きく揺られ、脳震盪を起こして卒倒した。


すぐに次の攻撃が翔馬を襲う。正面から翔馬のボディめがけて前蹴りが飛んできた。

翔馬は身をひるがえし、半身の体勢でその蹴りを避けると同時に、その蹴り足を左手で抑え、その膝関節めがけて全体重をかけた猿臂(肘)を打ち下ろした。

「ギャアア!」


悲鳴と共に、「ゴキン」という音が響き渡る。膝が逆方向に曲がった男はその場でへたり込んだ。


しかしその後も、前から、横から、後ろから、次々とパンチや蹴りが飛んでくる。

戦闘モードに入っている翔馬でも、さすがにすべての攻撃を躱すことは出来ない。

…これじゃいつかやられる。よし、やっぱり一人づつ片づけよう…

翔馬は戦い方を、「受け」から「攻め」に変えた。

1対多人数の戦いの場合、「受け」にまわると、受けるダメージを最小限に抑えながら攻撃もできるが、常に攻撃を受け続けるのでいつかはやられてしまう。

しかし、「攻め」にまわると、多人数の中の一人をターゲットにできるので、他からの攻撃は受けてしまうが、ターゲットを仕留める確率は高くなる。

翔馬はまず、一番遠くの敵を狙った。ダッシュして距離をつめ、相手が防御の体勢をとる前に、みぞおちに横蹴りを打ち込む。相手はあまりの激痛にその場にしゃがみ込んだ。翔馬はしゃがみ込んだ相手のアゴをめがけて膝蹴りを見舞う。無慈悲のようだが、多人数を相手に戦う場合は、完全に意識を飛ばすか、戦闘不能にしないと、後でまた一人づつ復活してくるのだ。


次は一番近くの敵を狙う翔馬。戦い方がワンパターンだと、相手に次の動きを読まれてしまうため、常にターゲットの決め方は変えていかなければならない。

掴みかかろうとする相手の腕を肘で跳ね上げ、そしてそのまま肘を相手の脇腹に叩き込んだ。アウッ、と声を漏らしてその相手は前かがみになって座り込んだ。さらに翔馬がその男のアゴを肘で打ちつけようとしたとき、両脇から二人がかりで腕を押さえつけられてしまった。

身動きのとれない翔馬のボディーに容赦ないパンチが打ち込まれる。背後からも脇腹を狙って蹴りがパンチが浴びせられた。

「翔馬〜! これまでだぁ〜!」


鎌切が金属製の警棒を振り上げた。

その時、翔馬は押さえつけられている両腕を振りほどこうとはせず、一気に全身から脱力した。実は、腕を持たれて身動きできないとき、やみくもに腕を振りほどこうとしても相手はさらに強く力をこめて腕を押さえつけてくるだけだ。

しかし、全身から力を抜くと、自分の全体重が相手にのしかかり、相手は体勢を崩す。するとその隙に相手の拘束から抜け出し易くなるのである。

翔馬が脱力すると、案の定相手は体勢を崩した。翔馬がその隙を逃すはずはなかった。素早く拘束から両腕を振りほどくと、右の相手には鼻を狙った右ストレートを命中させ、振り向きざまに左の相手には後頭部を狙った右回し蹴りを放った。カキンッ、という乾いた音とともに後頭部を蹴られた相手はその場に倒れ込んだ。


「か〜ま〜き〜り〜!」翔馬が叫ぶ。


翔馬と不良グループの死闘が始まってからすでに20分が経過していた。

不良グループ20人のうち、翔馬が倒した人数は7人。途中の攻防で戦意を無くした12人はすでに逃げ出し、この場に立っているのは、もはや鎌切と翔馬だけ。

「天堂〜! テメエ! ゴラァ!」


鎌切は警棒を振り上げた。

そして躊躇なく、翔馬の頭めがけて警棒を振り下ろす。

すでに体力の限界が来ていた翔馬は、それを避けることはせず、肩で警棒を受け止めると、渾身の力をこめて、右ストレートを鎌切の顔面に放つ。

見事に翔馬の拳は鎌切の顔面にめり込み、鎌切はそのまま後ろに吹っ飛び、意識を失った。


 この時の喧嘩が後に伝説的に語られるようになり、翔馬の名前は地元の不良たちだけではなく、周辺の街の不良界にも知れ渡った。

伝説には尾ひれが付き、「一人で50人を倒した」、「刃物で刺されながらも30人を倒した」などのさまざまな誤情報が飛び交った。


そこで黙ってられないのが街の喧嘩自慢たちだ。

「伝説の男、天堂翔馬を倒せば、今度は俺が伝説になれる」

そんな妄想を抱えた喧嘩自慢たちはほぼ毎日のように翔馬に喧嘩を仕掛けてくるのだった。


続く












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