第3話 侵食

土曜日。午前診察が終わり、やっと1週間の仕事が終わった。急いでアパートに帰る。スマホでDADA RATのアルバムを再生して3週目、ピンポーン!と玄関チャイムが鳴った。月曜日に注文した白のスニーカーが届いたのだ。私は早速包装を開けてスニーカーを取り出す。履いてみるとサイズ感もピッタリ。心が弾む。これを履いて明日は出かけよう。靴紐を通しながらあれやこれや日曜日の計画を立てる。TSUTAYAに行って、音楽雑誌を買おう。DADA RATの特集があるあの雑誌。買ったら近くの公園で読み耽るか。


一緒に遊ぶ友達なんて居なかった。莉沙の存在さえ忘れて、休日はひとりになるのが好きだった。DADA RATの音楽を聴いて体を揺らす。そうしながら洗濯物や皿洗いをしていると、この一週間、院長夫人にイビリ倒されたことも、先輩に陰口言われていたことも、どうでも良くなってくる。就職活動がなかなか上手くいかず、やっと手にした医療事務の仕事は、生活のために仕方なく選んだものだった。それでもこの就職氷河期のなかで仕事につけただけマシだった。経済学部卒で医療事務の資格なんて持ってなかったのに。人手不足だったらしい。原因は分かる。院長夫人の新人イビリのせいで人がすぐに辞めるのだろう。私は、今からでも遅くはないだろう、と通信講座で医療事務の資格を取るための勉強をしていた。年が明けたらテストがある。それまでに何とかしよう。昼過ぎの眠気が襲う時間、あまり気は進まなかったがテキストを開く。

すると、すかさずテレビの音が聞こえてきた。莉沙だ。私はため息をついた。

「ごめん、今勉強したくて。悪いけどしばらく消してて欲しい。お願い。」

そう言うと、莉沙はテレビの音量を上げた。笑い声が聞こえる。

莉沙は言う。

「イヤイヤやってる仕事の資格なんて、取っても無駄でしょ。それで給料上がるわけ?上がっても微々たるものでしょ?まじあんた要領悪すぎ。」


私を小馬鹿にするのはいつもの事だった。でもここまで言われるとやる気を失う。莉沙はまたテレビのボリュームをあげる。




目が覚めると夜だった。あれから私はふて寝したらしい。暗いままの部屋の電気をつけると、箱にしまっていた白のスニーカーがなくなっていることに気づいた。


「ただいま。」

玄関の扉が開く。莉沙だ。外は雨だったらしい。傘をしまう莉沙の足元を見た。泥まみれの靴。今日届いたばかりの私のスニーカーだった。莉沙はそれを雑に脱ぎ捨てる。かかとは履き潰されて泥水でびしょ濡れ。白というのが嘘のように汚れていた。ゾッとした。

「ちょっと……これどういうこと?」

「ああ、ごめんごめん。雨降ってたから私の靴は履きたくなくて。また新しいの買えば?」

そういうと新品のはずの汚れた私のスニーカーを、莉沙はゴミ袋に押し込んだ。


気づいてた。でも気づかないフリをしていた。

少しずつ、少しずつだった。

莉沙は、私を蝕んでいく。

どんどん私は削られて、無くなっていく気がした。


薄暗くて狭い物置用のロフトが私の居場所だった。莉沙のスペースにはできるだけ入らないようにしなければならなかった。エアコンの効かないこの場所に座って、イヤホンをつけてDADA RATの曲を聴く。音量を上げる。


私は、少し、消えたくなった。




いや、頭の中の莉沙を消せばいいのかもしれない。










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