第2話 張り切りマルゴ

 歓迎祭は、春の女神を迎える重要なお祭りだ。

 今年は併せて中喪式も執り行われる。ジャクリーヌ様が崩御されてから半年の節目を迎えたことを内外に示す、重要な儀式だ。

 今までの半年は上喪期と呼ばれ、様々な行事や催しが制限されてきたけれど、これからの下喪期は違う。前の王を失った哀しみの日々を乗り越え、新王誕生のその日に向けての準備期間に入る。華やかな衣装を身につけても許されるようになるし、催しで使われる音楽演奏の際にも、唱歌および弦楽器だけでなく管楽器・打楽器も許されるようになる。ダンスパーティもできるようになるから、社交が再開され始めるということだ。この歓迎祭を境に、俄然忙しくなってくるだろう。


 その日、わたくしは早起きをした。お祭りや催しのために会場が美しく飾り立てられていく様子を見たかったからだ。


 中喪式は十一時から、歓迎祭は正午からだ。マルゴはずいぶん張り切っていて、“念のために準備は早くから始めさせていただきます”と言っていた。朝食が済んだらすぐに準備になるのだろう。

 だから飾り付けを見られるのは、朝の支度前の、ほんのわずかな時間しかない。

 わたくしは夜着の上にガウンを羽織り、窓辺に椅子を持ってきて、鎧戸をそっと開けた。まだ薄暗く、庭園の飾り付けも始まっていなかった。窓辺に肘をのせ、わくわくしながら外を眺める。


 王宮の正面に、広々とした広場ができていた。

 先日まではあそこに様々な花や木が植わった植え込みがあったが、あれは実は可動式なのだ。植え込みをどかせて綺麗に掃き清めると、三百人からの貴族が一堂に会してもダンスが踊れるくらいの広々とした広場ができあがる。広場の周りには、先日マリアンヌ様がブレソール枢機卿と面会された四阿を隠した美しい木立が広がっている。遊歩道が幾何学的な模様を描きながら木立の隙間に伸びている。ここから見ると、まるで巨大な絵のよう。


 この美しい巨大な絵画は、今年はどんな風に飾られるのだろう。庭園の管理は執事の管轄だ。デイモンの腕の見せ所である。去年は黄色を基調にした、明るく爽やかな印象のお祭りになった。今年は喪中だからあまり華美にはできない――中喪式が終われば飾り付けもできるようになるが、同じ日に挙げるのだから飾り付けをやり直す時間はないのだ。けれど、灰色一色の歓迎祭なんてあまりにも味気ない。いったいどういう風にするのだろう。

 わたくしが万一飾り付けを任されたら、どうするだろう。

 考えながら少し待っているうちに、辺りも少しずつ明るくなってきている。

 と、


 庭師がひとり、荷物を抱えて歩いているのが見えてきた。

 荷物の中からリボンが覗いている。


 きたきた。わたくしは身を乗り出した。庭師の後ろから、召使いや従僕が、やや眠たげな様子でつぎつぎに歩いてくる。リボンの色は灰色ではなく、朱色――いえ、ピンクかしら? 嬉しくなった。デイモンも、灰色の歓迎祭なんて味気ないと思ってくれたのだろう。それはそうよね、だって迎えられる春の女神がへそを曲げてしまいかねない。でも、中喪式を挙げる前にあまり派手にすると、今度は聖職者がへそを曲げないかしら? 女神と聖職者、双方のご機嫌を取れるような、何か秘策があるのかしら。


 その時、ノックの音がした。


「失礼いたします。――おはようございます」


 ぎょっとして振り返った。マルゴだった。その後ろから召使いたちがぞろぞろと入ってきた。


「起きていらっしゃいましたか。お召し替えのお時間でございます」

「嘘でしょ!?」


 思わず声を上げる。どうしてよ、だってまだ、夜が明けたばかりなのに!


「嘘ではございません」マルゴはきっぱりと言った。「今すぐお支度にかかりませんと間に合いません。早くから準備をする必要があると申し上げたはず」

「それにしたって早すぎるわ!」

「とんでもない。今年の花の乙女を決める、重要な日でございます!!」


 マルゴはぐっと拳を握り、わたくしは立ち上がった。


「あのね、それについては何度も話したはずでしょう? わたくしはもてなす側の立場なのだから、花の乙女に選ばれることはないし、選ばれたって辞退するわ。皆さんそれがわかっているのだから、初めから選ばれるはずがないの」

「……存じております」


 マルゴの唇が引き結ばれる。わたくしは窓の外に視線をやった。ああ、大勢の人々がすでに忙しく立ち働いているのが遠目に見える。ちょっと目を離したすきに、支柱が何本も設置されている。あの支柱はなに? あれをどうするのかしら?


「姫様。お支度のお時間です」


 わたくしはまたマルゴを振り返った。どうしても、唇がとがるのを止められない。


「だって、マルゴ……!」

「姫様がご辞退なさるお心づもりでいらっしゃることは了解しております。それでも、どちらにせよ、春の女神のお越しを祝う歓迎祭に相応しい装いをするのは貴族全員の義務でございますわ」

「……」

「そうでございましょう?」


 だからって。

 わたくしは唇を噛んだ。

 だからって!


 起きてすぐに準備を始めるというのはよくわかる。けれど、今は普段起きる時間より一時間も早いのだ。三十分、いえせめて十分だけでも、準備を眺める時間がとれればと、頑張って早起きしたのに!


 また窓の外に視線をやる。準備は着々と進められ、支柱には白い大きな布がかけられていた。桃色と朱色と淡い藍色のリボンがかけられて、貴婦人のドレスのように裾を引いている。


 ひときわ大きな支柱はまだ飾られる前だ。

 その下にいる、一人の若者に目が吸い寄せられた。


 どうやら侍従のようだった。細身で、まだ体が育ちきっていない、わたくしと同じか少し年下くらいの年頃に見える。侍従だと思ったのは、他の庭師や下女たちが遠慮する様子を見せているから。彼は巨大な白い布の端っこを持って、そのひときわ背の高い支柱にかけられたはしごを上っていくところだった。庭師や召使いたちは彼のような身分の人間にそんな仕事をさせることを申し訳なさがっているようだが、彼は意にも介する様子がない。明るい茶色の髪を手ぬぐいで覆っていて、手ぬぐいの下から覗くはしばみ色の瞳に、とても楽しそうな色が浮かんでいる。彼が望んでその仕事をしていることは明らかだった。ああ、羨ましい。わたくしもあんな風に脚立を登っていけたら……


「姫様」


 マルゴが呼んだ。有無を言わせぬその響き。

 わたくしは声を喉元で押さえつけた。せっかく早起きしたのに。準備にはまだ早いのに。自分で土や木を触りたい気持ちを、こんなに押さえつけているのに!


「…………わかったわ。今いきます」

「ありがとうございます」


 マルゴの表情が硬い。いつもなら、わたくしの楽しみの時間を邪魔したことについて、何か言ってくれるはずなのに、まるで叱責できるならしてみろと言うような目でわたくしを見ている。なんなの。怒りたいのはわたくしの方よ。


 ああ、修行が足りない。せっかく早起きしたのに邪魔をされた、と言う気持ちがどうしても抜けない。こちらから歩み寄ることができず、ギクシャクしたまま支度室に移動した。寝着を脱ぎ捨て、まずは入浴だ。怒りたい気持ちと、マルゴに冷たくされた悲しさと、わたくしから歩み寄れなかった後悔とがない交ぜになってイライラする。あああ、つまらない。せっかくの歓迎祭の日なのに。

 マルゴはその雰囲気を振り切るように、化粧品を並べに行った。わたくしが唇をとがらせたまま湯船にそっと身を浸したとき、ノーラが小さな声で囁いてきた。


「あの……差し出口をどうかお許しください。今回、社交界に初めて出るご令嬢がたが三人、いらっしゃるんです」


 ええ知っている。確か伯爵家の方が二人、子爵家の方が一人だ。子爵家の方は、伯爵家のお一人の侍女だと聞いているけれど。

 ノーラは、一生懸命取りなすように話を続けた。


「ええその、その伯爵家のお一人が、とても、本当にとても、美しい方だと評判で。その方が花の乙女に選ばれるのはほぼ確実であろうともっぱらの噂で」

 そこまでは知らなかった。「そうなの?」

「ええ、それで」ノーラは更に声を低めた。「王女殿下の侍女はまだおひとり、アンリエット様しかいらっしゃいませんでしょう? もしその方が花の乙女に選ばれて、殿下のお目にとまったら、侍女に迎えられるかも知れないと……ですからその、マルゴ様は……ご心配なすってるんです……」

「……ああ、そういうことなのね」


 伯爵家のとても美しい娘が歓迎祭に出席する。それを聞いたマルゴの気持ちが急に腑に落ちた。


 マリアンヌ様の侍女、アンリエットと、マルゴはとても仲良しだ。

 それに加えて、侍女同士の人間関係はとても複雑だ。侍女自身ももちろん貴族の出身だから、その力関係には実家の権力が作用する。アンリエットは才女で、古今東西の文学作品にとても詳しく、また朗読がとても上手なので、ジャクリーヌ様がマリアンヌ様の話し相手にと召し抱えた人なのだけれど、確かご実父は平民だったはずだ。ジャクリーヌ様がアンリエットの才能を知った時、子爵家の養子にして体裁を整えたと聞いた。そこに伯爵家の令嬢が入ってきたなら、必然的にその方がアンリエットの上になるはずだ。年下で、とても美しく、身分が高い――それだけでも相当な脅威なのに、そこに満場一致で選ばれた“花の乙女”という称号までが加わってしまったら。その方の気立て次第によっては、アンリエットはとても辛い立場に置かれることになってしまいかねない。友達思いのマルゴは、やきもきせずにはいられないのだろう。

 ノーラは小さな声で続けた。


「あの、テレーズ様が今朝の庭園の準備をご覧になるのを、楽しみにされていたことはマルゴ様もご存じなのです、ですけれど……」

「わかったわ。気にしないで。話してくれてありがとう」


 囁くとノーラは少しホッとしたようだった。わたくしはため息を隠した。マルゴもすでに化粧と髪結いを済ませ、いつも以上に美しく装っているが、マルゴの美貌は凜々しい方なので、“花の乙女”と言う雰囲気ではない。

 マルゴは勇猛果敢な性格で、友達思いだ。

 これから来るかもしれない脅威に備えて、できる限り武器を揃えておこうとしている。そのマルゴの気持ちをないがしろにするわけにはいかない。わたくしはようやく自分の子供じみたいらだちを押さえつけ、マルゴの気持ちを和らげようと思うことができた。




 入浴を済ませ、髪を乾かしてもらい、ごく簡単な朝食をとり、ドレスを着せられ、化粧を施されながら髪を結われる頃になると、マルゴとわたくしの間にあった固い空気もだいぶ緩んできていた。マルゴは謝罪を口にこそ出さなかったものの、紅茶と色とりどりのフルーツ、それからわたくしの大好物、ランドンのチョコレートを軽食に用意してくれた。それらをつまみながら飾り立てられている間に、今日の予定と来客の細かな情報についておさらいする。


 社交界に初めて出る日は、貴族の娘にとっては非常に重要だ。

 年齢は人によってさまざまだが、だいたい十六歳になってから出るのが通常だ。わたくしは十五歳だったので、人より少し早いと言える。マリアンヌ様の立場を固めるために不可欠だったから早めたのだが、そうしておいて良かった。お母様が亡くなる前に、晴れ姿を見せてさし上げることができたからだ。


 それはさておき、今日を迎える三名の方々は、きっと今頃とても緊張しておられるだろう。国を挙げての喪中のさなかになってしまったことは不運だが、お母様がご存命だったならばチャンスだとおっしゃるはずだ。喪中のさなかに王女殿下と親しくなっておけば、喪が明けて華やかに執り行われる戴冠式には、友人として近しい立場で列席することができる。喪中のデビューを避ける貴族が多いことを考えるとライバルも激減する。人生一度の晴れ舞台を華やかに整えるという望みを捨てさえすれば、これほどの好機はない。


 くだんのお方は、ポワンカレ伯爵家のガエリーヌさんとおっしゃるらしい。

 情報を読み上げるマルゴの声を聞きながら、わたくしはそう思った。他にシルドワン伯爵家のご息女もご列席だが、ガエリーヌの名を呼ぶときのマルゴの声がとても固くなったから。


 お年は、わたくしと同じ十七歳だという。デビューをここまで遅らせたのは、タイミングを計っていたら喪中になってしまったから――と言うことのよう。今までずっと領地、それも修道院にいたためにあまり名前を知られておらず、首都に来たのは三ヶ月ほど前。もし喪中でなかったら、その美しさはあっという間に首都中に広まっていたに違いない。空を飛ぶ鳥も彼女に見とれて落ちるとか、真冬の薔薇の枝に触れるだけで花が咲くとか、どんな殿方も微笑みかけるだけで夢中になってしまうとか、本当にすごい囁かれぶり。


 今日のお昼にはその美貌を拝見できるのだ。なんだか楽しみになってきてしまう。

 それにしても、社交界に出る前からこんなに噂になって、こんなに敵視されたり警戒されたりするなんて気の毒だ。彼女があまり、緊張しすぎていないといいのだけれど。マルゴにもアンリエットにも言えないが、わたくしはそんなことを思っていた。

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