第3話 中喪式

 中喪式は大広間のみで行われる。参列するのも、ごく限られた貴族だけだ。

 広々とした大広間は荘厳に飾り付けられていた。どこもかしこも黒と白、あるいは灰色。飾られている花も白、白、白。わたくしたちも灰色の布でドレスを覆い、灰色のショールを羽織って、黒い帽子に黒いレース飾りをつけ、続々と訪れる招待客を迎えている。致し方ないとはいえ、気の滅入る光景だ。

 そこへ、ブライアン様がやってきた。

 

「お姫様方。ご機嫌はいかがですか」


 マリアンヌ様の婚約者、ブライアン・オークウッド様は、今日も本当に麗しかった。黒い喪服に身を包んでいらっしゃるのに、まるで大輪の薔薇の花束を抱えているかのような華やぎだ。ブライアン様がマリアンヌ様に向ける微笑みは、それだけで周囲を色づかせる。

 従者の他にもうひとり、若い貴公子もご一緒だった。ダミアン・ラコルデール子爵。スキーの折にご領地が災難に遭い、同行がかなわなかったあの方だ。わたくしとしては、自分の企みのためにこの方の不在を喜んでしまったことがちょっと後ろめたい。


 マルゴが居住まいを正した。お父様とマルゴの間で、わたくしの婚約者候補の筆頭に挙げられているのがこの方だ。ダミアン様は子爵だが、将来お父様のフィオリーノ侯爵位を継ぐことになるから、わたくしとの釣り合いは申し分ない。今、ブライアン様と一緒に事業を始める計画になっているそうで、わたくしのお父様もその事業に出資をするとか。身分も財産も才覚も揃った、理想的なお方だ。年齢も二十三歳。六歳差だ。少し離れているが、まあ、似つかわしいと言えなくもない。


 ブライアン様とは外見の印象は全く違うけれど、背が高く颯爽としていて、穏やかに微笑む姿はとても凜々しい。社交の場でもよく名前を囁かれているのを聞く。


「ご機嫌よう」


 マリアンヌ様が微笑まれ、わたくしも微笑んだ。「ご機嫌よう」

 ブライアン様は身を屈め、マリアンヌ様が差し出した左手を取り、そっと額を寄せた。姿勢を戻して、にっこり笑う。


「お邪魔して申し訳ありません。ダミアンが、先日のご無礼をお詫びしたいというものですから」

「まあ、お気になさらなくてよろしいのに。お仕事のお話は終わりましたの? 何か、皆さまで新しい事業を始めようとなさっていると聞きました」


 マリアンヌ様が扇の陰でそうおっしゃり、ブライアン様は微笑む。


「耳がお早いですね。ルークラフトの領地で、面白そうなものを見つけたんです。魔石ではないんですが、ある加工をすれば、魔石の純度を高める効果が得られる目処が立ってきたんですよ。それでダミアンに協力してもらって……」


 ブライアン様は上手にマリアンヌ様とアンリエットをわたくしから離した。マリアンヌ様が身を乗り出してブライアン様の方に少し近寄った、そのわずかな隙間に、ダミアン様の穏やかな声が割り込む。


「先日は……大変ご無礼をいたしました。ランベール様」

「まあラコルデール様、どうかお気になさらないで。ご領地が雪崩に遭われたとか。皆さま、おけがはございませんでしたの?」


 わたくしが扇の陰から視線を向けると、ダミアン様は嬉しそうに微笑んだ。


「ご心配に感謝いたします。要衝にある橋が崩落してしまいまして……」

「まあ!」

「建て直すのにしばらくあちらに行ったっきりでした。なんとか歓迎祭には戻ってこられて嬉しい限りです。領民にケガがなかったのが、不幸中の幸いというところで」

「そうでしたか。それは何よりでございましたこと」

「せっかく貴女と出かけられる機会だったのに。惜しいことをいたしました」


 おっと。

 わたくしは扇に視線を隠した。おそらく、我が娘を口説いても良いとお父様から許可が出たのだろう。今まではここまでの攻勢に出てくることはなかったのに。

 マルゴがわたくしの様子を窺っているのがわかる。確かに、戴冠式まであと半年しかない。ご実家と連携を取って婚約式の準備を進めるなら、もう相手を決めなければ間に合わない。今からだって遅いくらいだ。ダミアン様はわたくしよりだいぶ年上だけれど、ブライアン様のお友達だし、素行が悪いという噂はないし、ご実家は資産家で名家で、王家への忠誠も篤い。ダミアン様ご自身にも才覚があり、充分ハンサムだ。

 この辺りが潮時というものなのだろう。


 わたくしは扇から目を覗かせた。精一杯の微笑みをのせて。


「……またご一緒できる日をお待ちしておりますわ」

「本当ですか」ダミアン様はぱっと顔を明るくした。「お手紙をさし上げても、よろしいでしょうか。ご実家の方へ」


 ブライアン様を通さなくても良いかと問われ、わたくしは決意と共に頷いた。


「ええ」

「――ありがとうございます」


 ダミアン様は深々と頭を下げた。わたくしは左手をそっと出した。ドレスの陰から出るか出ないか、ギリギリの控えめな動き。ダミアン様は気づかないかも知れない、と思った。

 しかしダミアン様はご自分の胸元に左手を握り、右手で、わたくしの左手を取った。額に押し頂くようにするその仕草に、わたくしは、自分の胸が少し温かくなるのを感じた。

 この方とならば、生涯を共に歩み、マリアンヌ様とブライアン様を支えていくことができるのだろうか。まだ全然実感がないけれど、そのうち、湧いてくるものなのだろうか。




 マリアンヌ様とブライアン様のお話が一段落したとき、高らかにラッパが吹き鳴らされた。中喪式のはじまりだ。

 わたくしたちは居住まいを正した。壇の下に聖職者が歩み出て、口上を述べ始める。

 

 中喪式の成り立ちには歴史的な経緯がある。国王の死を悼む期間を一年と定めたのは神とされているから、儀式を主導するのは聖職者だ。

 いかに神様のお言いつけと言えど一年は長すぎる、というのが、神ならぬ身の我々の本音だ。生まれたばかりの赤ちゃんが歩き出すほどの期間、国の歩みを休めなければならない。聖職者の力が強かった大昔に定められた決まり事だが、裕福なエステル王国の国力を削がんとする隣国ショーペルトの差し金だったのではないか、と、まことしやかに囁かれるほどだ。

 今まで何度も短縮が試みられた。さすがに国会まで開会できないなんて不便すぎる。王不在の空白に、他国から横やりが入るのも困る。――そういった国の申し入れを、教会はずっと拒み続けてきた。しかし、ジャクリーヌ様のお兄様、ジャン・エステル様がご在位のさなかに身罷られたとき、ついに教会は“中喪式”の開催を受け入れた。


 本来の期間が実質的に半分に短縮された、画期的な改革だった。

 下喪期にはもう、催しが制限されることはない。諸外国との交流も再開でき、国会も開催でき、予算執行にも制限が設けられなくなる。戴冠式はまだ教会が拒んでいるが、わたくしがロクサーヌ様くらいの年になるころには、もう少し柔軟になっているはずだ。今は、この大陸が平和で温暖で豊かであるから王位が空席であることもそれほどの弊害とならずに済んでいるが、ショーペルトの王がもしまた野心を抱いたりしたら、喪に服している長い長い期間が致命的になりかねない。


 ……ともあれ、中喪式である。聖職者にとって、これは、神への言い訳をするための儀式ということになる。王や貴族の“増長”を抑えきれなかった自分のふがいなさを嘆き、自尊心を慰める儀式でもあるのだよ、と、お父様は皮肉をおっしゃっていた。時間は一時間と定められているが、とても退屈で、長々しい儀式だ。

 しかし最後、ブレソール枢機卿が登壇されると、雰囲気が一変した。


 白い法衣に身を包んだブレソール枢機卿猊下は、先日と変わらずとてもスマートだった。法衣がとてもよくお似合いで、貴婦人たちから悩ましげな吐息が漏れる。

 大広間の最奥に作られた祭壇に聖典・錫と共に上がられる。静まりかえった人々に向け、静かな、しかし朗々とした声でお話を始める。


「ジャクリーヌ様。……あなた様がこちらにいらして、玉座を実際に温めていらした間、私たちは幸せでした。尊きお姿を玉座に見ることがかなわなくなってから、どれほど私たちがあなた様を愛していたのか……あなた様の治世と功績がいかに素晴らしかったかを、思い知りました。できることなら、あなた様にまたお会いしたい。玉座に座るあなた様をこの目で見、勅命を、この耳で聞くことができたなら、どんなに幸せであろうかと、この儀式の間ずっと考えておりました……」


 枢機卿の言葉は本当に巧みで。ジャクリーヌ様への哀悼のお気持ちが、にじみ出るようで。

 わたくしは、自然と涙が浮かんでくるのを感じた。ああ、ジャクリーヌ様。あなたへの哀悼の期間を、長すぎると思ってしまう、わたくしのこらえ性のなさをお許しください。あなたが好きでした。大好きでした。それなのにたったの半年で、わたくしは前へ進みたくてたまらなくなってしまっている……。


 ジャクリーヌ様は、本当に素敵な方だった。わたくしのお母様が亡くなったとき、泣き崩れてくださった。そして、哀しみで立ちすくみ涙も出なかったわたくしをその胸に抱いてくださり、涙がこぼれ落ちるまで――わたくしの受けた痛手と哀しみが涙によって溶かされるまで、マリアンヌ様と一緒に、わたくしの話を辛抱強く聞いてくださったのだ。


 とても尊い方だった。マリアンヌ様はジャクリーヌ様によく似ていらっしゃる。本当に、とても強くて優しいお方だった。あんなに突然、あんなにも早く、あの方を失うことになるなんて、思いも寄らなかった……


「しかし我々は、尊きお方を失った哀しみと痛手を胸に、それでも前に進まなければなりません」枢機卿は朗々と声を張る。「そして次期王位継承者を選び、神の許しを得、その方と共にまた歩んでいく決意を固めなければなりません。これからの下喪期を、有意義に、そして敬虔に過ごしてまいりましょう」


 枢機卿は空に、祈りの印を指で描いた。


「神はいつも、我々を見ておられます。――中喪式を終えます。哀しみは消えずとも胸に抱き、新たな世を迎える準備をいたしましょう。皆で手を携えて」


 高らかに、哀悼のラッパが鳴った。

 わたくしは扇に顔を隠した。マルゴがそっと、脱脂綿を差し出してくれた。目元のお化粧が落ちないように気をつけて拭く。マリアンヌ様はまっすぐに前を向いておられた。強くて凜とした横顔。

 お母様が亡くなられて、まだ半年しか経たないのだ。それなのに、どうしてこうも強くいられるのだろう。

 この方にあれほどの打撃を与えた“鏡の向こう”の出来事は、いったいなんだったのだろう……。


 わたくしがそう思っていると、ラッパの響きが色を変えた。哀悼の音色から徐々に音を変え、晴れやかな音色になっていく。強く。強く、高らかに。弦楽器が加わり、いっそう華やかになった。夜が明けた、と、わたくしは思った。長い哀しみの時期をのりこえて、明るい昼に向けて夜が白んでいく。そんな情景がまぶたに浮かぶ。

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