第16話 伯爵夫人の証言
おそらくは、根回し済みだったのだろう――
呆然としながら、わたくしは考えていた。
オーフェルベックは、モルト夫人を見放したのではなかった。彼女の失敗を逆手にとった。王女の最も大きな後ろ盾は、現宰相を務めるランベール公爵、わたくしのお父様だ。わたくしを王女の側から排除することができれば、オーフェルベックにとってその効果は絶大のはず。
いったいどうして。
子供じみた、駄々っ子のような考えが、頭から去らない。
いったいどうして。
何もしていないのに。本当に知らなかったのに。知らないままに立ち向かって、なんとかその疵を最小限に抑えたのに。
まさかそれを逆手にとって、こちらを攻撃してくるだなんて。
“ご自分が標的だとは、考えないのですか”
テオの警告が、頭の中でわんわん響いている。
「オリンピア・リッツィエリ伯爵夫人。ようこそおいでくださいました」
モルト夫人は被告のはずなのに、まるで裁判長のように振る舞っている。裁判長もそれを止めない。ここにも根回し済みだったのか、と、思わずにはいられない。この裁判は簡易的なもので、通常の手順を踏むものではない、でも、だからといって。いくら何でも、これほどに段取りを無視していいわけがないのに。
オリンピア様は今日も本当に綺麗だった。この方は全くおしゃれな方だ。喪中に許される限りのギリギリの華美さを身にまとい、華やかで、大胆で。
扇に顔を隠して彼女は証人台へ立った。モルト夫人は微笑んでいた。勝利を確信したというように、勝ち誇っていた。
「先日のご訪問について――デュシュマン公爵側の担当をされたのは、貴女でしたわね」
モルト夫人が訊ね、オリンピア様は頷く。猫が喉を鳴らすときのような目が、扇の隙間からわたくしを見ている。
「やりとりを始めたのはいつ頃でしたかしら」
「そうですわね……モルト夫人が王宮にいらした、直後からでしたわね」
オリンピア様はそう答え、モルト夫人は頷く。
「そうでしたわね。お申し出は、王宮側からいたしました。ランベール家の姫君が、王女殿下の婚約式で着るドレスについて、デュシュマン公爵にご意見を伺いたいと」
「ええ。本来ならばランベール姫がデュシュマン公爵家に赴くべきだけれど、あまり大々的にはできないと……王宮に遊びに来ていただくついで、という体裁を取れないかと、お手紙をいただいたのですわ」
「どなたから?」
モルト夫人は目を細めて訊ね、オリンピア様は、わたくしをじっと見て。
答えた。
「あなたから」
「――」
わたくしはよろめき、モルト夫人は一瞬、笑い声を上げた。だがすぐにそれを抑え、歓喜の声を押し殺すように、叫んだ。
「どなたから? もう一度おっしゃってくださいな、あなたとは、どなたのことです?」
オリンピア様はモルト夫人を見て。
さげすむように笑った。
「……何かおかしいことを言ったかしら? ジョアンヌ・ジル・モルト子爵夫人。あなたからお手紙をいただいたのよ。そんなお年でもないでしょうに、もうお忘れになったの?」
モルト夫人は目を丸くした。「え――?」
「わたくしにお手紙をよこしたのは貴女よ、モルト夫人。いただいたお手紙を全て持って参りました。裁判長、証拠として提出いたしますわ。初めはまさか、王女殿下とランベール公爵家のお姫様を謀る、天をも恐れぬ陰謀のはじまりだとは思いませんでしたけれど……」
オリンピア様はつきそってきた侍従に合図をした。侍従は掲げていた鞄の中から手紙の束を取り出した。手紙は、二十通はありそうだった。侍従はしずしずとそれを運び、裁判長側の召使いが、銀のお盆を捧げた。侍従は手紙をそれに載せ、召使いはこれまたしずしずと、裁判長のところへ運んでいく。
裁判長はうろたえていた。
あの顔は二度と忘れるまいと、わたくしは思った。
聖職者のくせに。自らの欲を全て捨て、神とこの世にその身を捧げると、神の前で誓ったくせに。
「――裁判長。署名は全て、ジョアンヌ・ジル・モルト夫人になっているでしょう。わたくしはテレーズ様と、個人的なやりとりは一度もしたことがございません。モルト夫人は、王女殿下はもちろん、特にランベール家のご息女とその侍女からこのたびの企みを隠そうと、それは骨を折っていました。わたくしが知る限り、ランベールのお姫様がこの企みをご存じだったという事実はなかったはずです」
「……オリンピア、様……!? 何を、何をおっしゃるの!? どうして……っ」
「だから手はずどおり訪問して、本当に驚きましたわ。主がスキーに出かけて、暢気に昼寝をむさぼっているはずだった王宮には、全ての準備が整えられて。麗しい巻き毛のテレーズ様が、にこにこ笑顔で迎えてくださって。見事な昼餐に呼ばれて、素敵な歌を披露されて、当初の目的もつつがなく果たされて――わたくしはあの日、モルト夫人、貴女がわたくしを裏切ったのだと思ったわ。テレーズ様がご存じのはずないのに、まるで万端の準備を整えて訪問を迎えたようだった。いったいどんな魔法をお使いになったの?」
オリンピア様は楽しそうに訊ねられ、わたくしは、つい、つられて答えた。
「……本当に驚きました。その前の日のお昼に、信じられない籠が届いたので……料理長が病気になったのではないかと思って、それでマリアンヌ様にお願いして、わたくしとマルゴだけ、秘密裏にお見舞いに行ったのです。そうしたら……厨房は大騒ぎになっていて。あとは、証拠としてランベール家から提出された記録のとおりです。ちょうど、兄と義姉が、タウンハウスに遊びに来ていて……ランベールの料理長、セバスチャンは、知らせを受けて、準備していた食材を全てこちらに融通してくれましたの。とても、とても……運が良かっただけですわ」
「運が良かった――ねえ」くすくすとオリンピア様は笑う。「やはり悪事に荷担する人間には、天は微笑んではくれないようですわね。そうそう、裁判長。申し上げたいことがあります」
裁判長は青ざめていた。オリンピア様の発言が、じわじわと、彼を蝕んでいたようだった。
震える声が、発言を許した。「どうぞ」
「ありがとうございます。昨日、とあるお方から、裁判で偽りの証言をするようにと圧力を受けました。偽ればサタージェン金鉱の利権の一部を。偽らねば、……孫の命はないと」
「……なんと!」
礼拝堂がどよめいた。オリンピア様は傍聴人を見回して、微笑んだ。
「皆さまご存じのとおり、わたくしの孫はジョナサンただひとり。二日前、孫は何者かに襲われました。どこかへ連れ去られるところでしたけれど、危ういところで難を逃れ、今は安全なところに身を隠しております。もし今後、孫の身に何かがあったなら。わたくしも、圧力をかけた相手を告発すると、ここで宣言させていただきます」
「り、リッツィエリ伯爵夫人。貴女は……貴女は、デュシュマン公爵のご来訪を、王女殿下とら、ら、ランベール公爵令嬢から隠し……不意打ちでの……訪問と、するという、この悪事に荷担していた。それを、それを、……お認めになるのですか」
裁判長は、しどろもどろにそう言った。オリンピア様は、微笑んで、頷いた。
「ええ。……認めますわ」
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