第15話 道連れ
我に返ると辺りは大変な喧騒に包まれていて、裁判長が、青筋を立てて怒鳴っていた。
「静粛に! 静粛に! モルト夫人、言葉を慎みなさい!」
モルト夫人は凜と立っていた。ほつれた髪が彼女の頬を彩っている。
まるで女王のように堂々とした立ち姿を、わたくしは斜め後ろから呆然と眺めている。
「いえ閣下、申し述べさせていただきます。わたくしは遠からず処刑される身。ですが本物の悪女を殿下のおそばに残していくことは不敬に当たりますでしょう。わたくし、ジョアンヌ・ジル・モルトは、ここに告発いたします。テレーズ・ランベール様は、こたびの企みをわたくしにお命じになった張本人です。……そして女官総監の地位を手に入れるために、わたくしを利用したのですわ!」
「静粛に!」
がん、と槌が振り下ろされた。モルト夫人はたじろぎ、顔を伏せた。唇を噛みしめた横顔。わたくしは、モルト夫人はこんなに美しかっただろうか、と思った。
この人を綺麗だと思ったのは、初めてだった。
裁判長も目に見えてひるんだ。モルト夫人の美しさには、それ以上の打撃をためらわせるものがあった。
モルト夫人は囁くように続けた。
「……ランベール様は、ずっと、王女殿下の女官総監の地位を手に入れようと画策していらっしゃいました。前任のスヴェマン夫人からもそのように申し送りを受けておりました。着任以来ずっと、ランベール様のお申し出をお断り申し上げるのに、苦心いたしておりました。それは城の者たちが証言してくれると思います」
「モルト夫人、」
「罪状認否の場は、被告が真犯人を告発できる唯一の場。裁判長、どうか、公爵家のご威光に屈することなく、公平な裁判をお願いいたします」
モルト夫人は涙をこらえ、頭を下げる。そう言われて裁判官は迷った。
少しの間ひそひそと左右の裁判官と言葉を交わし、それから、槌を軽く、とんとたたいた。
「……発言を続けなさい」
「ありがとうございます、閣下」
夫人は優雅に頭を下げ、またわたくしを見た。
「テレーズ様からの度重なるお申し出にも、わたくしは屈しませんでした。テレーズ様は、亡き女王陛下の喪中というこの絶好の機会を利用して、是が非でも、王女殿下の女官総監という輝かしき地位を手に入れんと、それはまあ頑張っておられました……」
いったいこれは、何の話?
わたくしはあっけにとられていた。わたくしは一度も、マリアンヌ様の女官総監の地位を手に入れたいだなんて申し上げたことはない。モルト夫人の前任、スヴェマン夫人にだって一度も言ったことはないし、そもそも未婚のうちに女官総監になりたいなんて、思ったこともない。
しかしモルト夫人はまっすぐにわたくしを見据え、“わたくしの罪”を告発している。けなげに、勇気を振り絞るように。崇高な意思に、突き動かされるように。
「ですがわたくしには弱みがありました。甥の家業が傾きまして……ランベール公爵家で援助をしていただかなければ、立ちいかなくなってしまいまして。甥は、子のいないわたくしにとっては実の息子のような存在です。背に腹は代えられませんでした」
モルト夫人は涙ながらに自らの窮状を訴えた。甥への融資を盾に迫られて、公爵家の娘からの要求を断り切れなかった……ロクサーヌ様の来訪を王女殿下から隠し通し……その窮地を救うことで、テレーズ・ランベールは、王女殿下の女官総監という地位を手に入れる……
「わたくしの罪は、そのような申し出を、きっぱりと拒否することができなかったこと。それは明らかです」
はらはらと涙を流しながらモルト夫人は訴えた。
「……ですが昨日、わたくしは、おかしなことに気が付きました。わたくしはテレーズ様の指示で、王女殿下へお出しする昼食の籠をすり替えたのです。その籠を殿下にお見せし、殿下のご不興を買い、王宮からたたき出される手はずになっておりました。しかし、テレーズ様はその籠を殿下に出さずに、わたくしを、……追い出さなかったのです。一晩悩みました。テレーズ様のお心がわからなかった。けれど、捕らえられてようやく、わかりましたわ。テレーズ様、貴女はわたくしを切り捨てた。天使のような顔をして、よくもまあぬけぬけと。すべてをわたくしの罪にして、ご自分だけ……何も知らず、こたびの企みを阻止することで……ご自分だけを……守ろうと、なさったのですね……」
モルト夫人は泣き崩れ、裁判官は、槌を軽くたたいた。
「……発言はそれで終わりで、よろしいですかな」
「テレーズ様のお考えを聞きとうございます」モルト夫人はさめざめと泣く。「甥へ……甥は……甥だけは……巻き込まないでほしいと、あれほど……お願い申し上げましたのに……」
「テレーズ・ランベール様」裁判官は、おほん、と咳ばらいをした。「証人席へ、お上りいただけますか。恐縮ではございますが」
「その必要はないわ」
マリアンヌ様がさっと立ち上がった。
「よくもまあ、実のない真っ赤な嘘をもっともらしく話せるものだこと。裁判長、このような場にわたくしの親友を引きずり出すようなまねはなさらないことね」
「マリアンヌ様、」
「スヴェマン夫人を呼びなさい。まずあの人に、テレーズが女官総監の地位を手に入れようと画策したことが一度でもあったかどうか、証言してもらいましょう。話はそれからよ」
「スヴェマン夫人は遠方にいらっしゃいます」
事務官が言い、マリアンヌ様は頷く。
「ええ、そうね。だから今日の審理はこれで終わりにして」
「しかし、殿下」
裁判長は困っている。マリアンヌ様は扇をぱちんとたたんだ。
「モルト夫人の甥とやらも呼びなさい。甥の窮地を救うなら、なぜ、後ろ盾であるオーフェルベックに相談しないの? そも、モルト夫人はわたくしの女官なのだから、真っ先にわたくしに相談するのが筋のはずよ。なぜ縁もゆかりもないランベール公爵家だけが甥を助けることができるの? そもそもテレーズを女官総監にしたいと言ったのはわたくしよ! テレーズには断られたのよ、まだ若輩だからと、辞退されたのよ! どうせならもっとマシな嘘を用意なさい! テレーズはあの日の朝まで、ロクサーヌ様のご来訪を知らなかった。これが事実よ、そうでしょう?」
問われて、わたくしも立ち上がった。左手を胸に当て、王女殿下へ向けて、宣誓の姿勢をとる。
「……マリアンヌ様に誓って。存じませんでした」
「上の皆さまはいつもそうですわ」モルト夫人は涙ながらにそう言った。「命じておいて、後は知らぬと……下々の者は、公爵家のために犠牲になって当然だと……信じたわたくしが、愚かでございました……」
「モルト夫人、いい加減になさい。これ以上テレーズを侮辱することは許さないわ」
「許さないと」モルト夫人は涙を堪えて、微笑んだ。「わたくしを捕らえて、処刑すると? ええ、どうぞご自由になさってください。わたくしはすでに捕らえられ、王家への反逆罪で処刑される身の上ですもの。でも殿下、どうかおわかりいただきたいのです。貴女が信じておられるそのご親友は、天使のような顔をした稀代の悪女でございます。殺されても……罪に落とされても……その嘘つきのあばずれだけは」モルト夫人はわたくしをまっすぐに指さした。「殿下のおそばから遠ざけなければ、殿下の女官として、それだけは成し遂げなければ!」
道連れだ。
呆然としながら、わたくしは考えた。
モルト夫人は失敗した。いくらオーフェルベックでも、彼女をかばいきれない。
だからわたくしを、道連れにしようとしている。
声が震えるのを、止められなかった。
「発言をお許しください。……わたくしは、本当に」
「証人がおります」モルト夫人は鋭くわたくしの言葉を遮った。「デュシュマン公爵側のやりとりを担当していたのは、オリンピア・リッツィエリ伯爵夫人でございます。リッツィエリ様が証言してくださいます。全ての黒幕は、テレーズ・ランベールだったのだと……!」
「失礼いたします」
礼拝堂の扉がさっと開いて、そこから。
オリンピア・リッツィエリ伯爵夫人が現れた。
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