第14話 裁判
ジル・モルト夫人の裁判が執り行われたのは三日後のことだ。
今回の裁判は、王宮独特の簡易的なシステムで行われる。このシステムを導入したのはジャクリーヌ様だそうだ。王宮内は治外法権だが、王宮勤めの者たちが安心して働けるよう、重い刑罰を科す際には外部から判事を呼び、その正当性を記録するようお命じになったのだ。最近では他の高位貴族の家でも採用されている。
開廷の一時間前。わたくしもマルゴと共に会場へ赴いた。
傍聴人はごく限られた者しかいない。王宮の広報官と王立高等法務学校の教師たちと学生たち。それから、今回の件で被害を被った方々だ。まずマリアンヌ様とのスキーを邪魔されたブライアン・オークウッド様。それから観賞用食材での昼食を強いられたわたくしのお父様、お兄様、お義姉様。ランベール家があれほどのお食事を王宮に提供することができたのは、普段は領地で領主代理を務めているわたくしのお兄様が、お義姉様を伴われて、タウンハウスへ来られたちょうどその日だったから、だそうだ。セバスチャンのコレクション、観賞用食材は、ランベール家で使われた。わたくしの大好きなお義姉様は、偽の鶏の丸焼きを眺めながらビスケットを召し上がったのだ。
それから休日返上でてんてこ舞いをさせられたアンリと王宮の料理人たち、執事のデイモンやアイザックら侍従たち、家政婦長とその配下の方たちは、証人兼傍聴人として呼ばれている。
その他、本来ならばオーフェルベックからの関係者が傍聴するはずだったが、出席を断ったと聞いている。王宮の塔に滞在しているオーフェルベック公爵の実弟、セオドア・アランブール侯爵も、出席を辞退した。オーフェルベック側はモルト夫人に弁護士さえ派遣しなかった。モルト夫人の弁護を担当する弁護士は王立高等法務学校の教師で、モルト夫人とは縁もゆかりもない。どうしても、少々気の毒に思えてきてしまう。オーフェルベックのために今回のことを企てたというのに、失敗したら切り捨てられるだなんて。
会場は王宮内に複数ある礼拝堂のひとつ。わたくしの通う一番小さな礼拝堂とは違い、五十人ほどは入れる広さがある。いつも備え付けの木の椅子は床下にしまわれ、柔らかな長椅子がいくつも運び込まれていた。宰相であるお父様は今日は職務のため欠席と連絡があり、その代理としてお兄様が出席する。そのお兄様とお義姉様はすでにいらしていた。お義姉様はわたくしを見て、優しく微笑まれた。「テレーズ。ご機嫌よう」おっしゃりながら立ち上がろうとなさるので、慌てて押しとどめる。
「どうかご無理をなさらないで、お義姉さま。お兄さまも、ご機嫌よう。お二人とも、このたびは本当にご迷惑をおかけいたしまして申し訳ありませんでした」
お兄様は、うん、と頷いた。お義姉様は微笑んで、首を振る。
「いいのよ。こちらに来ることを知らせていなかったのだもの、あなたが意図した“迷惑”ではないでしょう?」
「そう言っていただけると心が安まりますわ。……そうよお義姉さま、どうしてこちらに来ることを知らせてくださらなかったの?」
唇が勝手にとがらないよう、気をつけなければならなかった。
わたくしはお義姉様が大好きだ。来られるとわかったていたら、あれこれ準備を整えておいたのに。お義姉様は困ったようにお笑いになった。「ごめんなさいね」優しい声でおっしゃった。
「秘密にする気はなかったの。着いたらもちろん貴女にお知らせして、何日か帰って来てもらえないかとお願いするつもりだったわ。でも事前に知らせていたら、貴女はきっと十日前からご自宅に戻って準備に奔走しちゃうじゃない?」
「十日じゃないわ。一か月前よ!」
「だからよ」ふふふ、とお義姉様はまたお笑いになった。「貴女には、王女殿下をお支えする大切な役割があるでしょう? わたくしのために、貴女を何週間も独占するわけにはいかないもの」
どうか気を悪くしないで、とお義姉様は微笑まれる。もちろん気なんて悪くするはずがない。お義姉様の前にいて、不機嫌でいられる人間なんてきっとこの世に存在しない。来てくださって本当に嬉しい。わたくしはいそいそとお義姉様の隣に腰をかけた。うん、この柔らかな長椅子なら、お義姉様のお体にも障らないはず。
お義姉様は南方のリーデンベルグからお嫁に来られた、本当に優しくて素敵な方だ。お兄様の一番のお手柄は、この方をランベール公爵家の一族に引き入れてくださったことだ、と、お父様もお兄様ご自身も、公言されている。マルゴが進み出て、軽く膝を折り、お義姉様の侍女に向けて小さな包みを差し出した。お義姉様がわたくしを見る。
「これはなあに?」
「クリームです。ニコラス・ルドラスの新作で、肌に良くすり込むと本当に気持ちが良くて。香りも強くないので、使っていただけると嬉しいのですが」
「まあ、どうもありがとう」
お義姉様のお腹には、我がランベール家の跡継ぎがいらっしゃる。お腹が大きくなってくると、お腹の皮膚が割れてしまうことがあるという話を聞いた。それを予防するには、まだそれほどお腹が大きくならないうちから、クリームで優しくマッサージする必要があるのだとか。臨月にはまだ間があるが、準備しておくに越したことはない。ニコラス・ルドラスは王宮に出入りしている職人だ。彼の作るうちで一番高級なクリームから、香料をできる限り抜いてもらえるよう依頼して作ってもらった。妊娠してからすっかり香りに敏感になってしまったと先日嘆いていらしたが、このほのかな香りなら、お気に障らないのではないだろうか。
お義姉様の侍女がさっそく包みを開け、蓋を開けてお義姉様に差し出した。目を閉じて、香りを嗅いで、お義姉様は嬉しそうな顔をなさる。
「ああ、これなら大丈夫。ちょっと使ってみてもいい?」
「ええもちろん」
お義姉様はクリームを指先でとり、ご自分の手の甲にのせてすり込んだ。お義姉様の侍女と、わたくしと、マルゴの手の甲にもちょっとずつのせてくださる。
「まあ、本当に使い心地の良いクリームですこと」
「そうですね、とてもすべらかで、よい心持ち」
みんなで顔をつきあわせてクリームの使い心地を確かめていると、ランベールの城に滞在しているかのような気持ちになってくる。
お母様が亡くなったあと、社交界での後見をさがす気にならなかったのは、わたくしにはお義姉様がいるからだ。少々年はお若いとはいえ、ちゃんと既婚者であられるし、お義姉様のお母様はご存命であられるから、ドレスや装いのアドバイスはお義姉様とその母上様からいただけば良いと思っていた。お父様も、きっとその心づもりでいらしたはず。
モルト夫人はこの優しいお義姉様をないがしろにしたも同然だ。
わたくしは小さな声で囁いた。
「お義姉さま。これからしばらく、タウンハウスにいらっしゃるのでしょう?」
「ええ、お父様がご招待くださったの。こちらで出産を迎えれば良いと」
「わ」わたくしは座り直した。「嬉しいわ! じゃあ、しばらくはこちらに?」
「そうね、無事に生まれて、歩き出すまではこちらで」
「わあ、そんなに? 嬉しい! お兄さま、あちらをそんなにお留守にして大丈夫?」
お兄様は苦笑した。まあね、と頷いてくださる。
「私はずっとはいられないけれど、お前はそれでちっとも構わないんだろう?」
「あら」思わず笑ってしまう。「そんなことないわ。お兄さまもいてくださった方が嬉しいわよ」
「社交辞令をどうもありがとう。心配しなくても、フランソワーズは二年ほどこちらにいるよ。王都の方が便利だし、楽しい催しも多いからね」
「お兄さま素敵! それじゃあ今回の件が片付いたらわたくし家に帰ってもよくて? お礼をしなきゃいけないし、セバスチャンにお礼もしたいし!」
マリアンヌ様が、今回の件でお詫びをしたいと言ってくださっている。非公式にだが、一泊か二泊ほど滞在されることになるだろう。その準備のために近々帰らなければと思っていたが、お義姉様がいてくださるのなら実家に帰る楽しみもひとしおというものだ。お兄様は苦笑して、ほどほどにね、とおっしゃった。もちろんほどほどにする。わたくしが騒がしくしたせいで、万一にもお義姉様のお体に障るようなことがあってはならない。
裁判が始まった。
モルト夫人は、あの日の早朝に逃亡をもくろんだそうだ。
マリアンヌ様とわたくしを送り出すまでは、何とか踏みとどまっていた。たぶん、ロクサーヌ様の来訪が発覚するのを防ごうとしたためだろう。
モルト夫人の不幸は、事態が発覚したのが、公爵の到着よりもかなり早かったことだ。ジョスリーヌ子爵夫人のお陰で事態を知った
引き立てられてきたモルト夫人は、縄こそ打たれていなかったものの、悄然とうつむいていた。ほつれた髪が頬に垂れ、彼女の表情を隠していた。この三日で、ずいぶん痩せたように見えた。敗者を鞭打つようないたたまれなさを感じる。
わたくしも証人として証言をしなければならない立場だから、席は被告席のすぐ後ろ。モルト夫人はわたくしと、その隣にいらっしゃるマリアンヌ様に気づいているはずだが、何も言わず、こちらを見もしなかった。
審理は滞りなく進んだ。通常の裁判ならば何日かに分けて進められるはずだが、この簡易版の裁判はすでに判決が決まっており、王宮の立場を明確にするための儀礼的なものだから、進行もとてもスムーズだった。最後に被告人が罪状を認めればそれで終わり。裁判官はとうとうと彼女の罪を読み上げる。家政婦長と執事長・近衛兵長が彼女の部屋を捜索し、数々の証拠を集めて提出している。さすがのモルト夫人も極刑は免れまい。
ところが。
「被告人。罪を認めますか」
裁判長がそうおっしゃったとき、モルト夫人は、顔を上げた。
「はい」
きっぱりとした声だった。
そして初めて振り返って、わたくしを見た。
「閣下のおっしゃいました罪はすべて認めましょう。まんまとしてやられました、テレーズ・ランベール様。まさか貴女様が、わたくしを、……捨て駒にするおつもりだったなんて」
頭の中が真っ白になった。
――今なんて言ったの?
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