第13話 お客様のお帰り
ロクサーヌ様は五枚のデザイン画を見比べ、にっこり微笑んで、「どれも素晴らしいわ」とおっしゃった。
「テレーズ、貴女は若草色や空色の、可愛らしいデザインを好む印象があるわ。このデザインも三枚はそういう系統の配色ね。でもね、貴女も十七になったでしょう。もう立派な大人なのだから……ほら、五枚目のこのデザインをご覧なさいな! あなたのデザイナーはたいしたものよ! こたびの戴冠式は、あなたが王女殿下の右腕に成長したのだということを皆さまに印象づける格好の機会になる。これくらい大胆でゴージャスなドレスを選ぶべきよ」
ロクサーヌ様が示したドレスは、わたくしには気後れするような大人びたデザインのもの。デザイナーも特に力を入れたことがわかる、精密なスケッチだ。
「……着こなせますでしょうかしら」
「もちろんよ。デザイナーを信じなさい。似合わないドレスを作るわけがない」
「そ、そうですね。それではこれで……色は、濃紺……かしら」
五つ目のデザインの配色には、濃紺、深緑、真紅の三色が記されている。わたくしがそう言うと、ロクサーヌ様は間髪入れずにおっしゃった。
「いいえ、真紅よ」
「真紅!」
驚く。真紅はわたくしの今までの慣れ親しんだ色とは真逆だ。ロクサーヌ様はにんまりと微笑んで、麗しの人差し指でこつこつとそのデザインを叩いた。
「ご覧なさい、この斬新な襟元。貴女の伸びやかな喉を印象づけるためにレースはなし、でも刺繍は必要になるわ。だから色は絶対に真紅」
「まあロクサーヌ様」マリアンヌ様が声を上げた。「――わたくしも同意見です。テレーズ、色は絶対に真紅よ!」
「そうでしょう? そうでしょうとも! デザイナーも書いているでしょ、ほら、五つのデザインの全てに真紅が入っている」
確かに。
わたくしは頭から真紅を除外していたが、言われて良く見てみると、五つのデザインの配色全てに真紅が入っている。
「五つ全てに共通しているのは真紅だけよ。と言うことはつまり、デザイナーは、貴女には絶対に真紅が似合うと考えている。わたくしもそう思うし、」
ロクサーヌ様はマリアンヌ様を見、マリアンヌ様は笑って頷く。
「わたくしもそう思うわ!」
「ね? ほらご覧テレーズ、知らないのは貴女だけよ。最高の絹地を選べば、真紅には、貴女の可愛らしさを美しさへと変貌させる力がある。下手をすればちぐはぐで滑稽になりかねない冒険だけれど、そこはデザイナーに任せれば大丈夫。髪結いも化粧も全て彼女に任せなさい。みんな驚くわ。そして貴女を殿下の右腕だと認める。胸元にはお母様の“真実の鏡”をつけなさい。大丈夫、絶対に似合うから。エレガントに、そしてゴージャスに。貴女のお母様も見事だったわ。あの方はね、デビューしたばかりの時は、可愛らしいだけの、大人しくて物静かなドレスで控えめに踊っていたのよ」
「まあそうなんですの? ヴィオレット様はいつも華やかで、おしゃれでいらしたから知らなかった」
「ええ殿下、それがあの方の手管だったのですよ」ロクサーヌ様は深々と頷いた。「本当にしたたかで、賢いお方でした。自分を一番上手く演出できる時をじっと待っていたの、それができる女性はそうはいないわ。それで、ジャクリーヌ様が王宮にお戻りになったあの祝賀会で、いきなり大胆に花開いて皆を驚かせた。わたくしも本当に驚いた。してやられたと思ったものよ! それ以降しばらくは彼女と顔見知りになりたい皆さまが押し寄せてね、テレーズ、貴女のお父様はずいぶんやきもきなさったのよ」
ロクサーヌ様はふふふ、とお笑いになった。マリアンヌ様は感心したように頷いている。
マリアンヌ様のお母様、先日身罷られたジャクリーヌ女王陛下は、王位に就かれる前、長らく日陰の存在だったそうだ。ジャン陛下(ジャクリーヌ様のお兄様でありロクサーヌ様の旦那様)が王位に就かれていた頃、ジャン陛下は、自分より賢く聡明な妹を疎み、警戒し、遠ざけていたと聞いている。
そのお兄様が身罷られたとき、ジャクリーヌ様は、ロクサーヌ様と戦って王位を勝ち取る決意をなさった。ジャクリーヌ様が王宮にお戻りになった祝賀会は、彼女の、もう日陰の存在でいる気はないという、兄嫁に向けての宣戦布告に近いものだった。そして、わたくしのお父様とお母様も婚約を発表し、全面的にジャクリーヌ様を支持する宣言した、意思表明の日でもあった。そんな日に突然生まれ変わるように装いを変えたのも、ジャクリーヌ様とお母様の計画の一つだったのだろう。
ロクサーヌ様はお茶を一口飲んで、咳払いを一つなさった。
「――あのときのドレスがね、艶のある濃紺でした。レースがふんだんに使われていて、裾には小さなダイヤモンドがちりばめられていて。だからデザイナーはその色を入れたのだと思うけど、わたくしの意見では、テレーズ、お母様の二番煎じはやめた方がいい。貴女にはお母様のようなしたたかさはないもの、濃紺は、貴女にはちょっと荷が勝ちすぎると思うわ。あのときのお母様より年も若いしね。けれど、貴女にはお母様とはぜんぜん別の良さがあるのですから、そちらを伸ばした方がいい。ああ、楽しくなってきた。仮縫いの時にはわたくしも同席させていただいてもよくて? それはランベールのタウンハウスで行うのでしょうから――」
わたくしは、はい、はい、と従順に頷き続けた。事態が思いも寄らぬ方向へ転がり続けて認識が追いつかない。
ロクサーヌ様がご満足なさるまで、貴婦人の装いやデザイナーとの付き合い方についてレクチャーを受け、ようやく解放されたのはもう夕暮れ近く。こんな時間までなんとか神経が保ったのは奇跡だと思う。お客様方はすっかり満足なさってお帰りになった。マリアンヌ様は客間で皆さまにお暇を告げられ、わたくしは大広間までお見送りをする。
わたくしとマルゴ、マリアンヌ様の名代としてアンリエット、それから執事や家政婦長、従僕や召使いたち。大広間にひしめくほどの人数が勢揃いで見送る中、ロクサーヌ様たちの馬車がゆっくりと庭園を横切り、門から大通りに出ていく。近衛兵によって大広間の扉がゆっくりと閉じられる。扉が閉まる重厚な音が響いて、わたくしはホッとした。ああ、なんとかやり遂げた。王宮はなんとかその体面を保った。ロクサーヌ様を不意打ちで迎えたというのに、よくしのぎきったものだ!
「ふう……」
ため息が漏れる。マルゴを振り返ろうとして、わたくしは戸惑った。
体が、動かないのだ。
額がとても冷たい。どうしたのだろう? まるで氷のよう。
いえ、冷たいのは額だけではなかった。つま先と足首と、ふくらはぎ。冷気は見る間に這い上り、わたくしは身震いをした。大広間ではなく、早春の外でお見送りしてしまったのだろうか。薄い氷の上に立っているみたいに、足元が定まらない。
「――ま、姫様、……姫様……!」
マルゴの悲鳴がわたくしを揺さぶり、足元が崩れた。マルゴの声が遠ざかっていく。ああふがいない、と、気を失う前に考えた。まだこの事態が解決したわけではない、モルト夫人の処遇や、王宮内のどれほどの人間が関わっていたのかも、何もわかっていないのに。
なんとかやり遂げたという安心感がいけなかったのだろう。
一日張り詰め続けた神経の糸がぷつんと切れて、わたくしはあっさりと意識を手放した。
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