第12話 王女の到着
マリアンヌ様は灰色のドレスに身を包んでいらした。喪中の装いでも本当にお美しい。ああもう本当に、我が王女殿下は最高だ。安堵のあまり吐息が震えるのを必死で隠さなければならなかった。
「皆様、ご機嫌よう。遅くなりまして本当に申し訳ありません。ロクサーヌ様、お久しぶりですわね。お元気そうで何より」
マリアンヌ様はにこやかにそうおっしゃりながら快活な足取りで中へ入ってきた。アンリエットを従え、デイモンにエスコートされてこちらへやってくる。わたくしはマルゴと共に立ち上がり、「お帰りなさいませ」一礼をした。給仕たちが密やかに動き回り、マリアンヌ様とアンリエットのためのテーブルを調えた。わたくしは主人席を退き、一段下座へ移動する。
「不調法ですけれど、すみません、皆様がお茶を召し上がる間、ここで食事をいただいてもよろしいかしら? 朝からずっと、食事を取る暇がなかったのです」
マリアンヌ様のために調えられたのは、大皿に一種類ずつ盛り付けられた先ほどの昼餐、それからナイフとフォークが二本ずつ。ロクサーヌ様は鷹揚に頷いてくださり、「〈鏡〉を見に行かれたとか」と探りを入れられた。マリアンヌ様は優雅にお肉やお野菜を召し上がりながら、「そうなのです」と頷いてみせる。
「いよいよ始まりそうだと言うことでしたわ」
「始まる……」
「ええ」マリアンヌ様は微笑んだ。「でも大丈夫。きちんと準備をしておりますから、どうかご安心なさって」
始まりそうだ――と言う話は前々から聞いていた。マリアンヌ様が今日まで様々な根回しをし、備えを固めていたことも。
“鏡の向こう”では革命の機運が高まっている。革命というのは、今まで支配されていた者が支配者に刃向かい、打ち倒し、取って代わることをいうそうだ。つまりマリアンヌ様やわたくしたちのような人々が、身分も財産も全て奪われて、殺される、と言うことのよう。
わたくしたちの歴史は、“鏡の向こう”の後を追いかけるように流れている。“あちら”で革命が起こり、貴族階級と平民たちとの垣根がなくなった場合には、遅かれ早かれ“こちら”でも、垣根をなくすような何らかの動きが起こる、と言われている。つまりエステル王家は歴史の先読みができるということになる。いつか必ず起こる出来事の影響を最小限に、なるべく穏便な形で治めることで、エステル王家は繁栄を築き、その上に平和を築いてきた。
大丈夫。この国はジャクリーヌ様を喪ったけれど、マリアンヌ様がいらっしゃる。
だから大丈夫。どんなことが起こっても、きっと乗り切っていける。
マリアンヌ様は、優雅に、そしてかなりの量のお食事を召し上がった。わたくしはその隣で、必死に頭を働かせていた。今回の訪問の“本題”が何だったのか――オリンピア様の投げた爆弾はマリアンヌ様の到着によって先送りにされただけで、不発だったわけではない。“わたくしがロクサーヌ様に見せたいと頼んだたってのお願い”とはいったい何だろう。マリアンヌ様がいらっしゃらなくても見せることができる、“素敵なもの”だとオリンピア様はおっしゃった……
――ああ。
少し気分がほぐれたおかげか、最悪の一瞬を先延ばしにしたおかげか。唯一無二と思える解答が頭にひらめいた。
マリアンヌ様とロクサーヌ様がお話しされている声に紛れさせ、わたくしはマルゴに囁いた。マルゴは目を見開き、わたくしをまっすぐに見た。よろしいのですかと目で問われて、頷いた。マルゴも頷き、そのまま召使いに命じてくれる。
ふつふつと怒りがわいてきた。モルト夫人の企みの全容がようやく見えてきた。よくもまあ、好き勝手に動き回ってくれたものだ! この一件が片付いたら、一言文句を言ってやらなければ。
不快さを紛らわせるために、先ほど給仕がお皿にのせてくれたケーキに手を伸ばす。生クリームと果物で盛り付けられているそのお菓子は、まごう事なきシュカルクッフェンだ。
「まあこれ、シュカルクッフェンじゃありません? なんておいしいの!」
ジョスリーヌ様が華やいだ声を上げられた。オリンピア様が、まあ、と声を上げる。
「シュカルクッフェン? このような場でシュカルクッフェンに出会うなんて」
オリンピア様の言葉には、かすかな当てこすりが感じられた。こんなお菓子を出すなんて、という非難とも取れる意味深な発言だ。
シュカルクッフェンはバターをたくさん使うから、どちらかと言えば贅沢なお菓子なのだが、正式なお食事に出されることはほとんどない。それで“卑賤なお菓子”と思い込んでしまう方も多いのだが、本来は別に卑賤でもないし何らかのタブーがあるわけでもない。正餐などで出されない理由はただ単純に、食べにくいからだ。
しかしアンリはさすがだった。スプーンの上に載るくらいのごく小さなシュカルクッフェンは、一口で食べてしまえる大きさだ。上にちりばめられた砂糖が宝石みたいにキラキラ光っている。添えられたベリーのソースは酸味があって、生クリームはほとんど甘くない。甘くて濃厚なシュカルクッフェンと、ふわふわ軽い生クリーム、酸っぱいベリーのソースは、とても複雑な食感だ。
ジョスリーヌ様はオリンピア様の当てこすりをかき消すように頬に手を当てて微笑んだ。まるで同じ年頃の方とお話ししているような、親しみを感じさせる仕草。
「こんなデコレーションの仕方があったなんて。本当に、とても美味しい。わたくし、シュカルクッフェンが大好きですの」
「まあジョスリーヌ様、わたくしもです。わたくしがリクエストしましたの。喜んでいただけて良かった」
わたくしがそう言うと、ジョスリーヌ様はにっこりされた。後日何かしかるべき理由を付けて、贈り物をしなければ。
オリンピア様の内心は全くうかがえない。もしかしたら苛立っていらっしゃるかもしれないが、外に全く出されないのはさすが。
そこへ、召使いが戻ってきた。手に、布張りの書類ばさみを持っている。それがマルゴの手に渡ったのを確認してから、わたくしは勇気を振り絞った。“本題”が終われば、きっとこの会はお開きになる。喪中だから、良識のあるエステル国民は日暮れまでに家に帰り着くのが望ましいとされている。そろそろ家路に着いても良い時間だ。早いところこの場を乗り切って、一息つきたい。朝から緊張しどおしで、そろそろ限界だ。
「ロクサーヌ様。……すみません、もしよろしければ、見ていただきたいものがあるんです。皆様のご意見も、ぜひ伺いたくて」
ああ、これがどうか、正解でありますように。
モルト夫人の企みに従わされるのは不本意だが、とにかく今は目の前の危機を乗り切らなければ。
祈る気持ちを外に出さないよう、努めて穏やかに。給仕たちがすかさず空けてくれたテーブルの真ん中に、ロクサーヌ様たちの方に向けて、マルゴが書類ばさみを開いて置いた。果たして――ロクサーヌ様は、そうそう、というように頷いた。オリンピア様の方を見る勇気はわたくしにはなかったけれど、ロクサーヌ様の反応に、どうやら大きく外してはいなかったようだと悟る。
ああ良かった。わたくしの幸運は、まだ続いているらしい!
「喪が明けたら戴冠式です。父から、早くドレスのデザインを決めるようにと言われておりまして。わたくし、こんな大きな式に参列するのは、成人してから初めてなんです。どういったドレスなら失礼にならないか、――助けていただけませんか」
わたくしにはもはや母がいない。社交界という華やかな場所で、わたくしを教え導いてくれる存在が喪われているということは、皆さまご存じのことだ。つまりわたくしがドレスのデザインについて教えを乞う、ということは、社交界でのわたくしの親代わりになっていただけないかと、匂わせると言うこと。
モルト夫人のせいで、わたくしは“親”を勝手に決められてしまったということになる。それもこちらが下手に出る形で! お父様に至急連絡して許しを請わねばならない。きっとお怒りになるだろう。とても大きな政治的カードを、ロクサーヌ様に譲り渡してしまった。
だからか、と今さら腑に落ちる。だからロクサーヌ様は、王女殿下とわたくしに初めから好意的だったのだ。お子様のいないロクサーヌ様は、社交界にこれからも影響力を持ち続ける格好の口実を得たことになる。公爵とは言えロクサーヌ様はすでに一線を退いた身、有り体に言えば斜陽の存在だ。ランベール家の娘の頼みは、彼女に計り知れない恩恵をもたらす。
「そうねえ」
ロクサーヌ様は書類ばさみから紙束を取った。
わたくしのデザイナーは、お母様の頃からの付き合いのあるベテランだ。わたくしのためにすでに五枚のデザイン画を届けてくれていた。マリアンヌ様の専属デザイナーだから、マリアンヌ様のドレスと同じデザインにならないよう、それでいて調和が取れるようにと、計らってくれているはず。
モルト夫人はロクサーヌ様一派に、わたくしの“親”として社交界に返り咲く権利のみならず、戴冠式でマリアンヌ様が着るであろうドレスのデザインのヒントまで、売り渡したのだ。
これにより、オリンピア様やジョスリーヌ様の娘や孫娘たちも大変な恩恵を受ける。戴冠式に参列する際のドレスに、王女のデザインの一部を取り入れることができたら、他の令嬢たちとは一線を画する存在だと周囲に印象づけることができる。喪中のさなかに、こんなに大勢の侍女や召使いを引き連れて、王宮を訪ねていらした理由がよくわかる。
わたくしは呼吸を整えて、オリンピア様を見た。
モルト夫人の罪は明らかだ。彼女は捕らえられ、しかるべき裁きを受けることになる。
でもオリンピア様は。
このまま知らぬ存ぜぬを貫き通して、何食わぬ顔をして、これからも社交界に君臨し続けるのだろう。ああ本当に、今回はこちらの完敗だ。なんとか致命傷を被らずに済んだだけ、良かったと思うしかない。
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