第5話 厨房へ乗り込もう1/3

 次の日。

 朝早く、わたくしたちはスキーに出かけた。ブライアン様はいつもながら颯爽として、とても素敵だった。


 お年は二十三歳。マリアンヌ様よりも四歳年上で、とても頼りがいのある方だ。きらきらしい外見というのはきっとこういうことだろう。淡い色の髪はさらさらで、光り輝いているように見える。整った顔立ち、すらりとした均整のとれた体つき。マリアンヌ様の隣に立つと、まるで二対の美術品のよう。ああ、今から結婚式が楽しみで楽しみでたまらない。ジャクリーヌ様がご存命だったなら、今頃は結婚式のはずだったのに。国を挙げて喪に服している今、結婚式も延期となってしまった。


 ともあれブライアン様は楽しげに馬を歩かせている。時折、隣に並んで馬を歩かせるマリアンヌ様と何か楽しげな言葉を交わす。視線が絡み合い、微笑みが混じり合う。お互いを想うお気持ちがその笑顔に現れているように思える。ああ、なんて素敵なおふたり。わたくしは馬車の中からうっとりと見つめている。でき得るならば、この光景を切り取ってお部屋に飾っておきたい。背景の雪景色も美しくて、本当に芸術作品のようだ。


「で?」


 優しげな声がかけられた。見ると、ブライアン様がわたくしを見ている。鳶色の瞳に笑みが浮かんでいる。頑是ない子供を見るような、慈愛に満ちた瞳だった。


「お姫様方。今日はなにを企んでいるんですか?」

「まあ」


 わたくしは目を見張り、マリアンヌ様は笑った。


「嫌だわ、企んでいるだなんて人聞きの悪い」

「どうしてわかりましたの?」

「テレーズが馬車に乗っていますからね、あれほど乗馬が好きなのにね。帰ったら山彦に謝っておいた方がいいですよ」


 山彦というのはわたくしが殿下からお借りしている馬だ。

 とても賢く穏やかな子で、わたくしを気に入って乗せてくれるばかりか、遠駆をことのほか喜んでくれる気立ての良い馬だ。確かに謝らなければとわたくしは考えた。殿下の愛馬、潮騒が引き出されているのに、自分ひとり置いて行かれると知った時、山彦はもしかしたら傷ついたかもしれない。後で飼葉と角砂糖を持って行かなければ。


「わたくしだって、たまには馬車に乗りたい日もあるかもしれない――」

「またまた。それにダミアンが同行できなくなったとお伝えしたら、とても喜んでいたようだから」


 たったそれだけで“何かを企んでいる”とバレてしまうものかしら。わたくしが、ブライアン様の同行者を喜ばないのはいつものことなのに。


 オークウッド公爵やお父様の策略で、最近、若い独身の殿方がブライアン様に同行することが増えた。うっとうしいけれど仕方がない。わたくしは公爵家の娘ですもの、近々どなたかに嫁がなければならないのは分かっている。今は喪中だから前ほど煩くはないけれど、今日もダミアン・ラコルデール子爵が同行することになっていた。


 ダミアン様に罪はないけれど、わたくしの“たくらみ”において最も障害になる存在だったから、どうごまかすべきか頭を悩ませていたのだけれど――運良くダミアン様は、今日は都合が悪くなった。これでノーラに余計な苦労をかけなくて済む。渡りに舟だと喜んだのだけれど、それがブライアン様の疑惑を呼んだらしい。


「ダミアンは残念がって涙ぐんでさえいましたよ。テレーズ姫にくれぐれも、と言付かってきた。領地で雪崩が起こったそうでね」

「まあ、お気の毒に」


 エステル王国では珍しいことだ。ラコルデール家の領地では、雪崩が起こるほどの積雪があったのか。


「そうなんですよ、死人もケガ人も出なかったそうで、それは幸いだったけれど、橋が半壊してしまったものだから、どうしても駆けつけないわけにはいかなくてね。やむにやまれず欠席するけれど、どうかお気を悪くしないで欲しいと。よろしければご自宅の方に花束をお送りしたいとも言っていたが」

「お気遣いなくとお伝えくださいな。ご領地の災難の折ですもの」

「気の毒に。あちらはあなたに恋い焦がれて、断腸の思いで欠席したというのに、あなたは目先の楽しい企みに夢中で彼の不在を喜ぶ始末だ」

「ブライアン様、軽口はおよしになって。ラコルデール様の災難を喜ぶつもりは毛頭ございません」

「それはもちろんわかっているけれど」

「これはもっとも高度で政治的に重要な事態を切り抜けるために不可欠な企みですの」


 そう言うとブライアン様は楽しげに笑った。「うーん、やっぱり楽しそうだ。僕に果たせる役割はあるの?」


「ええ勿論。口裏を合わせていただかなければなりませんわ」


 そうしてわたくしは外の景色を確かめた。同行しているのはブライアン様の秘書ダヴィドと、従者が幾人かと、ブライアン様の私兵。マリアンヌ様側にはわたくし、アンリエットとマルゴ、その他にノーラを始めとする召使いが四人。マリアンヌ様の専属護衛のような立場にいるリュシアンももちろん少し後ろに控えているし、彼の率いる近衛兵も同行している。こぢんまりした一行と言えるだろう。ここにいるのは完全に信頼できる人たちばかりだ。


「念を押すまでもございませんでしょうが、ダヴィドや従者、兵の皆様にも、くれぐれも、よそへ漏らさないようにお伝えくださいませね?」

「ああ、もちろんわかっている。それで?」

「わたくし今から少し変装をいたしますわ。そして、裏門から王宮に戻ります」


 おや、とブライアン様は眉を上げる。


「それはどうかな。テレーズ、あなたの役割は王女殿下をひとりにしないということだろう。もちろん僕は王女殿下に無礼な真似は絶対にしないけれど、対外的な問題がある。まだ婚約中なのだから、王女殿下に心細い思いをおさせするような真似をしてはいけない」

「ええもちろん。ちゃんと代わりを置いてゆきますわ。ランベール公爵家の娘は、馬車でおふたりに同行いたします」


 わたくしの近くでノーラは悲壮な表情をして頷いた。ブライアン様は目を見張り、笑い出した。明るい朗らかな笑い声を響かせていても、ブライアン様はまるで楽しげな古代の彫像のように麗しい。


「それはモルト夫人に関係する事柄なんだろうね」

「まあ!」わたくしは窓から身を乗り出した。「どうしてわかりますの?」

「彼女の噂はダヴィドからたびたび聞いている。ずいぶんしたたかな女傑らしいね」


 ブライアン様の後で、やはり馬に乗ったダヴィドが深々と頷いている。ダヴィドはマリアンヌ様の事務官たちと仲が良いから、そこから噂を聞いたのかも知れない。わたくしは昨日の籠のことを思い出して思わず顔をしかめる。ブライアン様はマリアンヌ様を見て困ったように微笑んだ。


「モルト夫人の後ろ盾はオーフェルベック公爵だと聞いています。僕としては正直、どうしてジャクリーヌ様や貴女が、そこまでオーフェルベックに配慮なさるのかが分からない」

「オーフェルベックは重鎮ですもの」

「いくら重鎮と言っても。最近のオーフェルベックのやり口は目に余りますよ」

「あちらとしてもそれほど思い切ったことはしないはずよ。弟君に王宮にお住まいいただいていますしね」


 マリアンヌ様がそうおっしゃり、わたくしは、未だに一度もお目にかかったことのない、オーフェルベック公爵の実弟のことを考えた。

 お名前は確か、セオドア・アランブール侯爵とおっしゃるはず。彼は三年前から、オーフェルベックからの、人質――と言うと身も蓋もないけれど。王家を裏切らないという盟約のために、王宮の離れに建てられたこぢんまりした塔に滞在されている。もちろん幽閉などされていないし、馬術や剣術の鍛錬に出かけられることもよくあると聞く。が、公式な集まりに顔を出したことはない。滞在の名目としては、貴公子として必要な教育を受け、王宮の空気をその身に刻むためと言うことになっているが、それが建前だと言うことは公然の秘密だ。本来ならば王家の直轄地の離宮にお住まいになるべきところを、王宮の敷地内に止められているというところが、彼の重要度を示している。


 アランブール侯の立場はとても微妙だ。オーフェルベックはエステル王国の“鼻つまみ者”だからだ。かつては違ったらしい、オーフェルベックはエステル王家の建国にとても重要な役割を果たした。それ故に広大で肥沃な土地を与えられた、今でも五大公の一角である。が、長い歴史の間に少しずつ変節した。今ではエステル王家に対する反感を隠しもしない。マリアンヌ様を差し置いて、王位を簒奪しようとおおっぴらに働きかけてきている。

 そんな一族から差し出された“人質”は、塔に閉じこもって、いったい何を思っているのだろう。

 オーフェルベック公爵は、実の弟が可愛くないのだろうか。王家との間に軋轢を生めば生むほど、弟君の立場が悪くなると言うのに。


「オーフェルベックは実の弟のことなど歯牙にもかけませんよ」


 ブライアン様はわたくしの心を見透かすようにそう言った。マリアンヌ様は困った顔をなさる。


「でも……」

「肉親に対する情がかけらでもあるなら、いくら五公の一角とはいえ……あなたという正当な世継ぎがあられるというのに、のうのうと王位継承に名乗りを上げるなどしますまい。モルト夫人のような者を貴女の女官に付けるよう無理強いしてくるようなまねも。

 ……だから遠慮などなさる必要はない。わたしが申し上げたいのは、貴女が、モルト夫人ごときに何らかの不利益を被らされることなど絶対にあってはならないと言うことです。例え実害がなかったとしても、貴女が不愉快な思いをさせられるだけでも私は我慢ならない。気に入らぬ相手なら追い出してしまえばいい」


 マリアンヌ様が困っている。それが痛いほどわかり、わたくしは急いで口を出した。


「あの、ブライアン様。マリアンヌ様は、あまり事を荒立てたくないというわたくしの意見を汲んでくださったんです。母もよく申しておりました。オーフェルベックは王家の重要な礎のひとつ。蔑ろにするのはよくないと」


 ブライアン様はわたくしをじっと見た。

 そして、頷いた。やや、不本意そうに。

 しかしこれ以上雰囲気を損ねることよりも、お出かけを楽しむ方を選んでくださった。すぐに元どおりの優しい笑顔を浮かべて、マリアンヌ様に頭を下げた。


「……お許しください。出過ぎたことを申しました」

「まあ、そんなことおっしゃらないで。ご心配は本当に嬉しく思いますわ」


 マリアンヌ様も微笑まれ、わたくしはホッとした。が、ダヴィドは、ブライアン様の後ろで少し不満そうな顔をしていた。昨日マルゴが“夫人を打擲してくれるのではないかと期待していた”と言ったときを思い起こさせる表情だった。夫人はダヴィドの友人たちに、一体どんな仕打ちをしているのだろう。


 この国には五つの公爵家がある。王の世継ぎを定めるには、五公家の投票が不可欠だ。

 マリアンヌ様は、誕生の際に、ジャクリーヌ女王陛下によって正式に跡継ぎと定められ、五公家のうち四家が賛成票を投じた。反対したのはオーフェルベックだけ。ジャクリーヌ様ご崩御の今、マリアンヌ様が王位を継承するのは当然のことである。今さらオーフェルベックが横やりを入れたとて何ができるわけもない。


 わたくしには、オーフェルベックは駄々をこねているようにしか思えなかった。誰がどう見ても王女殿下の方に理があるのに、それでも自らの権利を主張しようというオーフェルベックのやり方は、この国の良識ある人々からは嫌悪されている。――なのに。


 弟君はどういうお気持ちでいるのだろう。自分の血縁がこの国の人々から鼻つまみにされるのを見て。自分という人質がいるにも関わらず、王家に無茶な要求をし続ける兄を見て。自分の命など、兄は歯牙にもかけていないという事実を、日夜思い知らされて。

 さぞ悲しいお気持ちでいるだろうに、アランブール候のお噂は、不思議なほどに聞こえてこない。暴れたり、自棄になったり、使用人に意地悪をしたりという、悪い噂を全く聞かない。


 ――偉いお方だ。


 わたくしは感嘆する。恐らく自制しているのだろう。両家の橋渡しになろうと努めていらっしゃるのだろう。

 彼はわたくしよりもまだ年下の、たったの十六歳に過ぎないというのに。

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