第3話 証拠集め
謎の少年の正体はわからなかったが、助言は正直ありがたかった。わたくしをマリアンヌ様のお側から排除するという目的の示唆は、モルト夫人の企みに信憑性を持たせてくれる。やり方が“みみっちい”と思っていたけれど、わたくしが不味い食事に嫌気が差して公爵家に逃げ戻ることを期待しているのだとすれば、なるほど効果はあるかも知れない――ずいぶん見くびられたものだ、と言う気はするけれど。
そこで必要になるのは、証拠だ。
ちまたで流行している推理小説を取り寄せて読みふけるという趣味は、淑女らしからぬものだと周囲から眉をひそめられた。ただの娯楽のための活字だなんて何の役に立つのかと、苦言を呈されたりもした。でもほら、役に立つじゃない? 犯罪を犯したものを捕まえて悪事を明るみに出すためには、誰が聞いても納得するような推理と、それを裏打ちする証拠が必要なのだ。こういうことは、貴族名鑑やマナー教本だけを読んでいては到底手に入れられない知識ではないかしら。
そこでわたくしが何をしたかというと、まず。マルゴ配下の召使いの中から、わたくしと背格好のあう少女を選び出した。名前はノーラ。気の毒にノーラはわたくしの衣装を着せられて、半泣きでお部屋でお留守番してくれている。彼女が心労で卒倒する前に、何とか証拠を押さえて、次の手を考えられるようにしなければ。
とにかく材料が足りない。嫌がらせをしているのがモルト夫人(とその配下)だけなのか、それとも料理長や家政婦長にまで、オーフェルベックの影響が及んでいるのか。そこだけでも確かめる必要がある。
「姫様、両手を重ねて、エプロンの前で握りあわせた方がよろしゅうございますわ」
同じく召使いの衣装に身を包んだマルゴが、そっと囁いてきた。マルゴまで付き合うことはないのに、全く律儀な侍女だ。わたくしは言われたとおりに両手を重ねて握り合わせた。
「こうかしら。ね、召使いに見える?」
「見えません。いくら結っていても、そんなに見事な巻き毛の召使いはおりませんわ」
ざっくり切り捨てられてわたくしは唇を尖らせる。自分では、結構上手く化けられたと思っているのに。
「爪の先も見せない方がようございます。整いすぎておりますから」
「難しいのね」
「侍女に化けた方がまだましでございましょうが、それでは見つかったときに言い逃れができませんもの、致し方ありませんわね。そろそろまいりましょう」
マルゴは先に立って歩き出した。背筋がすっと伸びて、両手をエプロンの前で握り合わせたマルゴは、堂々としていて、召使いと言うよりもやはり女官や侍女に見える。
そろそろ夕食のワゴンが来るはずだ。料理長の配下にある召使いが配膳室まで運んできて、そこからは王女付きの女官(現在はジル・モルト夫人)の配下の召使いが食卓まで運び、給仕をする。というのがこの王宮での慣例だ。料理長が今までどおりの食事の支度をしているのだとすれば、モルト夫人の手が伸びるのはここ、配膳室のはずだ。今夜の食事まですり替えるかも知れないし、現場を把握しておくのは絶対に無駄ではない。
配膳室の中をマルゴが窺っている間、わたくしはじっと息を潜めていた。マルゴは同い年なのに、わたくしよりずっと落ち着いていて、さまざまな手管を身につけている。由緒あるロジェ子爵家の娘だ。幼い頃から伯爵家や公爵家の娘に仕えることを想定して、様々な訓練を施されてきたのだと言うが、ロジェ子爵は一体なにを想定して娘にどんな訓練を施したのかしら。まあ、結果的に助かっているわけだけれど。
「無人ですわ」
「ありがとう」
マルゴが扉を開く。磨き抜かれた作業台と、様々なカトラリーがずらりと並べられた戸棚、砂糖や塩、胡椒などの調味料台、紅茶を入れるための様々な道具。それらの間をすり抜けて窓辺に行き、マルゴはわたくしをカーテンの後ろに隠した。
「絶対にお声を出されませんように。今日のところはあちらの出方を探るだけ、という、先ほどのお言葉に嘘偽りはございませんわよね?」
マルゴの厳しい言葉に、わたくしは神妙に頷いた。
「ええもちろん。マルゴにも苦労をかけるわね」
「ふふ」
マルゴが声を漏らし、わたくしは目を見張った。マルゴが、笑っている。
「今さらでございますわ。そのお言葉は、ノーラから衣装をはぎ取ったときにお聞きしとうございました」
「はぎ取ったなんて人聞きが悪いわ。丁重にお願いしたじゃない」
ふふふ、とまた笑った。
「どうかお気遣いなく。マルゴは姫様の侍女でございます。今までずっと、その地位を嘆いたことは一度もございません。ノーラも同じ気持ちでおりますでしょう」
そう言ってマルゴはカーテンに小さな穴を穿った。わたくしの目の辺りにちょうど開けてくれたから、僅かにだけれど外を見ることが出来る。
「お声を出しませんように。私は隣におりますから」
「ええ」
わたくしは目を閉じて、マルゴが隣のカーテンに自分の身を隠す、かすかな衣擦れの音を聞いた。本当に今さらだが、心臓がどきどきし始めている。
カーテンの中は暗くて、とても静か。壁際から立ち上る冷気が、わたくしの背中を冷やす。
ややして。
扉が開き、続いてごろごろというワゴンの音が聞こえた。のぞき穴からそっと覗くと、真っ赤な顔をした太った女中がワゴンを押して入ってきているのが見えた。女中はワゴンの上から大きな覆いの掛けられた皿、スープの大きな壷、山盛りのパンの籠などを、次々に作業台の上に移していく。今日はわたくしは具合が悪くなったとモルト夫人に伝えてあるので、今の女中が運んできた食事はマリアンヌ様と侍女のアンリエットの分だけだ。ちらりと見えたスープはとろりとしていかにも美味しそうだった。パンも黄金色につやつや光って、ここにまで美味しそうな匂いが漂ってくる。
ちりんちりん。
太った女中がベルを鳴らした。ややして、ぱたぱたと見覚えのある召使いがやって来た。今日の昼、あの恥知らずな籠を持って来た召使いだ。まだ若いが、モルト夫人と似通った雰囲気を持っていた。周囲全てが気に入らないというような、とても不機嫌な顔をしている。
「ご苦労様」
召使いはそうねぎらい、太った女中は頷いた。そして、少し困ったように言った。
「何度も念を押して悪いんだけど。ランベールのお姫様は本当に召し上がらないの? お体の具合でもお悪いのかい?」
わたくしはカーテンの陰で身をすくめた。まさか真っ先にわたくしの名が口に出されるとは。
不機嫌な召使いは、ふん、と鼻を鳴らした。モルト夫人が良くやるように。
「そうよ。こんな不味いもの食べたくないんですって。今日のお昼も散々な言いようだったわ、ここだけの話だけど――」召使いは声を潜めた。「あのお姫様は、ずいぶん高慢ちきで鼻持ちならない方だわね。あんなに綺麗に詰められた美味しそうなバスケット、手も付けずに突っ返したのよ。“こんな質素なもの、マリアンヌ様に食べさせるわけにはいかないわ”っておっしゃったの。開いた口がふさがらなかったわ!」
「おかしいねえ」太った女中は首を傾げる。「今までそんなこと一度もおっしゃったことないはずなんだけど」
「でも、手つかずで戻されたバスケットを見たでしょう?」
「まあ、見たけど――でも今までは、お褒めの言葉をいただいていたんだよ? 気の毒に料理長はあのバスケットを見て泣いてらしたよ。なんかの間違いじゃないのかねえ」
「そりゃあねえ、前の女官を務めていらしたスヴェマン夫人が丸く収めていらっしゃったんでしょ。あの方はランベール公爵家のご威光に背けるような骨のある方じゃなかったもの。私も知らなかったわ、ランベール公爵令嬢が、あんなに贅沢好きで放埒三昧なお方だったなんて! 未だに婚約もなさらない理由もよくわかったわあ」
「そりゃどういう意味だい?」
「だって婚約してしまったら、ひとりにしぼらなきゃならないじゃないの」
召使いは思わせぶりに言った。女中は目を丸くしている。
「この王宮で――喪に服している最中なのに? そんな」
「まあ見てらっしゃいな、そのうちモルト夫人がみんなお日様の下にさらけ出して、あのあばずれを殿下のお側から追い出してくださるわよ。世間の噂なんて当てにならないものよね、どこが天使のように愛らしい完璧なご令嬢だっていうのよ! モルト夫人が来られて、王女殿下もホッとなすったんじゃないかしら? 殿下も公爵令嬢のわがままにはほとほと手を焼いていらっしゃったみたいだもの。気を付けた方がいいわよ、いつ今の料理長を解雇して自分の取り巻きを雇えなんて言い出すかわかったもんじゃないわ……」
――ふと。
気がつくとカーテンが取り払われ、マルゴがわたくしの目の前に立っていた。
もともとキリリとした凜々しい顔立ちのマルゴの目は切れ長だ。それが今、いつも以上につり上がっている。わたくしは我に返り、狼狽えた。あの謎の少年の、からかうような声が耳に聞こえる。
――ご自分が標的だとは、思われないのですか。
標的って、こういう意味だったのね。身体が震えている。てっきり不味い食事に音を上げて逃げ出すことを期待されていると思っていた。見くびられたものだ、なんて、暢気なこと言ってる場合じゃなかったわ。ああ、びっくりした。
マルゴの目が据わっている。続いて聞こえた声も低くて、とても静かだった。
「……戻りましょう、姫様。今夜の王女殿下のお食事は無事でございますわ。すり替えられた様子はございませんでしたし、姫様が召し上がらない以上、すり替える意味もございますまい」
「……でもおかしくないかしら。それならなぜモルト夫人は、お昼の籠をマリアンヌ様に見せようとしたの? わたくしを悪者にするつもりなら、もう少し他のやり方があったのでは」
「わかるものですか、あの女の魂胆など――わかりたくもございませんわ、魂が穢れます! 姫様が王女殿下に見せずに丸く収められたから方針を転換したのかも知れません。とにかく今はお部屋へ。対策を練りましょう。後生ですからお急ぎくださいな。万一先ほどの召使いがここに戻って来たら、血祭りに上げないでいられる自信がございません」
ロジェ子爵がマルゴに教えた様々な手管の中には、悪意にまみれた召使いを血祭りに上げる方法も、入っていたのだろうか。
そんなことを考えながら、わたくしはマルゴにせき立てられて、とりあえず部屋へ戻った。ああ、本当に、びっくりしたわ……。
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