第2話試験

 店のカウベルが鳴り、ある男性客が店内に入ってきた。

 男性は私の顔を見るなり「今日はどんな話を聞かせてくれる?」と微笑んだ。


「いらっしゃいませ。あらっ、お客様、本日もありがとうございます」


 私は会釈をする。私はこの男性客にナンパされたわけでも、友人同士でもない。昨日会ったばかりのお客様だ。だが、昨日会ったばかりのこのお客様は、ちょっと馴れ馴れしかった。


 ここは普通の居酒屋や飲み屋ではなく、軽快なジャズやピアノが鳴り響く中、朗読や声劇、不思議なお話を嗜むというちょっと変わったBARだ。

 私はこの語り部・朗読BARと言われる店で、バーテンとしてではなく、語り部、いわゆる物語や本を読む朗読者として働き、お客様に物語を提供している。

 私はこの朗読BARで経験を積み、ジャスラ劇団というところに所属したいため、勉強がてらアルバイトをしている。聞くところに寄れば、ここのオーナーと私の憧れのジャスラ劇団のオーナーが経営で繋がっていると情報を聞きつけた私は、三ヶ月前にこの語り部・朗読BARに語り部として入店した。


 昨日、疲れ顔で現れたこの男性客は、昨日と打って変わり、何故か笑顔で生気を感じさせるほどいい顔をしていた。昨日この男性は少しお疲れモードだった。しかもこの朗読BARには初めてきたらしく、物珍しそうにしながらも、半信半疑なのか最初は不貞腐顔だった。

 それが、今日はヤケに健やかな顔つきで、昨日と同じ時間帯に現れて私に声をかけてきた。


「お客様、昨日はありがとうございました。いかがでしたか? 連日で訪れてくれたということは、お気に召しましたか?」


 カウンター内にいるダン店長が太い声を鳴らし、接客対応する。男性客はそれに頷くように「今日もハイネケンとローストビーフ頂戴」と言い、一目散に朗読席の一番後ろに陣取った。

 私は、ダン店長から今日読む原稿を受け取り、朗読席の前にあるステージにあがる。


「今日もおもしろの頼むよ。ユリちゃん!」


 常連のおじさまが私の朗読を待ちわびてか音頭をとる。

 私はステージに上がり、軽く会釈をして、原稿のタイトルを読み上げた。今日のお話は、あるBARで働く店員とその男性客との恋話……。

 フフッ……。私は少し心の中で笑った。そう……。物語を進めていくと、益々笑みが溢れそうになる。朗読を躊躇ってしまうほどだった。

 今日のこの原稿はだれが書いたの? まるで昨日から連日で来た男性客と私を主人公にした物語に思わず目を丸くした。

 いや、こういうのも悪くはない……。読みながら、昨日から連日来ている男性客に視線を合わせてしまう。

 視線先の男性客もそれに気づいたのか、この物語を食い入るように聴いている。そしてラストシーンが訪れた。よくありがちな、店員と客との恋話ではあるが、何故か私は、この物語を朗読席の一番後ろで聞いてるある男性客から目を離せずにいた。

 いや、あの男性客も私にずっと視線を送ったままだ。この作者は、これを見越して描いているかに思えた。


「恋は盲目というが、この男性客から視線を外せない私がいた」


 この女性の台詞で物語の幕が閉じられた。私は今の状況とよく似た話だと思い吹き出しそうになった。

 朗読をし終わると朗読席にいる客から拍手が送られた。ただ一人だけ、スタンディングオベーションとばかりに立ち、拍手を送る男性客がいる。


「とてもよかった。君を選んで正解だったよ」


 一番後ろで拍手をする男性客はそう言った。何のことだろうとその視線を合わせる。やはり朗読中に私にずっと視線を送っていた男性客だった。そう、昨日から連日で訪れてくれているこのお客様。


「お客様、どういうことです?」


 私は端的に聞き返した。すると男性客はまだ朗読席に観客がいる最中、私にこう告げた。


「合格だ。隠れオーディションさ……」


 一番後ろからそう言いながら壇上に上がる男性客。


「お、お客様? あの? どういうことですか?」


 男性客の言葉にびっくりをして私は原稿用紙の作者欄に目をやった。

 ジャスラと書いてある。はて? どこかで聞き覚えのある名前だった。


「そうですよ。そのプロダクションの社長です。初めまして? ユリさん……」

「えっ……」

 私は思わずダン店長へ目をやった。ダン店長は和かに親指を立てて合図を送った。


「ずっと、憧れてたんでしょう? だからこの朗読BARで、声劇の練習を兼ねてアルバイトしてるんでしょう?」

 男性客は私に真剣な眼差しで言う。

「えっ、ええ……」

「だから、合格……。来春のうちの劇団で行う、舞台オーディションきてよ」

「えっ……、も、も、もしかして、ジャスラの斉藤社長ですか?」

 私は、状況が飲み込めず、タジタジになりながら聞き返す。

社長と思われるこの男性客は返事をする。


「さっきそう言ったつもりだが?」


 私は信じられない思いで、その場にしゃがみ込んでしまった。

 その状況を分かった上でか、観客からは、今までより一層に拍手が私に送られた。


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