第3話 商人と吸血鬼
「あの時の宝石魔術士は『時の結晶』を使って賢者の石を作っておったよ」
地平線まで草原が続くアマン平原。
太陽がキラキラと緑を照らす中、ホブゴブリンの焼死体の上で佇む吸血鬼の少女。
全くアンバランスな状況で、俺は賢者の石に続く最大のヒントを知った。
ドクンと心臓が高鳴る音が聞こえる。
血液が身体中を駆け回り、頭の中では『時の結晶』──その言葉が駆け巡る。
「ほっ……本当に……時の結晶なんてものがあるのか?」
「ある」
時の結晶──おとぎ話でしか聞いたことの無い伝説の宝石だ。
遥かなる過去、異世界から転移してきたと言う勇者が、敵である魔王に恋をし、戦い……葛藤の末に結ばれた──その時に勇者が渡した宝石の名前だ。
「ある……筈がない……」
頭を抱えてしばし考えてしまう。
『元』とは言え、俺は魔術協会の最高ランク宝石魔術士──特級錬金術師の称号を持っていたんだ。
世界中の宝石や鉱石を知り、この目で見てきた。
時の結晶? そんなものは無いんだ。絶対に。
この世のどこにもそんな名前の宝石は無いし、理論上絶対にあり得ない。
──時間を封じ込めた宝石なんて。
「ふふ、あるんじゃよ。わっちは良く知っている」
「それはどこに」と言いかけ、俺はその言葉を心にしまった。
ここまでライラが出し渋ると言うことは、まだ残りの血石の捜索を手伝えと言う事だろう。
考えてみれば、ライラから情報を聞くのはいつも先で、俺が血石の捜索を手伝ったのは後だ。
今回も先に情報を聞いたと言うことは、それに見合う対価を支払わなければならない。
賢者の石に近づいていく興奮と、おとぎ話でしか聞いたことの無い、時の結晶が本当にあると言う事実。
頭の中が混乱と興奮でぐちゃぐちゃになるが、俺は一つ深呼吸をしてライラに話しかけた。
「さあ、早く次を探そう。次の血石はどこにあるんだ? ホブゴブリンか? それともドラゴンでも倒して来ればいいか?」
「主様は本当に頼もしいの。でも、せっかちなところが偶に傷じゃな」
ライラはからかう様にローブの下から俺を見上げてそう言った。
フードの下にあるのは十の半ば程の少女の顔。表情をコロコロ変えるその表情は、不意に幼く見える時もある。
しかし、その口から出てくる言葉は老獪な匂いが漂っていた。
「わっちは何か食べたいでありんす」
──クゥ。
と、可愛らしくライラの腹が鳴った。
そう言えば俺も1日以上食べていない。
「そうだな。食事でもするか」
街の方に歩こうと、後ろを向いたところで気が付いた。
ライラは吸血鬼──奴の食事は……。
(まさか俺の血!?)
「そうじゃな! わっちは甘い菓子が食べたいぞ!」
一瞬硬直した身体の力が抜ける。
後ろにいるライラにバレない様に指輪にかけた手を外したが、どうやらライラには全てお見通しのようだった。
「くふふ、わっちは血なぞを飲まなくても生きれるよ。大好物は甘いものじゃ」
宿屋では金さえ支払えば、食事を作って部屋に運んできてくれる。
1週間の連続予約をしてくれる俺の様な客は珍しく、食事を頼んだら林檎や葡萄酒のサービスまでしてくれることになった。
「ん。やはり人間の作る食事は美味そうじゃのお」
ライラは溶けたチーズをたっぷりとかけたパンを二つに割ると、断面から湯気が立ち上り、チーズがトロリと糸を引いて垂れてくる。
ライラは幸せそうな笑顔で、小さく千切ったパンを口に頬張った。
「吸血鬼は血を飲むものばかりと思っていたがチーズも上手そうに食べるんだな」
「わっちら吸血鬼だって血ばかりを飲んで暮らしている訳じゃありんせん。昔作ったわっちの眷属は血を飲まなければ生きれないものもいたがの」
ハフハフと湯気が立っているパンを口の中に入れ、美味そうに咀嚼すると、ライラは葡萄酒でそれを流し込んだ。
血の様な真っ赤な葡萄酒でだ。
口の端から少し垂れている葡萄酒が、血を連想させて少しだけゾッとする。
「くふふ、葡萄酒は人間が作り出した大地の血じゃの」
口元を拭いながらライラは妖艶に微笑んだ。
そんなことはないと言おうと思ったが、口から言葉が出る前にライラが安心させるために行ってくれた事だと気づき、少し笑って同意した。
「ところで」
と、食事が終わって林檎を食べ始めたライラに俺は切り出す。
「次の血石はどこなんだ?」
そう尋ねると、ライラは林檎を齧りながら俺の方に顔を向け、何かを言おうとしたが、まだ口の中に林檎があることに気づき、もぐもぐと林檎を飲み込んでから俺に言った。
「もう、この近くにはありんせん」
「……まあ、その可能性はあると思っていた」
千年前に100の血石に封印され、その一つが宝石商で量り売りにされている血石の一つ。そしてもう一つがホブゴブリンの腹の中。
どう考えても世界中に散らばっていると考えるのが自然だろう。
世界中に散らばった残り98個の血石を探し出す。果てしない道のりに暗雲とした気持ちになったが、ノーヒントで賢者の石を作るよりかは簡単だと思いなおし、気持ちを切り替えた。
「東じゃな。遠く東に血石の気配がするがそれ以上は分からん」
ライラは東を指さしてそう言うと、壁にかけられている地図を見た。
指先で国境をなぞりながら呟く。
「わっちの時代とずいぶんと名前も大きさも変わったのお」
その横顔には少しだけ孤独がチラついている様に見えた。
──千年。人間よりも長寿な魔の物でさえも滅びてもおかしくない時間だ。
自分の事を知っている人がいない世界とはいったいどういう景色なんだろう。
少しだけライラの気持ちを想像して、それを振り払う様に賢者の石の事を強く考えた。
俺の目的は賢者の石。それだけだ。
ライラに感情移入するのは合理的じゃない。
「東に行きながら……新しくなった国を見て回るのもいいかもな」
「くふふ、主様はその優しさで足を救われてきたんじゃの」
「うるせ」
ライラをあしらいながら東へ進む移動手段を考える。
これから国を回っていく事を考えると、馬車を買って行商証を買うのが一般的だが……って事は商人協会に加入しないといけない。
(信用を何よりも第一にする商人協会……魔術協会を追放された俺の情報がまだ伝わってないといいが……)
数時間後──俺とライラは商人ギルドに足を運んでいた。
ライラは軽い足取りで、俺は重い足取りで。
商人協会──商人たちが集まって作り出した巨大な組織で、彼らは何よりも信用を大事にする。
勿論彼らの顧客には魔術協会もいて、俺の様に魔術協会から追放された者を受け入れると言うことは魔術協会からの信用を失う事にも通じる。
「アインス・ヒドゥン・アルケミア……様ですね?」
「……ああ」
商人協会に着くなり、俺は受付嬢から疑惑の目を向けられた。
その口調は俺の名前を確認すると言うよりかは「なぜここに来たのか」と含みがある言い方。
完全に俺が魔術協会から追放されたことは伝わっているようだった。
「商人協会に加入したいんだが……」
そこまで言いかけたところで受付嬢はパラパラと手元の書類を眺め、冷たい口調で俺に言った。
「アインス様の商人協会への加入は魔術協会の方から禁止されています」
受付嬢はチラリとこれから魔道具店に出荷する魔宝石の山を見ながら言った。
魔術協会が商人協会に売っている魔宝石だ。
つまり、大切な商品を売ってくれるメーカーからの信頼を裏切れないと言う事だろう。
「ん? もしかして何かトラブルかの?」
心配そうな視線を向けてくるライラに「大丈夫だ」と、一言言って俺は金貨が入っている皮袋を懐から出した。
「馬車だけでもいい。売ってくれないか?」
「申し訳ありません。これは規則ですので」
人形の様な張り付いた無味無臭の笑顔で受付嬢が頭を下げたその時だった。
奥の部屋から豊かな口ひげを蓄えた一人の男が姿を見せた。
「おお! これはこれは! アインス様!」
一目見ただけで分かる上質の上着を羽織ったその男は、商人の中では超が付くほどの有名人。
一介の行商人から、その商才一つで商人協会の幹部まで成り上がった『大商人ダグルス』だ。
「はっはは! うちの受付嬢が申し訳なかったです! 是非奥の部屋へ」
良く通る声でダグルスはそう言うと、驚いたような顔をしている受付嬢に目を向けた。
一瞬でダグラスは表情を変える。
今まで俺に見せていたような笑顔ではなく、冷たい、まるで物を見る様な目だ。
「そのマニュアルは今すぐ破り捨ててしまいなさい」
受付嬢は少し、人間らしく戸惑った表情を見せたが、数秒後には「かしこまりました」と再び人形の様な表情を見せ、書類を細かく破りゴミ箱に捨てた。
「さあさあ! 是非こちらへ! 上質な葡萄酒もご用意させますので!」
再び笑顔を取り戻したダグラスはそう言うと、俺とライラを奥の部屋へとエスコートした。
座ったら腰まで埋もれてしまいそうなふかふかのソファー。
ガラス張りのテーブルの上には上質な葡萄酒と、いくつかのドライフルーツ。
「あまり良いものが準備は出来なかったのですが」
と、言う割には自信満々に俺のグラスに葡萄酒を注いでくるダグラス。
隣で美味そうにドライフルーツを食べているライラを見て、ダグラスはにっこりと微笑み「おい。南の方から輸入した珍しい果物があったろ。それもカットして持ってきなさい」と受付嬢に指示をした。
「美味い……ですね」
ダグラスから勧められた葡萄酒を飲んで思わず呟いてしまう。
今まで飲んできた葡萄酒よりも格段に美味い。酒の味なんて良く分からない俺でも分かるくらいだ。相当高級品なのだろう。
「はっはは! でしょう! 市場には出回らない王族御用達の葡萄酒ですから!」
思わず信頼してしまいそうな人懐っこい笑みを浮かべながらダグラスは話す。
受付嬢が持ってきた見たこともないフルーツを俺に進めながら「これも最高ですよ」と、にっこりと破顔した。
目の前に置かれたフルーツを眺めながら考える。
商人は利益でのみしか動かない人種だ。
俺にこんな高級品を差し出すと言うことは、俺がそれ以上の利益を生むから。
──いや、正確に言えば『既に』生んだのだろう。
「俺のレポートですか」
フルーツに手を付けながら、口を開いた。
味わったことない不思議な味が口の中で広がる。
俺が追放された時にネモイに渡した『より簡単に、効率化した魔術回路の簡易定着方法』のレポート。
それが、ダグラスの手に渡ったのだろう。
そして、それは予想以上の利益を生み。想像以上にダグラスが俺に恩を感じている。
「はい」
ダグラスは笑顔でそう言うと、その後、真剣な表情で俺に話し始めた。
「魔術協会から恨まれる事を天秤にかけてもいい程の利益が見込めます」
そして、ダグラスは葡萄酒の入ったグラスに美味そうに口を付けると、ニヤリと笑った。
「数年後に世界はひっくり返ります! 完全に工業化され、大量生産された魔宝石による新たな時代が来るのです! 冒険者たちが魔宝石を使うのではなく、湯を沸かす為に主婦が魔宝石を使うような時代です! 魔宝石は生活必需品になるのです!」
思わず「おお~」と、歓声を上げてしまいそうになる。
湯を沸かす為に魔宝石を使うなど、魔術士の俺には思いつきもしなかった。
恐らく、威力を弱め持続力を上げた魔宝石を大量生産するつもりなのだろう。
「それは……時代が変わりますね。魔宝石に強さを求める魔術士じゃ思いつかないアイディアです」
一般家庭で魔宝石を使っている所を想像しながら呟く。
火だけではない。魔宝石の中に光の魔術回路を書き込めば夜遅くでも明かりが家の中を照らすし、水の魔道回路を書き込めばもう井戸から水を汲みに行くことすらなくなるだろう。
「そして失礼ながらアインス様の事は調べさせて頂きましたが……賢者の石を研究なさっているからと言う理由で……追放されたのですよね?」
「ええ、それで追放になりました」
そこまで言って、ダグラスはふふっと笑い出した。
イラつきを覚えなかったのは、それが俺に対する笑いではなく、魔術協会に対する笑いだったからだろう。
「私たち商人協会にも30年程前には、そんな幹部がいました。その時実績を上げていた商人を追放したんですよ。確か理由は……危険地帯を行商ルートに取り入れた事です。暗黙の了解で誰でもやっている事でしたがね」
そして、少しだけ懐かしむような目を見せると、ダグラスは言った。
「本音は行商人上がりの若い男が幹部の席に座るのを嫌がったのでしょうね」
少し、口元がにやけるのが分かった。
非常に興味深い話だ。
「それからその男ははどうなったんですか?」
「当時商人協会は沢山ありましたからね。他の商人協会に入り、そこで実績を上げて幹部になり。元の商人協会を吸収して逆にその幹部を追放してやりましたよ」
何ともスッとする話で、俺は思わず笑いだしてしまった。
それを見たダグラスも笑い出し、今まで見せた商売用の笑顔ではない少年の様な笑顔を見せてくれた。
「商人協会に加入して馬車が欲しいと言う事でしたね?」
ダグラスはそう言うと、懐から協会への加入証書と、行商証を出してきた。
「無知な私には実現不可能と言われる賢者の石がどの様な物か分かりません。しかし、何かを掴んでいるからこそこれが欲しいと言ったのですよね?」
俺は無言でダグラスの目を見つめる。
ダグラスは何かを察したのか、それ以上俺に質問をすることは無かった。
代わりに言ったのはこの一言。
「商人の勘が言ってます。ここであなたに全力で恩を売っておけば数年後に10倍になって返ってくると。その研究が終わったら、是非私共の商会で研究をしてください」
「この馬ってダグラスさんが行商時代に使ってた馬の子供なんだってさ」
「ふむ、じゃからこんなにいい脚をしているのじゃな」
隣で寝ころびながら林檎を食べているライラは、ぼんやりとそんな事を言いながらあくびをする。
俺は馬車を走らせながら、ダグラスに貰った積み荷の林檎を一つ手に取り齧りながらライラに質問する。
「あとどれくらいだ?」
「もっとじゃ、も~っと東に血石はあるよ」
地図を確認すると、このまま東に進むとぶつかるのはバルサの国。
ダンジョンで栄えた小国だ。
ライラが俺の地図を見ながらポツリと呟いた。
「昔はここにダンジョンなんて無かった筈なんじゃがの」
権力争いで追放された宝石魔術士、吸血鬼と一緒にまったり異世界旅。え? 商人が魔宝石を安く売る様になった? 俺はもう追放された身なので知らないです 向井一将 @mukaiishoo
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