第二十三話
トーマスがその話を聞いたのは、ジャンがエドワード伯爵の元へ行った日の夜。
本番さながらな通し稽古を終え、公演に向けた景気付けとルカの歓迎会と称した飲み会が行われた日だった。
行きつけのパブで、最初は真面目に演劇論を語り合っていた俳優達も、酒の魔力で次第に箍が外れ始めた頃、ジャンが少し疲れた様子でやってきた。
「おお!うちの劇作家様が帰ってきたぞ」
「公演の成功を祝してかんぱ~い!」
「まだやってねえだろ!」
遅れて現れたジャンの登場に全員で盛り上がったのも束の間、気づけばまたすぐに、各々自分の好きな様に振る舞いだす。
陽気に歌い踊る者、店の女とそのまま二階のインへ消えていく者、銘々に乱れていく自由な雰囲気の中、酒の力で上機嫌になっていたトーマスは、ジャンの肩を抱き、自分の近くに座るよう促した。
「エドワード伯爵は大丈夫だったか?」
「ああ、事情を説明したらすぐに納得してくれたよ」
「本当かよ?やっぱりお前はさすがだね!」
トーマスはジャンを揶揄うように軽口を叩きながらも、ホッと胸を撫で下ろす。
ルカの演技が素人とは思えないほど形になってきた今、トーマスが最も心配していたのは、エドワード伯爵の怒りを鎮めることができるかどうかだったが、これでひとまず安心して本番を迎えられそうだ。
エリックの公演後の動向は気になるところだが、とりあえず今は、ジャンを労わり楽しもうと、ジャンのグラスに自分のグラスを近づけ乾杯しようとしたその時、ジャンがトーマスにだけ聞こえる小声で囁く。
「お前にだけ伝えたい、大事な話がある」
「え?」
ジャンの深刻な口調に、トーマスのほろ酔い気分は一瞬で抜けた。
「何か問題でも起こったのか?」
「起こった、というかこれから起こる」
「なんだって?」
思わず声を上げるトーマスの口を、ジャンが慌てて塞いだ。
「静かに!お前にだけと言ってるだろう!」
語気を強めながらも声をひそめるジャンに、本気でただ事ではないと察したトーマスは、慌てて周りを見回す。幸い誰一人としてこちらに関心を向けてはいなかったが、たまたま向けた目線の先に、ルカがテーブルに突っ伏し一人眠っている姿が目に入ってきた。
女と二階に行ってしまったのか、先ほどまで仲良く一緒に飲んでいたオリヴァーの姿はない。
「ったくオリヴァーのやつ、ルカが飲みすぎないように面倒みてやってくれって言っといたのに」
「え?」
トーマスの言葉を聞き、ジャンもルカの様子に気がついた。するとそこへ、エディと楽しげに踊っていた店の女エマが、突然ふらふらとルカの隣に座り、この子可愛いと言いながら、ルカの髪を優しく撫で始める。
(エマは強引なことする女じゃないし大丈夫だろう)
そう判断し、トーマスが話の続きを聞くため視線をジャンに戻すと、ジャンはなぜか急に立ち上がり、エマとルカの元へ行ってしまった。
呆気にとられているトーマスを尻目に、ジャンはエマと何やら楽しげに話し始め、エマは笑顔でジャンに手を振りルカから離れていく。
ジャンも同じく笑顔を浮かべていたが、エマの視線が外れるやいなや、寝ているルカを軽々と抱き上げ、トーマスに向かって、自分の側へ来るよう促してきた。
(相変わらずルカにはすげー過保護だよな、こいつ)
ジャンの行動に呆れながらも、素直に歩み寄るトーマスに、ジャンは少し不機嫌な声で行くぞと言い放ち、二人は足早に、店の出口へ向かって歩き出した。
外に出ると、街は店の中の喧騒が嘘のように暗く静まりかえっていた。
トーマスは途端に心細くなったが、ジャンは、店外に広がる闇と静寂に動じることなく、真っ直ぐ前を向いて進んでいく。
眠るルカを軽々と抱き上げ、月明かりの下颯爽と歩くジャンの姿は、まるで物語に出てくる騎士のようで、トーマスはしみじみと感嘆の息をもらした。
(ほんと、世の中って不公平だよな)
貴族だからというだけではない。ジャンの存在そのものが、本人の望む望まないに関わらず、他の男の劣等感を刺激する。
ジャンと出会った人間は、彼の魅力にひれ伏し愛するか、いけ好かない人間だと憎み嫌うかのどちらかしかない。ジャンのたちの悪いところは、自分でその魅力に気づいているようで気づいていないところだ。巧みな話術で人を惹きつけたかと思えば、突然感情のコントロールを失い、かわなくていい恨みをかう。
(こいつほど一貫してない、訳分かんねえ奴いないよな)
そんなことを考えているうちに、3人はトーマスとルカが宿泊しているタバートインに辿り着いた。タバートインは、サザークでは知る人ぞ知る有名なインだ。
ジャンがヘッドヴァン邸から帰ってきたその日、トーマスは、ルカ一人では心細いだろうからと、タバードインの二人部屋に泊まるよう指示された。インの中でもグレードの高い広々とした部屋にジャン持ちで泊まれるのは有難いと、二つ返事で引き受けたのだ。
部屋に入るなり、ジャンは酔って意識のないルカの靴を脱がせ優しくベッドに寝かせている。普段のジャンからは考えられない甲斐甲斐しいその姿に、どれだけ過保護なんだよと突っ込みたくなったが、今はそんな事より、ジャンの話の方が重要だ。
「で、大事な話しってなんなんだ?」
トーマスが切り出すと、ジャンはトーマスが座るベッドの角に自らも腰をかけ、単刀直入に言った。
「エドワード伯爵が逮捕される」
「…え?」
反応が遅れたのは、ジャンの言葉がトーマスの予想をはるかに超えたもので、直ぐに理解できなかったからだ。
「ちょっと待て!嘘だろ?なんでいきなりエドワード伯爵が逮捕されるんだ?一体どうして!!」
「落ち着けトーマス!これから俺が話すことを冷静に聞いてくれ」
動揺するトーマスの肩を押さえ、ジャンは、ルカと共にヘッドヴァン家に行った日に起こったことを詳細に語り始めた。聞いていくうちに、トーマスは血の気がひいていく。
「…つまり、お前を意のままにするために、お前の父親がエドワード伯爵を陥れようとしてるってことか?」
「そうだ」
「嘘だろ?普通そこまでするかよ?いくらなんでもやりすぎだしおかしいだろ?」
「そう、普通じゃないんだ。貴族や政治家ってのは、死んだ兄以外自己中心的なエゴイストの集まりだ、特に俺の父親はな…」
冗談めかした口調と裏腹に、ジャンの顔には明らかな嫌悪と悲哀が浮かでいる。そんなジャンに同情めいた気持ちを抱きながらも、トーマスは言葉を止めることができない。
「だけど!だったらなんでルカと逃げたりしたんだよ?その場だけでも和解しておけば、エドワード伯爵逮捕までいかないかもしれなかったじゃないか?お前心にもないこと言って人を言いくるめるの得意だろう?」
「他人に対してはそうだが、情けないことに、俺は父を目の前にすると、ただただ逃げ出したくてたまらなくなるんだ。
それに、あの時はまだルカが台本すら読んでいなかったからな、一刻も早くオーク座に戻ってアリアンを形にしておきたかったんだ」
「形にしておいたって、エドワード伯爵が逮捕されて公演できなくなったら意味ないだろ!だいたいお前の言う通りだとしたら、なんでこの一週間何のアクションも起こさずお前の好きなようにさせてるんだよ?」
「俺もそれは不気味に思っている。だが、あの男が俺を意のままにするために、エドワード逮捕という強硬手段に出るのはほぼ間違いない。これはあくまで推測だが、おそらく俺達により絶望感を与える、公演初日当日を狙ってるんじゃないかと思うんだ」
ジャンの返答は、ジャンの考えすぎなのでは?という、トーマスの微かな希望を打ち砕く。ジャンが父親とうまくいってないことは知っていたが、まさかここまで根深く、ジャンを追い詰めているなんて知らなかった。
息子を従わせるために無実の人間を逮捕するなんて、やることのスケールが大きく悪質すぎる。
「それで、一体どうするつもりなんだ」
想像を超えたジャンの話しに、すっかり意気消沈したトーマスが、ため息まじりにジャンに尋ねると、ジャンは不敵に笑って言った。
「おい、お前まさか、簡単に諦めるつもりじゃないだろうな?俺はまだ、エドワードが捕まるとわかっていながら、なぜアリアンを形にしておきたかったのか言ってないぞ」
自分と同じく絶望しているとばかり思っていたトーマスは、驚いてジャンを見つめる。
「何か案があるのか?」
「明日の稽古の後、俺は家に戻り父と話してくるつもりだ。本当は嫌すぎて今から吐きそうだが背に腹はかえられない。俺がいなくなった後、おまえがあいつらをまとめてくれ」
つまりジャンは、エドワード伯爵逮捕を防ぐため、自ら父親に頭を下げに行くということだろうか?話を聞く限り、家に戻ったらもう二度と、劇作家としてオーク座に戻ってこれるとは思えない。
「お前はそれでいいのか?せっかく今まで頑張ってきたのに、自分を犠牲にして、エドワード伯爵とオーク座を守るのか?」
「は?お前なんか勘違いしてないか?」
「え?」
トーマスの感傷を嘲笑うように、ジャンは言い放つ。
「あの男はそんな甘い男じゃない。俺が頭を下げたところで、エドワード伯爵の逮捕は実行するだろうし、オーク座は丁度いいとばかりに潰すだろう。エドワードを逮捕して、俺の動向次第でどうにでもなると言われたら、俺はあの男に従わざるおえないからな」
「それじゃあなんのために家に帰るんだよ!アリアンを形にしたって、公演できなきゃ今までの努力全てパーだ!」
「だ・か・ら!まだ話は終わってない。
いいかよく聞け、もし俺の想像通りのことが起こったら、俺は女王陛下に、エドワード伯爵の釈放とオーク座の再会を直接嘆願する」
「…は?」
小声だがはっきりと発せられたジャンの突拍子もない言葉に、トーマスはまたもや絶句した。
いくら市民の権利が確立し、庶民達もこぞって政治や宮廷の批判をするようになっているとはいえ、女王はやはり天上の人間だ。その女王に嘆願するなんて、現実離れした話としか思えない。
「一体どうやって?」
「実は今年の夏の行幸で、女王がヘッドヴァン家に滞在することになったんだ。
あの男がどんな手を使って女王の貴重なヴァカンスを手に入れたのかは知らないが、俺に兄の代用品になることを望んでいるのは確かだ。俺はあの男の意向通り媚び諂い、女王に気に入られるよう最大限の努力をするつもりだ」
そこまで聞いて、トーマスは思い出したように納得する。いつもつい忘れてしまいそうになるが、ジャンは本来、その気になれば女王と接見できる名門貴族の子息なのだ。納得した途端、ジャンの話は急に現実味を帯び、トーマスは真剣に耳を傾けはじめる。
「アンナの手紙によると、女王はアリアン公演日から2日後の6月27日から7月末までヘッドヴァン家に滞在するらしい。正直すぐに結果を出すのは難しいかもしれないが、その間待つことはできるか?」
「いや、ちょっと待ってくれ、それじゃあエドワード伯爵が逮捕されてから、一か月以上おまえからの連絡を待たなくちゃいけないってことか?そもそも女王に嘆願したからって、そんなうまくいくものなのかよ?」
不安げなトーマスに、ジャンは強い口調で語りだす。
「トーマス、この国で最も力があるのは、神に付与された王権を持つ女王陛下ただ一人だ。俺の父親もセシルも、女王の意志には逆らえない。女王の一声があれば、エドワードを釈放せざるおえなくなるはずだ。
いいか?これは俺達にとって一か八かの賭けなんだ。うまくいくかわからないからって、何もせずに諦めるなんて俺は嫌なんだよ!」
ジャンの声音に決死の覚悟を感じ取り、トーマスの心は揺さぶられる。
ジャンの言う通り、世の中には、こうすれば必ず成功するなんて方法は存在しない。それでもジャンは、勝つ保証など全くない賭けに出るということなのだ。
「わかった、俺はお前の言う通りに動く。けど、一ヶ月もあいつらを抑えて待つのはとても無理だ。もう少し早くできないのか?」
ジャンはすぐには答えなかったが、やがて重々しい声で返答する。
「女王に会って10日以内に嘆願し、結果がどうあれ、週に一度は俺の信頼できる奴に手紙を渡してお前に状況を知らせる。それでいいか?」
本来じっくり時間をかけて、女王の信頼を得た方がいいのかもしれないが、実際にエドワード伯爵が捕まり、オーク座の閉鎖が言い渡された後、あの血気盛んな俳優達が、一ヶ月以上待てるとは到底思えない。
「難しいと思うが、そうしてくれると非常に助かる」
「わかった。ありがとうトーマス!おまえが協力を約束してくれてよかった。それで早速なんだが、この計画を実行するにあたって、オーク座の俳優たちに、伝えた方がいいことと、伝えない方がいいことがある…」
その日、トーマスとジャンの話し合いは、細かいところまで互いに突き詰め、一晩中続いた。
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