犬も食わなきゃ猫に食わせろ、それもダメなら......

東藤沢蜜柑

犬も食わなきゃ猫に食わせろ、それもダメなら......

「君のこと想ってオナニーしてる」

とは実際に僕が意中の相手を"口説く"つもりで言った台詞だ。しかもラップで。


まあ待ってくれ、事実としては以上だがあなたにはこの事実を解釈する余地がある。

僕はその余地にアクセスしたい。

と、最初は面白おかしく書こうとした。

その方が読まれるだろうし、上手くすればギフト券も貰えるかも知れない。

だけどそれだと僕は一生このままかも知れない。

どうせ書くなら、それを書くことで自分が変わる可能性のあるものを書きたい。

だからちょっと真面目に書こうと思う。

最後までお付き合い頂けたら嬉しい。


彼女と出会ったのは、僕が大学を卒業するのと同時に起こった東日本大震災の原発事故から逃れて自転車で東京を発ち、

辿り着いた大阪で人生のどん底を生きていた頃だ。

当時僕が沈没していたシェアハウスに彼女もいつの間にか顔を出すようになっていた。

例によって、誰がいつどこからやって来たのか正確には誰も知らない曖昧なコミュニティ。

そこには僕のような流れ者が何人も屯していた。

だからこそそこは居場所になり、けれど本当の意味では居場所にならない。

結論から言えば一目惚れだった。

とは言え酷い失恋の後で、僕は「男として」の自信を完全に失っていた。

どうせ自分なんかが相手になる訳がないと思い込んで、

積極的に自らをアピールすることをしなかった。

彼女の顔立ちは整っており、性格は人懐こかった。

そんな相手をどうやったら好きにならずにいられるのか、僕は未だに分からない。

事実、そのコミュニティの男の殆ど全員が、彼女を僕と同じような視線で見詰めていた。

誰もが「まさか」と思いつつ「あわよくば」を狙っていた。

そういう態度は関係を腐らせる。

だけど一度は炊飯器の中に炊いたご飯を一週間放置してみなければ、その顛末が如何に悲惨なものになるかということを人はきっと体感として分かることはない。

悲劇は予測の外からやって来る。

「そんなつもりはなかった」のだ、誰だって。

彼女は僕に友情を感じてくれたらしいが、僕は彼女に友情を感じられはしなかった。

その代わりに劣情を催した。

催したにも拘らず催していない振りをした。

その劣情を友情だと言い張る自己欺瞞に徹しようとして、しかし薄弱な意志はその目論見を潰えさせた。

彼女は僕に明るく話し掛けながら、僕の友達と付き合い出した。

それは自然な成り行きに思えた。

彼の方がどう見積もっても僕より魅力的だったからだ。

何より、勝負に出ることすら拒んだ僕にその状況を嘆く資格はない。

そう思って、事実を受け容れようとした。

僕は僕で、別に彼女に対して本気な訳じゃなかった、

他にもいくらでも魅力的な女性は居ると自らに言い聞かせながら日々を過ごした。

それからしばらくして、二人の関係が破綻したことを告げられた。

そうか、ではいよいよ俺の出番だ、とは思えなかった。

友達に対する気負いもあったし、

何より一体自分が彼女の何に惹かれるのかが判然としなかった。

確かに顔は好みだ。

けれどそれだけで誘うというのは相手に失礼な気がした。

彼女でなくてはいけない理由が何か自分にあるのだろうか。

そんなことを考えている内に、

彼女は別の男から付きまとわれて困っているという相談を僕にするようになった。

なるほど、そういうことならここは"甲斐性"ってやつの見せ所じゃないか?

僕の中で日増しに「あわよくば」の比重が「まさか」を上回っていく。

最早元カレとなってしまった友達には相談し難いだろう。

ここは一つ、この俺が一肌脱いでやろうじゃないか!

そう腹を決めた矢先、彼女はそのコミュニティの中で僕が一番「どうしようもない」と思っていた男と付き合い出した。

ちょっと待てよ、聞いてないぜ。

余りにも華麗な梯子外しに、さすがに僕も動転した。

彼女と知り合って一年が経っていた。

「ごめん、君が悪い訳じゃないってことを重々承知で、だけどちょっとこのままだと俺の身が保たないから少し距離を置いてくれない? 付き纏われて迷惑とかさ、わざわざ俺に相談してくれたってことはやっぱり頼られてるのかなって思っちゃったんだ。で、俺は結構そういう風にされると勘違いし易いっていうか、俺に気があるのかなとか思っちゃう訳。そしたらいきなりあいつと付き合い出すとかさ、ちょっと訳分かんなくて。でもこれは単純に俺がそんな積極的にアピールとかしなかったし、臆病だったし、いきなりこんなん言われても"は?"って感じだと思うしってことは分かってるし、だから多分誰も悪くなくて、だけど俺の方としても限界で、だから勝手言って悪いけど、ごめん」

こんな内容のメールを彼女に送って、それから半年ほど経って僕は彼女の留守番電話に「君のこと想ってオナニーしてる」と吹き込むことになる。


半年後に再び彼女から連絡が来た時、僕は自分の目を疑った。

あんなに一方的なことを言って距離を取ってもらったのに、

わざわざ「もう一度友達として関わりたい」と言ってくれたということは、

彼女は本当に僕に"友情"を感じてくれていたということだと分かって嬉しかった。

その嬉しさは本当だったけれど、それが本当なのと同じくらい僕が彼女に抱いた恋心、劣情、性的欲求、下心、独占欲、支配欲といったものも悲しいかな本当だった。

カラオケに行き、じゃあこれからもよろしくねと言って別れた後、

僕は僕を持て余した。

これは告白せねばならないという一つの観念の下に全人格が統合されてしまった。

やぶれかぶれだった。

事がここまで拗れてしまった原因はひとえに僕の臆病の所為だと思った。

だから臆病を克服せねばならないと思って、勇敢さを履き違えた。

その結果の愚行だ。

弁明の余地はない。

彼女と僕の関係が公的なものではなかった、力関係が一方的なものではなかったと主張することでこれを「セクハラではない」と嘯くことはできないだろう。

実際、この後のメールで僕は彼女から「二度と顔を合わせたくない」旨を告げられ、繋がっていた全SNSをブロックされ、関係は途絶した。

当然の対処だと思う。

当然だと思うが、何も僕は初めから彼女に対して僕にそのように"対処"して欲しいと望んだ訳ではなかった。

何故僕が相手にただ好意を告げるというだけの為にこれ程までに逆効果で、相手の気持ちを踏み躙るやり方をしてしまったのか。

それは、彼女が性愛関係を結んだ男たちは、少なくとも僕よりははるかに「直接的」だったからだ。

僕のように物陰からチラチラと彼女を窺って自らの臆病に逃げ込むことなく、彼女を正面から見詰めていた。

そういう「男らしさ」が彼女の心を射止めたのだと思った。

であるなら、僕も男にならねばならない。

自らの気持ちをはっきりと彼女に告げねばならない。

そう思った時に告げた"気持ち"というのが結局、僕にとっては「君でオナニーしている」というものでしかなかった。

要するに相手を即物的な存在としてしか見做さず、そこに人格を認めなかった。

自らの人格を認めない相手に、

人は一体どのように好意を持つことができるだろうか?

そんな当然の問いをすら僕は考えることがなかった。

今更彼女に謝れる訳でもないから、僕はこの経験を後学とし、このように書いて懺悔することで、僕と同じように「男」に苦しみ男として苦しませている誰かが、

自他の苦しみに少しでも向き合う契機となることができたらせめてもの報いだ。

改めて考えると、狭いコミュニティは人の自意識を尖鋭化させる。

そこが世界のすべてと思い込み、だからそこでの勝ち負けに固執する。

結局僕が拘っていたのは彼女の心ではなく、猿山での他の男との上下関係だった。

彼女のことを、文字通りトロフィーとしてしか見ていなかった。

そんな僕が拒絶されたのは当然として、

だけどそれでも僕は人の欲望に貴賎はないと考える。

人は誰に、どんな理由で惹かれてもいい。

身体や名声に惹かれることが悪いとは思わない。

「正しい」人々が正しくコミュニケーションし合い、その結果互いを認め合うのが理想だと言われても、そのようには正しくなれない人間も居る。

あるいはいくら正しく振る舞おうとも、「魅力」というのは常にそこからはみ出さざるを得ないものだと思う。それは常に個人的なものだからだ。

開き直る訳じゃない。

ただ考えたいんだ。

「正しく」なれない人間が、それでも人を傷付けず、それなりに満足して生きて死ぬ方法を。

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