第6話 自分は何者なのか、答えられない。

『このショッピングモールから【脱出】する条件は――東堂菜穂を恋愛的にオトすことである』



 なんて難しい条件を出すんだ、まったく。

 その逆なら、達成しているというのに。



 * * *



 よく――あなたがそう思ったきっかけは何ですかと問われることがある。


 きっかけなんてものは積み重ねだ。しかも案外印象が薄くて、ぺらっぺらな物の、積み重ね。だから自分でも完全に認識できていなかったりする。


 思い出すと、あれもこれも、きっかけだったかも――なんて。


 自分のことなのに無責任で、でもどうでもよくて。


 だから意識しないとなかなか思い出せない。奥底に仕舞ってあって、なんとか取り出したときにはもう色々と抜け落ちていたり。


 記憶の断片。かけら。



 トマトが苦手だと言ったら、彼女も苦手だと言った。嬉しかった。


 ボール遊びに日暮れまで付き合ってくれた。楽しかった。


 一緒に下校していたら、俺は転んでケガをした。なぜか彼女が泣いて、申し訳なかった。


 宿題を忘れたら、彼女は嘘をついて私も忘れたと申告した。ほっとした。


 偶然彼女の着替えを見てしまった。どきどきした。


 それぞれ違う部活に入った。少しだけ寂しかった。


 休日のショッピングは盛り上がった。でも誰かに見られてないか不安になった。


 


 ――――俺の感情の振れ幅が、彼女だった。


 当たり前のように隣にいたから気付いていなかった。だけど年齢を重ねるごとに、学年を一つ上げるごとに彼女との距離は微妙に離れていって、大学で完全に道を別れた。


 それでもしばらくは気付かない。そのときは、ほんとうにどうでもいいときに来るものだ。そうたしか、大学のキャンパスで友達と談笑しながら歩いているときとか。


 謎の喪失感。彼女がどれだけ、自分の中で大きな存在だったのかと。


 俺は彼女に隣にいてほしかった。自分の恋心を知るのがこんなに遅れるとは、とんだ思春期である。でも俺はもう取り戻せないものと見切りをつけて、キャンパスライフを送ることにした。それはまさしく、ぽっかりと空いた穴を埋めるただの作業に等しかった。


 しかし、俺たちは入社式で再会することになる。


 でももう、何を話せばいいのかわからない。社内研修でも、周りの皆に言いふらすにしては気恥ずかしすぎて、不思議と俺たちの昔の間柄がバレることなかった。


 違う現場に配属され――でも彼女の評判は社内報などで一方的に知ることができる。

 社内研修でも囁かれた。群を抜いて優秀。そして見事、社会の荒波の中で彼女は頭角を現していく。


 社内史上最年少でのゼネラルマネージャー。彼女の人間性は、多くの者を惹きつける。ついていきたいと、支えてあげたいと思える。




「…………あれっ」



 俺は思わず声を出した。ここまで思い出しておいて、変なことに気付いた。

 俺の気持ちも、他のみんなと同じじゃないのか。

 恋心なんてものじゃなくて。

 尊敬。人情。

 上司として慕えるような。

 だとしたら。

 なんて滑稽だ。


「なんで……こんな、走馬灯みたいな……」


 もう、肩を並べることはできない。

 俺は彼女にとって特別な何者にも、なれやしない。


「そうか……死ぬのか、俺」


 あの花火打ち上げの日から2日が経過。

 俺は、冷凍庫の中に閉じ込められていた。





 ――『また、この条件が彼女に知られた場合、樫村龍之介の死を意味する』

 




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る