第2話 彼女は上司?それとも…

 遡ること二時間前――




 俺――樫村龍之介32歳は典型的な残業人間


 いつもは真っ先にスパッと退勤する種族の人間だ。なぜならそれなりに仕事ができて、厄介な案件は華麗にスルーを決めていくからだ。

 ……こんなスキルばかり身に着けるから、出世街道から外れてるんだろうな。


 俺には正直、汗水流して必死に仕事して昇進を目指す人の気が知れない。少なくともいまの仕事に楽しみは見出せてないし、できることなら早く帰ってゲームの続きがしたい。汗水流すならリングフィットしたい。


 そんな俺でもさすがに繁忙期には逆らえなかった。


「はぁ……契約更新なんてなくなればいいのに」


 はいはい黙って作業する、終わるものも終わらないよ、とどこからか声がかかる。せめてこちらを向いて言ってくれませんかね……といっても無理はない。それだけみんな目の前のパソコンと格闘中なのだ。


 そんなわけでこの日俺は職場に残って残業をしていた。

 いつもは和やかな雰囲気が漂うこの事務所も、今週はずっと戦場だ。ずぅーっと血の雨が降っている。誰か洗浄してくれ。


「お先に失礼しまぁー……す」


 と心の中で冗談をいっている間に、同僚のひとりが荷物を纏めて席を立った。

 そして次々と自分の分が終わった者から、気まずそうにそそくさと退散していく。隣の席の人を手助けする者も居るが、残念ながら俺に優しい声をかけてくれる人はいなかった。いないよね、今やってるの俺しかわからないんだもん……。


 やがて事務所に残るは二人となった。時刻は23時過ぎ。


「あとどのくらい残ってるの?」


 ようやく、といっては失礼だが、俺に声がかけられた。

 声をかけたのは事務所に残っているもう一人――ゼネラルマネージャー・東堂菜穂その人だ。


「……GM」


 ゼネラルマネージャー……通称GMである。この事務所どころか建物全体のトップを務める彼女が、こんな時間まで残っているのは珍しい。


「あと、そうですね、今日提出された分だと二店舗の書類を纏めるくらいです」


「そう……」


「GMが残業なんて珍しいですね」


「明日の会議の準備をね。あなたはお手伝い必要?」


「お手を煩わせるわけには。大丈夫ですよ」


 強がりはするが、これはまだそれなりに時間かかりそうだなぁ。俺は若干遠目になりながらも、残りの書類を机の上に出す。


 すると、東堂GMは自分の席に戻っていった。


「じゃあ私ももう少し自分の書類チェックしようかしら。あなたを見守りながらね」


「監視の間違いじゃないですか」


「いつもすぐ帰ってるから、どんな仕事ぶりなんだろうと気になってね」


「超有能ですよ。今日は仕事の割り振り間違えたオペマネのせいです」


「チクッとくぞー」


「それだけは見逃してください」


 俺がそう言うと、彼女は少しだけ柔らかく笑った。


 ただの上司であれば最悪以外の何物でもないが、彼女は俺の――昔からの幼馴染だ。ただ、高校卒業とともに離れ離れになり、同じ会社に就職したことを知ったときは運命を感じるまであったが、そこまででそれ以降はなんの進展も交流もなかった。


 彼女がGMとしてうちのモールに着任したのが約一年前。ただしその時には立場も違うし、変な雰囲気のままあまり会話も交わさない日々が続いた。同僚にも彼女と俺が昔同じところで育った幼馴染だと話してもいないし、もはや過去が無かったことにされているまで感じられた。


 だから今日、こうやって話をするのは本当に久々じゃないだろうか。



「……昔もあったわね、こんなの」



 俺はその言葉に度肝を抜かれた。

 俺たちの関係に言及する、たしかな一言だったからだ。


「東堂……さん」


 俺は、何て呼べばいいのかわからなかった。昔は菜穂ちゃん菜穂ちゃんってくっついてたもんだがいやまって恥ずかしすぎるわフラッシュバック。


「GMでしょ、樫村くん」


「へいへい、すみません」


「そういうサクッと受け流しムーブ、お店の若い子たちには好評でも、事務所内だと嫌われるわよ」


「もう嫌われてますよきっと。颯爽退勤の樫村だって」


「早く帰るのはいいじゃない、ちゃんと仕事終わらせてるんだし」


「厄介な仕事貰わないように逃げてるだけです」


「あらそうなの、次からは均等に回るようオペマネに言っとかなきゃ」


「唐突に敵陣営に回るのやめてもらえますか心臓に悪い……」


「このくらいの冗談、許してほしいけれど」


「冗談じゃ済まされないですよ、なんてったってGM……なんですから」


「いいじゃない…………だって」


 その続きの言葉は、彼女の口からは発せられなかった。代わりに気を取り直したように、明るい声で彼女は言う。


「さて、コーヒーでも買って来ようかしら。樫村くんは何がいい?」


「おごりですか」


「もちろん、たくさん給料もらってますから」


「コーヒーくらいで言いますね。恐縮ですが、微糖をいただいていいですか」


「うむ、苦しゅうない」


 若干のぎこちなさはあれど、これでいい。

 俺と彼女は幼馴染――だけど今は、上司と部下だ。

 これでいいんだ。





 ――――そうして、彼女が事務所の戸に手をかけた瞬間だった。



 このショッピングモールに、魔法がかけられたのは。

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