第7話
※
俺たちが踏み込んだあたりは、まだ普通の森林だった。鳥が鳴き、草木がざわめき、小川が緩やかに流れている。青臭い匂いと、木の枝の隙間から差し込む日光。
「静かな森だね。怪物の気配はするけど」
「ほう」
呑気なことを言いだすのかと思いきや、キリアもやはり、森に満ちた緊張感を感じ取ったようだ。
初めて足を踏み入れて『怪物の気配』を察するとは、流石だと言わざるを得ない。森の入り口は、まだまだ静かな普通の山林なのだ。
その深部から漂ってくる殺気を感じ取ることができる。これも、キリアの魔術師的な面の発露なのだろうか。
ある程度踏み込むと、しかし状況は一変する。
そこに現れたのは、怪物でもシャドウでもない。人間だ。しかし、酷く負傷したり、その負傷者を支えたりして、まともな状態ではない。
皆、森の奥から次々に出てくる。怪物に夜襲されたのだろう。
「なあキリア、お前、治癒魔法は使えるのか?」
「うーん、あんまり得意じゃないなあ」
「そう、か」
俺自身は構わないにしても、キリア本人が自己治癒できない、というのは多少問題だ。生憎、持ち込める医療器具や薬品には限りがある。あとは、森の中のものをその場で使うしかないが、衛生的に不安が残る。
ここはやはり、キリアが負傷する心配がないほど強い、という方に賭けるしかない。
「ん」
「どうしたの、マスター? ああ」
俺の呟きに、キリアも察したようだ。周囲の気配が冷え込んできているということに。
木々の影が濃くなり、日光がより遮られるようになって涼しくなる。それは分かる。
だが、俺たちが感じている冷え込みというのは、そんな体外感覚だけではない。背筋が芯から凍り付いていくような、身体の内側から滲み出てくる体内感覚だ。
俺はすっとリボルバーを抜いた。撃鉄を起こし、全周囲に警戒の気を張り巡らせる。
キリアもまた、短剣の柄に手をかけている。
それは、唐突に眼前に降ってきた。
「ッ!」
現れたのは、巨大なカブトムシだった。
結論から言えば、キリアの相手にはならず、一瞬で両断された。しかし、こんな化け物がうようよしているとは、流石は『闇の森」である。
※
その後も、多くの怪物に出くわした。連中は、とにかくデカいのだ。
巨大蝙蝠、巨大トカゲ、巨大食人植物、などなど。
そのことごとくを、キリアは斬り伏せた。眼帯を外す気もないのか、短剣と長剣を巧みに使い分け、時には格闘技を織り交ぜながら前進する。
途中で、怪物に追われている他の怪物狩りたちを救うこともあった。
「いいかてめぇら! これに懲りて、もうこの森に入ろうなんて考えるんじゃねえぞ! 分かったか!」
「はっ、はいぃ!」
「すみませんでした、師匠!」
「やっぱり田舎で両親と畑仕事をやります!」
今出くわしたのは、巨大蛇に襲われていた三人組。三人まとめて蛇に巻きつかれ、窒息しかかっていたところをキリアが救出した。
これまた一方的な戦闘で、蛇はめでたくぶつ切りにされた。恐らく、キリアが地面を蹴って接敵してから、十秒も経っていなかったと思う。
次々に繰り出される毒牙や尻尾を、キリアは易々と回避した。そのまま、相手がとぐろを巻いて動けずにいるのをいいことに、四方八方から斬撃を加えたのだ。
そうして三人組が解放されると同時、がら空きになった蛇の頭部をバッサリ一閃。
蛇から見れば、なんと情け容赦ない、そしてなんと理不尽な最期を与えられてしまったものか、死んでも悩まずにはいられないだろう。
いや、蛇ってそこまで頭がいいわけじゃねぇのか?
それはさておき――。
「なあ、キリア」
「ん?」
「どうして俺なんかが、お前の『師匠』って設定になってんだ?」
「いいじゃん。マスターは貫禄あるし」
「どの辺が?」
「うーん……無精髭?」
俺はズッコケそうになった。
「そんな理由かよ……。そもそも、どうしてあいつらに説教してやる必要があったんだ?」
「弱者は無謀なことをするべきじゃない。それだけさ」
「え?」
確かにキリアの言うことは正しい。だが、いつになく冷徹な表情をしているのはどういうわけか。
そう言えば、俺たちは互いの過去話をしていない。いや、他人に聞かせられるほどの過去なんて持ち合わせちゃいねぇが。
『弱者は無謀なことをするべきじゃない』――だから俺を師匠に見立てて、あの三人組の若造に説教させたのは分かるんだが。
後方を警戒しながら進んでいると、久々に皮膚が痺れるような感覚に包まれた。
「キリア、分かるか?」
「うん。この木の根が境目になってるんだね」
「ああ。ここから先は、『シャドウ』共の縄張りだ。気を引き締めていくぞ」
キリアは無言で頷いた。
※
鳥の声が、しなくなった。川の水面が、濁ってきた。日光が、あまり差さなくなってきた。
俺は喉仏を上下させながら、ゆっくりと歩を進める。キリアにも、軽く肩を叩いて警戒を促した。
ここから先が、『闇の森』と呼ばれる所以となっている領域だ。『生ける屍』、すなわちグールやゾンビがうろつき回っている。
俺が前方、キリアの背中を見る。ショットガンの包みに阻まれて見づらいが、彼もまた汗をかいていた。綺麗なうなじに、水滴がまとわりついている。
それを見て、俺は緊張感を新たにした。キリアに緊張を強いる気配が、肉の腐臭と共に濃くなっている。
これは便宜上の話だが、グールとゾンビには違いがある。
グールには、命令を下す主犯がいる。主犯自身はグールではなく、吸血鬼の類だと言われていて、そいつに血を吸われた他者がグールと化し、ある程度の知性を以てして主犯の命令に従う。
それに対しゾンビは、ただ食欲に突き動かされただけの単純な肉体だ。だが、その身体はグールよりも耐久性に優れているとされ、また、外見での判別はなかなか難しい。特に、この薄暗い森の中では。
そのくらいは、キリアも把握しているようだ。トラップに気をつけ、前進速度を落としている。俺もまた、頭上に警戒の意識を飛ばす。
すさまじい腐臭が俺たちの鼻腔を占めたのは、まさにその時だった。
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