第8話

「ッ!」


 気迫を纏ったキリアが、視線を走らせる。その先にいたのは、腐乱した体表を持つ人型の怪物だった。

 グールか? ゾンビか? その答えは、すぐに明らかになった。そいつは俺たちと目が合った瞬間、すぐさま振り返り、木々の間へと逃げ去ってしまったのだ。

 あの敏捷性は、グールのものだろう。


「何だってんだ、あのグール?」


 俺がリボルバーを下ろすよりも早く、キリアがショットガンを抜いた。がしゃり、と弾丸を装填、むしり取るように眼帯を外し、ズドンと勢いよく発砲した。


「お、おい、どうした?」

「伏せて、マスター!」


 すると、散弾が赤紫色を帯び、グールが顔を覗かせていた木々の間に集中した。昨夜の手裏剣野郎に発砲した時と同じだ。まるで魔弾だな。

 しかし、キリアは緊張を解く様子がない。逃がしたのだろうか。いや、だったらそれはそれで、敵が減ったことに変わりはない。何も問題は――。


「なあキリア、あんな奴見逃しても問題ねぇだろう?」

「あれは斥候だ。すぐに本隊を従えて戻ってくる」

「何だって?」


 俺は耳を疑った。

 確かにグールには知性がある。だが、互いに連携し、集団行動を取れるほどではないはず。それが、斥候任務にあたり、本隊を呼び寄せるだと?

 俄かに信じ難いが、しかし、キリアの勘と戦闘力は折り紙付きだ。そのキリアが言うのだから、当てずっぽうではないはず。


 だが、腐臭は遠ざかるばかりだ。どこから攻め込んでくると言うのか?

 俺がそれをキリアに尋ねようとした、その直前のこと。

 

 ヴン、と不気味な音が、あたりを満たした。


「こ、こりゃあ……」


 魔法陣だ。薄紫色に輝く幾何学模様が、地面に刻まれている。

 それも、一つではない。俺たちを包囲するように、少なくとも八つ。綺麗に円を描くように、地面とは垂直方向に光の束を放って浮かび上がっている。


 俺は言葉を発することもできずに、キリアと背を合わせるようにしてリボルバーを抜いて構えた。


 魔法陣から出てきたのは、これまた人型で、腐臭をまき散らす怪物。そののっそりとした挙動――間違いなくゾンビだ。


「こ、こいつら……」


 俺がキリアの指示を仰ごうと振り返ると、既に彼は地面を蹴っていた。

 真正面にいるゾンビに接敵し、短刀を振るう。しかし、それは投擲された。ちょうど進行方向の斜め前方へ。

 それが一体目のゾンビの眉間を貫通するのと、長剣が振るわれたのは同時。長剣は言うまでもなく、真正面にいた二体目を仕留めていた。


 キリアは斜めに跳躍し、短剣を回収。そのままアンバランスな二刀流で、三体目、四体目を仕留めた。

 だが、昨夜の酒場での騒ぎよりも、彼の緊張の度合いは遥かに高い。

 確かに、ゾンビは並の人間より頑強だ。だがそんなこと、キリアにしてみれば些末な差であろう。と、思っていたのだが。


「マスター、ご免!」

「ぐほっ⁉」


 キリアが俺を綺麗に蹴り飛ばした。またもや俺は、戦闘の邪魔になっていたのか。それは申し訳ない。

 とは言っても、キリアの動きは昨日よりも俊敏。これならゾンビの八体くらい、易々と片づけてしまうだろう。


 しかし間もなく、それが楽観的すぎる見方であることに俺は気づいた。魔法陣が消えずに、その場で光を放っているのが見えたのだ。まさか……!


「キリア! ゾンビはまだ出てくるぞ! 気をつけろ!」


 そう叫んだ直後、キリアは急旋回してこちらに走ってきた。今は長剣で戦っている。

 しかし、次に繰り出されたのはブーツの爪先だった。


「うおっ!」


 キリアは、俺の背後にいたゾンビの顎を蹴り上げた。衝撃でゾンビの首がもげる。

 それでもキリアは止まらない。そのまま縦に自らの身体を回転させ、素早くショットガンを取り出し次弾装填、発砲。

 ズドン、という轟音が響くと同時に、円の反対側にいたゾンビの首が粉砕される。


 俺が尻餅を着いていることを把握していたのか、キリアは残るゾンビたちの中心に跳び込んだ。そこで展開されたのは、これまた昨夜の再現。回転斬りである。

 キリアの右目は赤紫色に輝き、長剣は同じ色を帯びている。リーチが伸びたように見えるのは、俺の見間違いではあるまい。


 昨夜と違っていたのはもう一点。回転する剣の位置が高い。

 きっとキリアは、胴体を斬るよりも首を刎ねた方が手っ取り早いと察したのだろう。

 こうして、一時的にゾンビは一掃された。しかし、魔法陣は残っている。その淵に手をかけるようにして、地面から這い出してくる。


 今のうちに、魔法陣を解除しなければ。だが、俺に魔術の心得はない。

 となるとキリアにやってもらうしかないが、まともに戦える人員もまた、キリアしかいない。

 これでは、いずれ俺たちはやられてしまう。キリアの体力とて、無尽蔵ではないのだろうから。


 何としてでも、俺がキリアを助けてやらなければ。


「キリア! ゾンビは俺に任せろ! お前は魔法陣を解除するんだ!」


 するとキリアは、今までにない大声を張り上げた。頬は真っ赤で、目つきは鋭く、完全にキレている。


「そんな無茶させられないよ! マスター、左足が悪いんでしょ!」


 その通りだ。今まで森の中を歩くぶんには問題なかったが、戦闘行為に耐えうるか否かは定かでない。だが、そんなことを言っていられる状況だろうか?


「ショットガンを寄越せ! 遠距離で援護するぶんには何とかなる! だからお前は、早く魔法陣を!」

「もう! どうなっても知らないからね!」


 這い出してきたゾンビの頭部を蹴り飛ばしながら、キリアはショットガンを放って寄越した。俺は右腕一本でこれをキャッチ。残弾は六だな。

 最寄りの魔法陣に駆け出したキリアは、その場に膝を着き、掌を当てて呪文を詠唱し始めた。すると、見る見るうちに魔法陣は淡くなり、何の気配も残さずに消えた。


 俺はキリアの背中から少し照準をずらして、ショットガンを構えていた。次のゾンビ召喚が行われるまで、どのくらいの猶予があるだろう?

 と、思った矢先、残る七つの魔法陣から、一斉に干からびた腕が飛び出してきた。


「一気に叩こうって腹か!」


 キリアは隣の魔法陣の下にしゃがみ込み、短剣でゾンビの頭部を一突き。再び解除作業に移る。他のゾンビ共からすれば距離があるが、奴らがキリアに接近する前にぶっ飛ばさなければ意味がない。

 キリアには、落ち着いて呪文の詠唱が可能な時間と場所が必要なのだ。


「くたばれ、怪物共!」


 俺は二発を発砲。その弾丸は、キリアの左右に迫っていたゾンビ二体の頭部を粉砕した。

 残り四発。ゾンビを全て駆逐するにはちと足らない。


「かくなる上は……!」


 俺はショットガンを置き、自分の背嚢からあるものを取り出した。

 猪の干し肉だ。人肉の方が美味いのだろうが、少しでも奴らの注意を惹ければそれでいい。


「おーーーい! 肉だ! こっちには安全に食える肉があるぞ!」


 すると、ゾンビ共の足が止まった。同時に、また一つ魔法陣が解除される。

 キリアは振り返りながら長剣を振るい、俺の方に振り向いていたゾンビの首をまとめて刎ねた。


 これを繰り返すことで、最後の魔法陣が解除され、ゾンビの出現はなくなった。


「あれ? あれぇ?」


 俺はショットガンを手に、間抜けな声を上げた。残弾を四発とカウントしていたが、いつの間にか数えるのを止めてしまっていたのだ。これでは弾込めが必要である。


 どうしたものかとおろおろしていると、キリアが近づいてきた。膝と手先が泥まみれだが、本人は全く意に介していない。


「これでしばらくは安全だと思うんだけど、マスターはどう思う?」

「お、お前……。その前に確認することがあるだろう? 怪我してないか、とか」

「マスターなら平気でしょ?」


 俺は閉口した。そう易々と買い被られても困る。

 

「まあ、平気だけどよ。お前はどうなんだ」

「幸い、無傷だよ。ちょっと息上がっちゃったけど」


 いや、普通そうだから。逆に、あれだけの体力と魔力を使っておいて、平然と話せるお前はやっぱりおかしい。


「キリア、ショットガンに弾込めしとけよ」

「あ、サンキュ」


 ショットガンを受け取りながら、キリアは背嚢から水袋を取り出し、慎重に飲んだ。がぶ飲みは身体によくない。


「よっと」


 キリアはその場に背嚢を下ろし、あぐらをかいてショットガンに弾を込めた。八発だ。

 がしゃり、と動作確認をして、キリアはするりとショットガンを背負い込んだ。


「少し休憩するか」

「そうだね、マスター」


 俺がキリアの向かいに座り込むと、キリアは眼帯を載せた手を顔に宛がおうとした。が、すぐにその手を引っ込めた。


「ねえ、マスター」

「んあ?」

「紹介したい人がいるんだ」


 キリアがそう言った直後、右目のある部分から、するり、と何かが滑り出てきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る