第6話【第二章】

【第二章】


 翌日。

 キリアはまだ暗いうちに目を覚まし、軽い挨拶を交わして中庭へと出ていった。明朝訓練だそうだ。

 俺は再び武器の整備をし、薄手のプロテクターを纏った。朝食後にしてもよかったのだが、狩りに出る日は朝一番にこうしておかないと落ち着かない性質なのだ。


 早めの朝食を、一階の食堂で摂る。宿舎の個室と同様に、地味な見た目である。が、さっぱりしていて美味しい。

 メインは猪肉のステーキで、多すぎず少なすぎず。俺はパンを少々お代わりし、胃袋の中を腹八分目に調整した。


 キリアが戻ってくるまで、濃い目のコーヒーをすすることにする。お陰で二日酔い……というほど混乱していたわけではないが、まあ、ちょっとした頭痛を抑えるにはいい薬になった。


「しっかし、狩りを翌日に控えて酒に手を出すとは、迂闊だったな、俺も」


 これでは、酒場の店主の名が廃る。元・一流(かどうかは分からんが)の怪物狩りとしてのプライドに傷がつく。ま、とっくにメッキの剥がれかかった、ただの虚栄心にすぎないが。


 俺はゆったりと椅子の背にもたれ掛かり、やや高い天井を見上げた。その木目をゆったり目で追う。さて、この線は『生存』に繋がっているのか、『死亡』に通じているのか。

 怪物狩りの生死の境目など、この木目のようなもの。一瞬先にはどうなっているか分からない。

 怪物の首を刎ねた英雄に成り上がるか、ただ蛮勇を発揮してくたばった愚者に成り下がるか。


「全く、今も昔も穏やかじゃねぇな」


 俺が爪楊枝で歯の隙間を掃除していると、勢いよく正面玄関が開いた。思わず目を細める。どうやら、あっという間に日は昇りきっていたようで、そこには軽く汗をかいたキリアが立っていた。


「ごめんマスター、待った?」

「いや、ちょうど一服してたところだ」


 俺はコーヒーカップを掲げて見せる。満足気な顔をしているところから、何を言いたいのかは分かる。


「じゃあ、早速出発――」

「まあ待て」

「そんなあ、僕まだ全部言ってな――」

「だから待てって」

「むぅ」

「お前、朝飯は?」

「食べてないけど」

「そいつぁ身体によくねぇな。軽く食ってけ。パン一つでもいい。それと、水飲め」

「平気だよ!」


 キリアは大袈裟に肩を竦めてみせた。しかし、俺はじっと彼の目を見つめ続ける。これ以上何も言うな、と押し留めるように。


「空腹の方が身体はよく動くんだけどなあ。分かったよ、マスター」

「分かればよろしい」


 ぷいっと顔を背けるようにして、キリアはすたすたと配膳台の方へと向かっていく。

 そうそう、大人の言うことは聞くもんだ。増してや、その大人たちですら、ほとんどがビビッて近づかないような『闇の森』に入るんだからな。


         ※


 しばし歩いて、俺とキリアは『闇の森』の入り口に到着した。俺にとっては、市街地中心部から自宅を兼ねた店舗に戻るような道のりになるが。

 

 その間、多くの『訳アリそうな者たち』とすれ違った。

 激痛を訴えながら泣き喚く若造やら、自分の肩を抱いて震える若造やら、他のパーティに『仲間の救出に協力してくれ!』と嘆願する若造やら。

 まあ、あれだ。若いってのは、馬鹿と紙一重ってことだ。


 森に近づけば近づくほど、血気盛んな連中が増えていく。

 日が昇る時間帯であることからして、気温と共に感情も昂ってきているようだ。


「皆、元気だね」

「お前が言うな、キリア」


 そもそも、『四つ手の親分』一味を壊滅させたのはお前だろうが。手裏剣使いも追い払ったし。

 そんなキリアはといえば、静かな興奮を湛えて颯爽と歩いていた。

『静かな興奮』というのも妙な言い回しだが、事実そうなのだから仕方がない。

 気楽そうに見えるが、キリアからは昨夜の『気力』が漲っているのが伝わってくる。


 そんな彼を横目で見て、俺はどこか落ち着きを得ていた。心のどこかに、この少年に対する庇護欲のようなものが出てきたのかもしれない。


「どうしたの、マスター? さっきから僕をじろじろ見て」

「い、いや? 別に。随分と調子がよさそうじゃねぇか」

「まあね」


 ま、精々コイツの腕に期待しますか。


         ※


 俺たちが『闇の森』の入り口に着いたのは、それから間もなくのことだ。

 その間、特に会話はない。キリアは必要であれば喋るし、そうでなければ喋らない。俺は話しかけられるのを待つだけだ。


 キリアの精神集中の邪魔をしたくない。と、思わせる程度には、キリアの童顔は引き締まっている。


「着いたね」

「ああ。戻ってきたようなもんだけどな」


 熱くも冷たくもない口調で呟くキリアに、気楽な風を装って答える。『装って』ということは、やはり俺も本心ではビビっているのだろう。

 

 昨日は『うちの裏庭みたいなもの』と思っていた森。だが、いざ立ち入るとなると、おぞましさが足の底から湧き上がってくる。

 道を知っていることと、実際に歩くことは違うのだ。


「ところで、キリア。お前の狙いは何だ? 『闇の城』に単身突撃する気か?」

「そうだね……」


 おや、曖昧な答えだな。


「まさかお前、『シャドウ』を相手にするつもりなのか?」


『シャドウ』――それは、人の魂を吸い取る怪物の総称だ。もっとも、その姿を見た者は直ちにグールやゾンビにされてしまうので、生存者の証言は非常に数が乏しいのだが。

 この森が『闇の森』と呼ばれるのは、『シャドウ』がそこにいるからだ。


 昨夜、宿の部屋に攻め込んできた黒いローブの奴。あれも『シャドウ』の一種なのだろうか? ううむ。


「マスター?」

「ん、ああ」


 俺ははっと我に返った。キリアがショットガンを背負った姿で、こちらに半身を向けている。


「僕の目的は情報なんだ」

「情報? 何を言ってんだ、話が見えねえぞ」

「魔術を使って、『シャドウ』の親玉の残留思念を捕らえる。そして水晶玉に映すんだ。ほら」


 キリアがショットガンの入った背嚢から取り出したのは、掌に収まるサイズの水晶玉だった。今は何も映してはいない。

 ふむ。残留思念を水晶玉に映す。魔術を行使すれば不可能ではあるまい。


 って、待てよ。


「お前、今『シャドウ』の親玉って言ったか?」

「え? そうだけど」

「バッ……!」


 馬鹿野郎、と怒鳴りつけようとして、俺は危うく言葉を飲み込んだ。

 ここでキリアに反論しても、何の意味もない。コイツは、こういう事態のために自分を鍛えてきたのだろうから。


 しかしながら、この森に入るにあたり、何の前情報もなく踏み込むのは危険すぎる。自殺行為と言っていい。

 いや、地理的な情報なら俺が提供できる。だが『シャドウの親玉』だと? そんな得体も知れない相手、俺は知らねぇぞ。


 ずいずいと歩を進めていくキリア。他の魔物狩りの連中は、彼の若さと態度に引いている。


「お、おい待て! 話を聞け、キリア!」

「大丈夫だよ、マスター。あなたが僕の相棒なんでしょう? 何も怖いことはないよ」

「はぁ⁉」


 引き摺る、とまでは言わずとも、俺は動きの鈍った左足に注意しながら歩を進めている。文字通り、キリアの足を引っ張る可能性が高い。

 まあ、その点については、昨日の時点でキリアとは意見の一致を見たからいい。だが、いざ森に入ろうとすると、やはり――というか正直、恐ろしい。


 キリアの圧倒的戦闘能力は、昨日嫌と言うほど目にしている。とはいえ、相手の能力や凶暴性が推し測れない以上、どうしても未知のものに対する恐怖心は掻き立てられてしまう。


「なあキリア、俺、ちっと腹が……」

「あ、そう? じゃあ、マスターはちょっと待ってて。一人で散策してくる」

「わーーーっ! 馬鹿馬鹿馬鹿! 冗談だよ、冗談!」

「僕を引き留めようって?」


 横目でじろり、とこちらに眼球を向けるキリア。にやり、と片頬を上げて見せる。

 全く、可愛げのねぇ子供だな。


「まあ、取り敢えず話くらいさせろ。この森の構造についてだ」


 俺はそばにあった木の枝で、地面に三重丸を描いた。


「俺たちは今、この円の外にいる。一つ内側に入るたびに、怪物は強力な個体が現れるようになる。そして、一番中心の円が、『シャドウ』の目撃情報のあるところだ」

「ふうん。でも、この区切りって、どうやって見つければいいの?」

「多少、怪物狩りに参加した人間ならピンとくる。お前の魔術でも同じだろう」


 キリアは再び、ふうん、と言って、森の入り口に目を遣った。

一見適当な所作に見える。だが、俺には分かった。キリアが森の中心部までをも把握しようと、意識を集中させていることに。


「もう一度武装を確認だ。あと、水な」

「りょーかいです、マスター」


 こうして俺とキリアは、『闇の森』への突入準備を整えた。

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