第5話

 しゅん、と空を斬る音がする。一度だが、手裏剣三つ分だ。俺は横っ飛びし、ベッドに倒れ込むようにしてこれを回避。

 それを見越していたのか、手裏剣のうち一つが俺の首の皮を切った。出血には至らないが、俺の緊張を高めるには十分すぎる。二つ目は、俺のいたところを精確に貫通した。


 残り一つの手裏剣は、天井からぶら下がった電球を斬り割った。一瞬で真っ暗になる室内。

 三つの手裏剣を易々と投げ分けるとは。経験は分からんが、技術的には俺よりも上だ。


 俺は再び発砲しようとして、危うく踏みとどまった。

 この暗さでは、発砲に伴うマズルフラッシュでこちらの場所がバレてしまう。


 だが、それは余計な心配だった。相手は即座に長剣を抜き、ベッドに転がった俺に向かって精確に突き出してきたのだ。


「うおっ!」


 暗くても問題ないということか。俺は即座に立ち上がり、壁に背を貼り付けるようにして回避。布団の内側の綿が飛び出し、俺の頬を撫でる。


 相手が怪物では、交渉も命乞いも通じまい。この狭く暗い室内では、俺は袋の鼠だ。

 どうする? せっかくキリアを僅かなりとも守ってやれると思ったのに。


 俺が死を覚悟し、あと四発の弾丸を叩き込んでやろうとした、まさにその時。

 ウグッ、という掠れた呻き声がした。

 何があったのか? 答えは明らかだった。魔物が背後から、第三者の長剣で貫かれていたのだ。


 真っ暗な部屋の中で、赤紫色の光を帯びた長剣は、部屋のドアごと魔物を貫通している。

 この色……。眼帯を外したキリアが帯びていた光の色ではなかったか。


「マスター、そこを動かないで!」

「キリア!」


 ザシュッ、と引き抜かれる長剣。すると、ドアが蹴破られた。そのままうつ伏せに倒れ込む怪物。しかし怪物は、両腕をついて自らの身体を跳ね上げ、扉の反対側の窓に体当たりをかまして部屋を脱出した。


「畜生!」


 俺は二階の窓から魔物を銃撃しようとしたが、そんな暇は与えられなかった。

 俺が銃撃を諦めた、まさにその時。


「来い!」


 その声と共に、机の上のショットガンの部品が、かたかたと揺れ始めた。ヒュンッ、という風切り音と共に、部品はキリアの手中に収まる。いつの間にか、組み合わされた状態で。


 真っ暗な中、どうしてそれが見えたのか? 理由は明白で、赤紫色の光に照らされていたからだ。その光源は、キリアの右目。眼帯の外された瞳の奥から、薔薇のような色の光が溢れ出している。


 俺の代わりに、ショットガンを構えたキリアがその銃口を突き出す。


「お、おい! ショットガンじゃ駄目だ! 遠すぎて当たら――」


 当たらないぞ、と俺は言いかけた。

 ショットガンは、いわゆる散弾を発射する。細かい金属の粒が広がるように放たれるのだ。ただし、その射程は短い。

 今の怪物の俊敏性――既に眼下の裏道に入っている――の前では、役に立つまい。


 それでも、キリアは撃った。一発、二発、三発。多くの金属球が、宙にばら撒かれる。

 次の瞬間、俺は我が目を疑った。


「な……!」


 金属球の一つ一つが、これまた赤紫色の光を帯びて、様々な軌跡を描きながら街路に突入していくではないか。

 全ての軌道は捉えられないが、無数の弾丸が魔物の跡を追っているのだろう。


 振り返ってみると、キリアは寝間着姿のままショットガンを握っていた。その銃口と右腕は、だらんと下に向けられ、代わりに左腕が眼前に翳されている。

 その表情は窺えないが、右目を見開いているのは分かった。そこから放たれる光のお陰で。


 カッと見開かれた右目。俺はそこから、魔力の流れを感じ取った。

 あれだけの個数の金属球を遠隔操作するのだから、当然必要とされるのは腕力でも知力でもなく、魔力だ。

 だが、目の前の少年が魔術師だとは、俄かに信じ難かった。


「逃がしたか」


 その声に、俺は再び窓の外に目を遣った。状況はよく分からないが、あの怪物は逃げおおせたらしい。

 ふうっ、と息をつく音がする。振り返ると、キリアが両目を閉じ、うずくまるところだった。


「お、おい、大丈夫か?」

「心配しないで、マスター。調子を取り戻してるだけだから。いつものことだよ」

「ああ……」


 俺は安堵からか、大きくため息をついた。って待てよ。『いつものこと』だって?


「なあキリア、話せるか?」

「うん、大丈夫」


 眼帯を右目に宛がいながら、キリアは立ち上がった。背筋はしゃんと伸びていて、意識もはっきりとしている様子だ。


「じゃあ訊くぞ。お前、あいつの正体を知ってるのか?」

「大体見当はついてるよ。まあ、先生から教わったことなんだけど」

「先生?」

「僕に戦う術を教え込んでくれた人だ。ついでに魔術も」


 おいおい、さっきの魔術行使は『ついでに』習得できるレベルじゃねぇぞ。というツッコミは、今は控えておく。


「マスターも、何か心当たりがあるようだね」

「ああ、まあな」


 これでも俺は、『闇の森』の入り口に酒場を建て、十数年も荒くれ者たちと付き合ってきたのだ。あの森に充溢する魔術の気配を、察知できていないはずがない。

 いろいろと話したいことはあるが、今は胸に秘めておく。


 しばしの間、俺とキリアは黙って突っ立っていた。きっとキリアもまた、何某か思うところはあるのだろう。

 だが、こういう時はさっさと休むべきだ。考えていてもしょうがない時は。


 俺はさっさと寝るようにとキリアに促した。幸い、ガラス片はベッドに降りかかっていないし、綿が飛び出していることを我慢すれば、それなりに柔らかいベッドで眠れる。


「僕なら大丈夫だよ、マスターこそ、足が悪いのに無茶したでしょう?」

「いいんだよ、んなことは。子供は寝ろ。俺が寝ずの番をしてやるから」

「それなら僕が」

「馬鹿、イジイジするんじゃねぇ! こういう時は年長者の言葉に従え。無理をするな」

「むぅ」


 思わず俺は、頬を緩めてしまった。さっき出会ってから初めて、キリアの子供らしい表情を見た気がする。それは微笑ましいもので、しかし本人は俯いているから、俺がニヤニヤしていることに気づいていない。


 唇を尖らせたキリアの肩に、俺はそっと手を載せた。


「お前は今日、本当によくやったよ。俺の命の恩人だ。ちっと乳臭いけどな」

「なっ!」


 暗闇でも分かるほどの勢いで、キリアは顔を上げた。同時にその頬が朱に染まっていく。


「僕がお酒飲めないからって、そんな言い草ないでしょう、マスター!」

「違う違う。ミルクばっかり飲んでるからって意味じゃねえ。まだ子供っぽいところもあるんだな、ってことだよ」


 再び俯くキリア。なんだ、自覚があったのか。


「心配すんな。あんな刺客、一晩に二度も攻めてやこねぇよ。それより、明日からは森の中だ。今の内に休んどけ」

「マスターは?」

「俺は……」


 何を言おうか迷いだしたその時、俺は再び幻聴に囚われた。


(お父さん)


 はっとして、ぶるぶるとかぶりを振る。


「大丈夫、マスター?」

「あ、ああ、平気だ」

「じゃあ、お言葉に甘えようかな」

「え?」


 あまりに呆気なく、キリアは考えを改めた。


「お休み、マスター」


 そう言って、剣とショットガンを抱き締めるようにしてベッドに横たわる。

 俺は鼻を鳴らした。今日何度目だか知らないが。

 分かってるよ、お前の本心は。俺の心に踏み込み過ぎた、とでも思ってるんだろ?


「ま、気にすんな」


 キリアに聞こえるかどうか。その判断もつかない声音で、俺は呟いた。


         ※


「こんな血生臭いことがあったってのに、月は綺麗だな」


 俺はガラス片を払い落とした椅子に座り、ぼんやりと夜空を眺めていた。

 こんな静かで明るい夜が、『彼女』は大好きだった。俺は首にぶら提げた細いリングに指を掛け、先端に取り付けられたロケットを開く。


 かちり、と音がして、そして――。いや、これ以上の回想は止めよう。心の隙間には魔が忍び込むという。心臓がバクバクと不吉な打ち方をして、ずっと夜明けが訪れないのではないかと不安になる。


 だから考えないことにするのだ。『彼女』のことも。

 だったら、今このロケットを開いてしまった俺は、一体何をしているのだろう?


「そうか」


 そうとも。キリア・ルイ。

 この少年と出会ったから、こんな感傷に浸っているのだ。


 俺は静かに立ち上がり、ベッドに近づいた。こちらに背を向けたまま、キリアが静かに寝息を立てている。


「夏だからって、腹出して寝てんじゃねぇぞ。風邪、ひくからな」


 そっと手を伸ばす。掛布団の位置を直してやろうと思ったのだ。

 だが、止めた。コイツは『彼女』とは違う。自分で自分のことを完璧にこなすことができるのだ。


「……ま、精々見守らせてもらうさ」


 そう言って、俺はベッドの反対側の壁にもたれ掛かり、リボルバーに弾を込め直した。

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