第2話

「うぉ⁉ あぁ⁉ 腕、どこ行きやがった、俺の腕えぇええぇえ⁉」


 俺のそばを掠めるように、親分の鮮血がホースから飛び出たように飛散する。

 と同時に、何故かフロアの奥の方で、嫌な音がした。

 そっとそちらを覗き込むと、何故か親分の鉄拳はそこにあり、下っ端のうち一人の顔面から突っ込んでいた。完全に陥没している。即死だな、ありゃ。


 同情する間もなく、俺は即座に頭を回転させた。何故、親分の腕が消えて再び現れたのか? まるで瞬間移動でもしたかのように。

 その答えは、目の前の『犯人』が教えてくれた。


「ああ、ごめんねマスター、ミルクに血が入っちゃった。もう飲めないね」


 コトリ、と置かれたマグカップ。僅かに二、三の赤い点が、その表面に浮いている。

 少年の腰元で、微かに剣の鞘がカチン、と音を慣らす。


 俺は悟った。この少年が、親分の腕を斬り飛ばしたのだ。

 だが、どうやって一瞬で抜刀し、切断し、再び剣を鞘に収めたのか? それほどの殺気であれば、俺にだって察知できたはずなのに。


「……て、てめぇ……。よくも俺様の腕をぉお!」


 激昂する親分に、俺は久々に小便を漏らしそうになった。店が吹っ飛んでもおかしくない。

 今このフロアには、親分の他、その後方に下っ端が六人。全員が刀かリボルバーで武装。残り、生きている奴だけで七人だ。この七人を相手にどう立ち回るつもりなんだ、この少年。


「うおらあっ!」


 親分が立ち直り、残り三本の腕を少年の後頭部に突き出す。上と左右から攻め込まれ、避けようがない。

 すると少年は振り返りもせず、もう片方の腰に提げていた大剣に手を遣った。だが、この速度では抜刀する前に、彼の頭部は握り潰される。


 しかし少年は、剣の柄を握りながら抜刀しなかった。代わりに、鞘を思いっきり後方に押し込んだ。

 鞘の先端は親分の脛を見事に捉え、ド派手に転倒させる。ドウッ、という鈍い衝撃音。同時に、床に散らばったガラス片が跳ね、床板の一部が陥没する。


「畜生! 親分!」

「構うな、やっちまえ!」


 残る六人は、さっさと逃げるべきだった。が、そんな知恵は回らなかったらしい。

 腕っぷしの強さと、命知らずであることを誇りにしているような連中だ。おめおめと逃げ去ることなどできやしないのだ。

 案の定、六人全員がいっぺんに襲い掛かってきた。


 少年は優雅に立ち上がり、軽く一言。


「マスター、ごめん」

「へ?」


 唐突に謝られ、思考が一時停止する。その直後、俺は思いっきり少年の飛び蹴りを喰らっていた。


「ぶふっ!」


 視界の先でお星様が躍っている。しかし、そんなことを気にしている場合ではなかった。

 何かが高速で回転し、俺の背後にあった酒瓶や酒樽を一閃した。頭上から降り注ぐアルコールと割られた容器。


 凶器にもなりかねないそれを、俺はカウンター下の隠し扉で身を縮めることで回避した。

 だが、待てよ? 少年がこの状況で、酒瓶を割る理由が見つからない。それに、今の一閃は確かに回転していた。まさか――。


 俺がそっと顔を上げると、こちらに向かってきていた六人は、全員が動きを止めていた。

 まるで、時が止まったかのようだ。

 俺にしては詩的な感想だが、それも長くは続かなかった。


 ずり。ずるり。

 何やら不吉な音がする。驚愕に見開かれる、六人の馬鹿の目と口。いや、俺も含めて七人か。

 あまりにも綺麗な回転斬り。だから六人は、自分の胴体が横から真っ二つにされていることに気づかなかったのだ。たった今、この瞬間までは。


 やがて斬られた順番に、右から左に向かって噴水のように鮮血が噴出した。もちろん、上半身は既に床に落ちている。

 自分が死んだことにも気づいてないんじゃないのか、こいつら。


 今までの戦闘、いや、少年による正当防衛により、店内は完全に荒れ果ててしまった。幸いなのは、フロアの天井中央の裸電球が一つ、生き残っていることくらいか。

 この間、回転斬りを繰り出した一瞬を除いて、少年は振り返りもしていない。


「本当に申し訳ない、マスター。お店、滅茶苦茶にしちゃったね」


 そういう少年。だが、生き残りがいた。音も立てずに腰から自分の拳銃を抜く。

 しかし俺が注意を促すまでもなく、


「ううむ、僕も甘いな。まだまだだ」


 そう言って、彼は無造作に背中に手を遣った。何か筒状のものが包まれている布を取り払う。

 そこから現れたのは、彼の半身ほどもありそうな銃だった。ポンプアクション式のショットガンだ。

 少年は、負傷してなかなか撃鉄を起こせずにいる相手に背を向けたまま、がしゃり、と初弾を装填した。そして自分の肩に載せるようにして、銃口を背後に向け、ズドン、と発砲。


 身体を芯から震わせるような振動の後、ぐしゃり、とまた生々しい音がした。

 見れば、さっきの生き残りの上半身が消し飛んでいる。


「あ、ありゃあ……」


 あんな威力の銃を発砲しておいて、少年は涼しい顔だ。あまりの一方的な戦闘に、俺はあんぐり顎を開けて、血と肉と臓物に塗れた床を見下ろした。

 これで、この店内には、まともに動ける人間が一人だけになった。無論、少年のことである。


 いや、訂正。

 動けるのは二人だった。


「このガキ……。俺の腕ぇ……」


 俺は思わず引き攣った悲鳴を上げた。破砕されたガラス片で全身から出血しながらも、親分が立ち上がったのだ。

 それはさながら、眼前に山が一つ盛り上がってくるかのような迫力があった。


 すると、思いがけないことが起こった。少年が席から下り、木目の床に足を着いたのだ。

 流石に親分クラスの敵が相手では、向き合わなければ勝てないのか。


 と思ったのも束の間、勝負は呆気なく決着してしまった。

 トン、と少年が床を蹴り、低姿勢のまま親分に突っ込んだのだ。そのままそばを駆け抜ける。すると、残る三本の腕の内、二本がすっぱり斬り落とされ、再び鮮血が噴き出した。


「うあぁああぁああ⁉」


 理解が追いついていないのか、親分は悲鳴を上げながらも、振り返って少年に突進。

 それに対し、少年は振り返って懐に入り込んだ。

 親分の巨躯に隠れて見えないが、どうやら少年は、全身の関節を巧みに使い、親分を後退させているようだ。


 確かに、図体のでかさが即ち強さであるとは限らない。しかしこの戦闘は、あまりに不自然だ。リスが熊を相手に、正面から押し切ろうとしている。しかもそこには、殺意どころか敵意すらない。

 強いて言えば、さっき俺が感じた『正体不明の気力』。そんなものが店内に充満していた。


 呆然と見ていると、すぱん、といい音がした。大剣の反対側の腰に吊った短剣が、親分の首を刎ねたのだ。

 最早出血多量だったのか、親分の頭部からの出血は予想より少なかった。そのまま少年は親分の腹部を無造作に蹴り、背後から倒した。再び振動に見舞われる店内。

 そう言えば、少年の行動が無造作に思えたのはこれが初めてだな。


「な、なあ、あんた……」

「キリア」

「え?」

「キリア・ルイ。僕の名前だよ」


 そう言って、少年――キリアはにこやかに振り返った。そっと手を差し伸べる。

 俺はその手を取って、ゆっくりとカウンター越しに立たせてもらった。


「お、俺はドン。ドン・ゴルンだ」

「ドン・ゴルン……。強そうな名前だね」

「つ、強そう?」


 普通なら、喧嘩を売られたと激昂するところだ。しかし、キリアの立ち振る舞いや顔つきには、嫌みなところが一切なかった。これでは喧嘩を買おうにも買えやしない。


 俺はキリアに、いろいろと尋ねるべきだと思っていた。しかし、頭の中がこんがらがって、口をもごもごさせるのが精一杯。それも難問を突き付けられたからではなく、あまりの『強さ』を目の当たりにしたから、という理由なのだから、どうしようもない。


「あれ? マスター、僕の顔に何か付いてる?」

「へ? あ、い、いやいやいや!」


 俺は自分の鼻先で掌を震わせた。あれだけの戦闘を行いながら、キリアの顔には血の一滴も付いていない。むしろ俺の方が酒塗れだ。


「来たようだね、保安官」


 俺が顔を上げた時には、窓や扉からランプの灯りが差し込んでくるところだった。

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