第3話
「ぜっ、全員そこを動くなぁあ!」
ううむ、さっきから俺の周りで喋る奴らは、奇声を上げてばっかりだな。
やはり皆、キリアの発する気力の奔流に呑まれているのだろう。
保安官たちの持ったランプが、店を包囲している。その数、二十はくだらない。
すると、キリアはそこでようやくため息をつき、後頭部を軽く掻いた。さも面倒くさそうな、無造作な行為だ。
いくら相手が正義の味方であり、互いに殺意を抱いていないからと言って、二十名の武器所有者を相手に状況説明をしなければならない。これはキリアにとっても、ストレスになることだろう。
治安維持を職務とする者を、斬ったり撃ったりは流石にできまい。
しかし、キリアには一つ考えがある様子だった。
「店内にいる者は全員外に出ろ! こちらはショットガンで武装しているぞ!」
保安官の声がする。ま、こんなことは、俺にとっては日常茶飯事だ。俺はのっそりと立ち上がり、両手を上げながらゆっくりと外に出た。
周囲は草原になっている。小川のせせらぎが涼し気だが、それは『闇の森』に通じており、好き好んで近づこうという輩はいない。怪物狩りの奴ら以外は。
「おーい! キリア・ルイはいるかあ!」
大声を上げたのは、俺と顔馴染みの保安官のリーダーだった。
「ドン、生きてるんだろ? 事情聴取だ、時間を貰うぞ!」
俺は酒場(だったはずの廃屋)から離れ、自らの姿を灯りの下に晒した。
「ドン、怪我はないか?」
「俺は平気だ。だが……」
俺はキリアの小柄な、しかし落ち着き払った姿を探し、視線を彷徨わせた。
すると彼は、保安官の下っ端と何やら話をしている。俺はさり気なく、そちらに聴覚を傾けた。
「僕がキリア・ルイです。何か問題が?」
「き、君があの親分と手下を殺したのか?」
「そうだけど。賞金、出るんだよね?」
下っ端保安官は、もう一人の同僚と顔を見合わせ、再びキリアに顔を向けた。キリアの方が、頭一つ分は小柄だ。
しかし、あれほどの殺戮を繰り広げた直後に賞金をせしめようとは。随分と肝が据わっているというか、何と言うか。
すると、ふっと場の空気が変わった。おもむろにキリアが、眼帯を外したのだ。
こちらからでは、彼の右目がどうなっているのか分からない。だが一瞬、キリアの身体が淡い赤紫色に輝いた――かのように見えた。
キリアが眼帯を付け直す。すると、その瞳を見たであろう保安官二人は交互に頷き、じゃらじゃらと豪勢な音を立てる麻袋を取り出して、無警戒にキリアに差し出した。
キリアは穏やかな声で礼を述べ、麻袋を受け取ってこちらにやってくる。
「ははあ、あのキリアって少年……。やはり只者じゃあないな」
「あんた、あいつのことを知ってたのか?」
保安官のリーダーは、髭のない顎を擦りながらそう言った。俺の問いに、彼は片眉を上げて答える。
「ああ。賞金稼ぎの任務申請にあったんだ。『四つ手の親分』一味を殲滅する、と」
「せ、殲滅……」
見事に殲滅させられたな、あいつら。
あまりに呆気ない死に様だったが、今店内でくたばっている下っ端連中もまた、筋金入りの悪党だ。暴力性にかけては、そこいらのギャングの比ではない。
今となっては『死人に口なし』としか言いようがないが。
「お前ならとっくに勘づいてるだろうがな、ドン。あのキリアって少年には、特別な過去があるらしい。我々も詳細は知らんがね」
俺はふん、と鼻を鳴らした。『特別だな』過去のない人間など、お目にかかったことがない。だがキリアの過去は、『特別』どころか『別格』なのだろう。あの歳で、あれほどの戦闘力を有しているのだから。
「おーい、マスター!」
年頃の無邪気な笑みを浮かべ、万歳する姿勢でキリアがやって来る。
「一つ相談があるんだけど、いいかな?」
「お、おう」
俺がわざとらしく腕を組んで見せると、キリアはこんなことを言いだした。
「僕に雇われてくれない?」
俺は、頭が痛くなった。これ以上俺にどうしろと言うのか? 全くこのキリアって奴は、慇懃無礼もいいところだ。
と、思っていた矢先のことだった。
《えーーー? 『四つ手の親分』死んじまったの? つまんねー》
やや低めの、しかし威勢のいい女性の声がする。だが、どこからだ?
《ってことは、あたいの賞金はゼロ? ざけんじゃねぇぞ、全く。せっかくサーベル磨いてきたのに》
するとキリアは、人込みをかき分けて駆けて行った。背嚢から小さな水晶玉を取り出す。それを覗き込みながら、キリアは声をかけた。
「デッド、久しぶり! 元気だった?」
《見りゃ分かんだろ、絶賛不元気だ。誰かさんがタッチの差で、あたいの獲物をかっさらっていっちまったからな》
「ごめんごめん、上手く潜入できたから、そのままやっつけちゃった」
こ、こいつら何の話をしているんだ? 女性とキリアの間に連携性があることは見て取れるが。
「ああ、紹介するよ、マスター。彼女はデッドルア・アルカーズ。僕と同じ先生に師事して、戦闘技能を磨いたんだ」
《紹介がなげぇよ。あたいを呼ぶときは『デッド』でいい。で? あんたは何者だ、おっさん?》
「キリアに店をぶっ潰されて、絶賛休業中の酒場の親父だ」
そう言うと、デッドは大きなため息をついてぎろり、とキリアを睨みつけた。正確には、そんな気配がした。
《またやったのか、全く……》
「だってマスターが危なかったんだもん! ね? マスター!」
「ま、まあ、そりゃあそうかもしれんが……」
気分を害されたのか、デッドは短く悪態をついた。
俺もそっと、水晶玉を覗き込んでみた。そこに、一人の女性が映っている。彼女がデッドで間違いないだろう。
年齢はキリアよりやや上だ。二十歳すぎくらいだろうか。背中にはでかいサーベルを背負い、髪が乱れないようにするためか、バンダナを締めている。
「デッド、僕たちは街に戻って宿で休むけど、君は?」
《ほっとけ。獲物を分捕られて、気分が悪いんだ》
取り付く島もない。
じゃあな、という声と共に、水晶玉は光を失った。
※
「だーかーらー、俺はそんなこと、承知しやしねぇぞ!」
「聞いておくれよマスター! 僕は流れ者なんだ、道案内くらいいいでしょう?」
「これ以上お前さんに関わる気はねえ! 金輪際、あんな危なっかしい目に遭わされれてたまるか!」
市街地中心部の真っ当な酒屋で、俺は散々飲み呆けていた。うちの店と違って、随分と豪奢で煌びやかな酒屋だ。いや、高級バーとでも言えばいいのか。
がっぽり稼いだキリアに誘われたからとはいえ、まさか自分がこんな店に足を踏み入れる機会に恵まれるとは。全く、人生何が起こるか分かったもんじゃない。
だが、話はそう単純なものではなかった。
「頼むよマスター、僕を『闇の城』まで案内しておくれよ!」
と、キリアが喚き立てているのだ。
『闇の城』とは俗称だが、これほど『闇』という言葉が似あう城もありはしないだろう。生きて帰った者がほとんどいないから、だいぶ尾鰭の付いた噂話になってしまうが。
なんでも、その『闇の城』には、とんでもない怪物が出るという。そいつは、森の中にいるのとは比較にならないほど巨大で凶暴、それに人を好んで食うのだそうだ。
問題は、その『人の食い方』だ。普通の怪物なら身体を食う。皮膚を食い破り、肉を噛み取り、骨の髄液までをも吸い尽くす。
しかし、城に出る怪物は違う。人の魂を吸い取るのだそうだ。そうして食われた人間は、グールだかゾンビだかと呼ばれることとなる。人の形をした、人ならざる者共。
そいつらは、実際に人肉を食らうらしい。人が人を食う、というのは、怪物狩りの間でもなかなかに恐れられる部類の話だ。
そんな話を、どうしてこんな優雅な空間で思い出さねばならないのか。酒は上質、つまみも美味い、給仕もカワイコちゃんが揃ってる。それなのに、俺は何が悲しくてキリアなんかの相手をせにゃならんのだ。
酔いが回ったのか、俺はテーブルに肘を着き、額に手を遣っていた。やや吐き気がする。どうやら、いつもより飲むペースが早くなっているらしい。
そのせいで、俺はキリアに言われるまで、こんな単純な話に思い当たらなかった。
「マスター、僕が稼いで何とかするよ」
「な、何とか、だってぇ?」
「うん!」
身を乗り出すキリアを前に、しゃっくりを一つ。
「まぁ、確かになぁ、てめぇの腕なら、あんな酒場の一つや二つ、簡単に建て直せるだろうが――あ?」
「だから、僕が稼ぐって! マスターには、その手伝いをしてほしいんだ! 戦いは全部僕がこなすから!」
いつもの俺なら、即座に無理だと断じたことだろう。だが酔った勢いか、俺は全く逆のことを考え始めていた。
こいつは、稼げる。
キリアの腕は確かだ。俺がサポートし、キリアを戦わせる。あとは高みの見物と洒落込めばいい。
そんな考えが脳裏をよぎった、その直後。
俺の心に、一つの言葉が響き渡った。
(お父さん)
はっとした。俺は今、何を考えていた? こんな年端もゆかない少年に戦わせて、自分だけちゃっかり儲けよう、だと?
それを自覚した瞬間、俺の心が沸騰した。
「馬ッ鹿野郎‼」
ダン! と勢いよくテーブルが打ち鳴らされ、卓上のビールとホットミルクの水面が揺れる。
駄目だ。こんな考えを抱いてはいけない。これでは『彼女』に合わせる顔がない。
俺はゆっくり目を上げた。そこにあったのは、驚きに見開かれたキリアの、真ん丸の瞳だった。
「ど、どうしたのさ、マスター?」
「ああ、いや……」
今の一打で、俺とキリアは、このバーのワンフロア全体の視線を集めていた。
気まずいものを察したのか、キリアはすっと目を逸らし、マグカップを手に取った。俺に配慮してくれたのだということは、言うまでもない。
俺はキリアのことを、何一つ知らない。出自も過去も、今彼が胸に抱いているであろう感情さえも。
だが、子供が危険な目に遭うのを、むざむざ看過することはできない。それが『彼女』の供養になるとは思えないが。
「なあ、キリア」
「ん?」
マグカップを置きながら、キリアは再び目を合わせた。
「お前のその話、引き受ける」
「ほ、本当⁉」
「ただし」
俺はキリアの眼前で、人差し指を立てた。
「条件がある。言っとくが金の問題じゃねえぞ」
「え? じゃあ――」
「もし戦況が危うくなったら、俺を見捨てて逃げろ」
キリアは再び目を見開き、まじまじと俺の眼球を除きこんだ。自分の顔が映っているのを確かめようとでもするかのように。
「そっ、そんなことできないよ! できるわけないじゃないか!」
キリアは身を引き、椅子の背もたれに寄りかかった。どうあっても承諾できない。そんな顔をしている。
「だがな、これは俺の信条、いや、信念なんだ。頼む」
俺はすっかり酔いの冷めた頭を、ぐいっとキリアの前に垂らした。
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