第6話 この胸の中に【SIDEちなつ】
笹島ちなつ。12才。
最近気になる男の子ができました。
低学年の頃に一度だけ同じクラスだったけど、そのころの彼は、ハッキリ言ってこれといった印象がありませんでした。
意識するようになったのは、本当に数日前。
何気なくおかげ横丁に向かうと、窃盗犯相手に立ち向かう彼の姿が目に入りました。風が吹けば倒れてしまいそうな彼が、悪漢に敵うわけがありません。
逃げて。
掛けようとした声は、形になりませんでした。
おびえて声が出せなかったわけではありません。
それよりも早く、彼が窃盗犯を打ちのめしてしまったからです。
「ちょっとこっちに来てー!」
気づけばわたしは、彼を呼び出していました。
わたしから男子に声をかけるのなんていつぶりかな。
「……笹島ちなつ?」
彼はわたしをそう呼びました。
どこか距離感を測りかねている。
フルネーム呼びにはそんな印象を受けました。
「むぅ、調子狂っちゃうよー。えっと確認なんだけど……想矢は剣術スキルを持ってる、よね?」
もっとフランクに行こうよ。
そういうつもりで、名前で呼びました。
彼は鳩が豆鉄砲を食ったように一瞬怯みました。
しかしそれは一瞬のことで、すぐにのっぺりとした表情になってしまいます。
「あのね?」
うんうんと悩む彼に、私は身を乗り出しました。
彼は面食らった様子で一歩退くので、わたしは距離を詰めるように一歩にじり寄ります。
数歩も進めば、建物の壁が彼の逃げ道を遮った。
「わたしにも、剣を教えてほしいの!」
わたしには従姉がいます。
強くて優しくて綺麗な、大好きなお姉ちゃんです。
ですが、彼女は分家の
不安でたまりません。
呪いとの戦いは常に命がけと聞きました。
危険と知って歩を進めなければいけないなんて、そんなのあんまりです。
わたしは弱かったので、戦場に旅立つ姉を黙って見守るほかにありませんでした。
分家が本家より力を持つのは好まれません。
武芸を習おうとすると、水面下で悪だくみをしていると他の家からいらぬ疑いを掛けられてしまいます。
じれったい身分です。
ですが、同級生から習うというのであればどうでしょう。子供のごっこあそび。見過ごしてもらえるのではないでしょうか。
呪いとの戦いは1週間後。
スキルは得られなくても、自分の身を自分で守るだけの力を身につけられるかもしれません。
そう、思っての相談でした。
「まじかよ」
神藤家と呪いの話を聞いた彼は呟きました。
「やっぱり、呪いとか信じられないよね」
分かっていました。
突拍子もない話です。
現実味が無さすぎて、受け入れられないでしょう。
「オレ、信じるよ」
ですが、彼が悩んだのは一瞬でした。
オカルトを信じるタイプなのかなと思いましたが、そういうわけでもないらしいです。
だったら、どうして。
どうして信じようと思えたの?
「こっちはキャラクターじゃなくて人間だからな。魂だってあれば、感情だってある」
正直言って、私は彼の意図を正確には汲み取れませんでした。こっちとは何を指しているのでしょう。なぜ精神論なのでしょう。
「なにそれ、全然カッコつけれてないよ」
思わず、笑ってしまいました。
彼はぶすっとしてしまいましたが、わたしは嬉しかったです。
わたしを気にかけてくれる人がいる。
相談に、真剣に耳を傾けてくれる人がいる。
「でも、ちょっと頼りがいがあるかも」
そう伝えると、今度は笑ってくれました。
どんな鍛錬が始まるのかな。
わくわくとどきどきでいっぱいです。
(絶対に、お姉ちゃんの初陣についていくんだ!)
そのためだったら、厳しい訓練も上等です。
そう、意気込んでいたのですが……。
「んひゃぁっ! なに、体の奥から、力が湧いて」
唐突に、体の奥底から熱い何かが全身にたぎりました。体の変化についていけず、思わず吐息が零れます。
彼が何かをしたのでしょうか。
そう思い問いかけてみると、今のわたしは世界トップレベルの剣術の使い手になったと言います。
本当かな?
わたしはまず疑いました。
ですが、疑念は長続きはしませんでした。
彼の言葉が本当だと、自分の目と体で分からされたからです。
彼から渡された竹刀。
次の瞬間には、彼が投げた小石がわたしに迫っていました。意識したのは一瞬です。最初に感じたのは「なにをするの!」という驚き。
そして次に感じたのは、無意識下で小石を斬り払っていた自分自身への驚きでした。
剣が届く範囲に害意が迫っている。
そう知覚した瞬間、わたしの体はわたしの意識とは無関係に剣を振り抜いていました。
後に残ったのは切り捨てられた小石だけ。
「すごい、すごいよ想矢!! ありがとう!!」
「うわっぷ、ちょ、ちなつさん?」
「ちなつでいいよ!!」
原理は分かりません。
ですが、わたしは間に合ったのです。
(よかった、これでお姉ちゃんの初陣に参加できる!)
「また明日ね! 想矢!」
その日は、とても眠れませんでした。
うるさいくらいに心臓がどくどくと音を立てていたからです。
(むぅ……)
かの作曲家は扉を叩く音を運命と呼んだそうです。
今ならその気持ちがわかる気がします。
この胸の高鳴りは、きっと。
(って! ばかばか! 何へんな妄想してるの!)
この思いは胸にしまっておこう。
きっと気づいてしまったら、今の関係性が崩れてしまうから。
だけど、お昼ごはんに誘うくらいならいいかな?
でも、断られたらどうしよう。
でもでも、もっと彼のことが知りたいな。
結局、一晩中同じことをぐるぐると考え続けて、不足した睡眠時間は授業中に補いました。わたしって天才かもしれない。
「想矢! いっしょにお昼食べよっ!!」
そうして迎えた昼休み。
勝ったのは彼のことをもっと知りたいという欲求で、わたしはチャイムが鳴ると同時に彼の教室に向かいました。
「ごめん、オレ購買行かないと!」
「え⁉ そうなの⁉」
「うん、そういうわけだから……」
「じゃあ私もいっしょに行く!!」
なんと彼は購買に行くと言います。
入学時からずっと気になってはいたものの、笹島家に取り入ろうとする学友のみんなは購買を唾棄すべきもののように言っていて、これまで一度も寄れませんでした。
ですが、彼と一緒なら、正々堂々と利用できます。
そうして向かった購買で、わたしは二度目の運命の出会いを果たしました。
「はわわぁ! これが桃まん……っ! いっただきまーす!! んー! おいしいっ!」
見た目はかわいくて味はおいしい。
こんな完璧な食べ物があったなんて。
彼はわたしにいろいろなことを教えてくれます。
「想矢! ありがとっ!!」
顔がほころぶのは、もうどうしようもないや。
だって、本当に、嬉しいことばっかりなんだもん。
*
「だからね! わたし、剣を使えるようになったの」
その日の夜。
久々に帰ってきたお父様へ、わたしは直談判に向かいました。
「絶対、自分の身は自分で守るから! お姉ちゃんの初陣、わたしも参加していいよね⁉」
あとは許可さえもらえればそれでいい。
討伐隊の後方支援組に組み込んでもらって、それでお姉ちゃんが無事かどうか見極める。それだけでいいんだ。
「だめだ」
「……ぇ?」
……わけがわからなかった。
いま、わたしはなんて言われたの?
だめ? だめって言われたの? どうして?
「呪いとの戦いはちなつが思っている以上に危険だ。そんなところに向かわせるわけにはいかない」
「だ、大丈夫だよ! ねぇ、見てて! 【剣術Lv8】ってすごいんだよ⁉ うん! 見てくれたら絶対大丈夫ってわかるはずだから……」
「だめだ。今回の遠征だけは、絶対に許さない」
「……どうして」
わかんない。
わかんないよ。
どうしてそんなひどいこと言うの。
「呪いとの戦いが危険なんでしょ⁉ そこにお姉ちゃんが向かうんだよ⁉ お姉ちゃんがどうなってもいいの⁉」
「それが神藤に生まれた者の定めだ。だがお前は笹島だ。張り合う必要はない」
「っ! この、わからずや!!」
……なんで。
どうして。
自分の身を守る手段さえあれば、全部、解決すると思ってた。
それなのに、どうして。
「たすけてよ、想矢……」
切なさは、この胸の中に。
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