第8話 弓岡天音の襲撃

「む、気が付いたか?」


 目が覚めると同時、暫し呆然とした。

 パチくりとした黒い瞳と、視線が合う。徐々に広がる光景に動揺し、言葉が出ない。僕のお腹の辺りに微かな重量感――、


「ふふ。すまぬが、勝手に観察さしてもらったぞ」


 ――ちょこんと跨り、おでこをぴったんこという状況にあった。

 どうしていきなりこんなシチュエーションに? と、頭が考えるより早く、自然と目の前の人物に視線が釘付けにされる。

 入学式の時にも思ったが、なんとも整ったその目鼻立ちは、一種の威圧感すらも与えられ――そんなお方が今現在、僕の真ん前にいるのだ。


 ……真ん前どころの騒ぎではない。


 長く艶やかな黒髪からはカトレアのように華やかな芳香、覆いかぶさるようにして密着している部分からは柔らかな感触。

 わずか数センチ先には、薄紅色の小柄な唇――その唇の端、遠目で見ていた時には気付かなかったが、チラリと八重歯が覗いていた。それがまた驚くほど美人さに拍車をかけて――深呼吸。ふぅほお! よし、落ち着こうか、僕。


「おっと、肝心なことを一つ忘れておった」


 か、肝心なこと?

 生徒会長はなにかを思い出したよう、不意に僕の手を取り――中指をぱくり。柔らかながらも、くすぐったい感触に包まれる。


「がふぉ! なにをしていらっしゃるので!?」


 吸い込んだ息が、一気に吹き出た。


「あひほハヒハめへほるホハ――」


 日本語でお願いします。


「――んんぅ。味を確かめておるのじゃ」

「ぁ、味?」

「何故、そんな当然のことを聞く。味は味じゃ」

「な、なな、何故もなにも!」


 返答の代わりに、首を傾けられた。

 き、聞き方が悪かった? まあまあ、この話題はさて置いて。今の状況判断――僕は質問を変えるべく、コホンと咳払いをし、


「あの、生徒会長。……ここは、どこですか?」

「生徒会室じゃよ。して、ワシにはもう生徒会長という名の権限はない。む、気軽に天音と呼ぶがよい」

「……天音、さん」

「天音でよい」

「じゃ、じゃあ、天音」


 なんか抵抗あるな、年上だし。


「ほぅ、いきなり呼び捨てか。て、照れるではないか」


 ポッと頬を赤らめられた。

 いやいや、なにこの空気? ゃ、ややこしいな――いきなりもなにも、呼べと言ったのはあなたでしょう。


「……やっぱり、天音先輩と呼びます」

「むぅ、そうか。……まあよい。以後、同じ生徒会の面子として仲間として、よろしく頼むぞ」

「同じ生徒会の面子?」

「うむ。お主は生徒会長じゃ」


 お主、お主――あぁ、僕のことか。

 あれ? 生徒会長? ずきずきと、激しく痛む後頭部――なんか、記憶が微妙に曖昧だったりする。


「僕はどうやって生徒会室まで来たんでしょうか?」

「蓮に首を引きずられながら来た」

「んっ?」

「蓮に首を引きずられながら来た。軽く泡を吹いていたのう」

「んんっ?」


 記憶が戻ってきた。

 そういや、直前で――生徒会室に入る直前、正直に言ったんだ。僕は生徒会長になることはできません、と。

 そしたら――、


「気分はどうですか」


 ――頬にひやりとした感触。

 真横、僕の真横。いつの間にか、風宮さんがタオルを片手に立っていた。


「ひぃはぁ!」


 思わず、反射的に飛び退こうとした。が、


「おっと。まだ大人しくするがよい」


 お腹の上、天音先輩に抑えられる。

 ぐぅう。ど、どうなっているんだ? 物凄い圧迫感。まるで、縄にでも縛り付けられたように動かない――動けない。


「蓮、怯えられておるぞ」


「強制的に、連行する形になりましたからね」


 強制、的?

 頬を撫でる冷ややかなタオルの温度と同期して、背筋の体温が下がる――完全に思い出した。風宮さんに殴られて気を失い、気付けば天音先輩がお腹の上に跨っていて――どういう状況だ、全く。


「……僕を、どうするつもりですか」


 僕の問い掛けに対し、天音先輩は八重歯を覗かせながら、


「ふふ、そう邪険にするではない。蓮から大体の話は聞いた。その上で、単刀直入に言おうではないか」


 艶かしく、僕の顎をそっと撫で、


「ワシはお主に惚れた」


 唐突な告白。

 だ、大体の話を聞いたんじゃないの? 予想から大分かけ離れていた返答のため、ぽかんと無意識に口が開いてしまった。


「あの時、あの瞬間、ワシの身体を駆け抜けた電気――あれは、恋に違いない」

「こっ、勘違いですよ! 本気で電気が駆け抜けてましたからねっ!?」

「加え、嫁入り前の女子を大衆のど真ん中で半裸にするなど――男なら、責任を取らねばならぬのじゃぞ?」

「せ、責任って。……そもそも、天音先」


 くるり、反転する視界。

 いつの間にか、態勢が入れ替えられていた。天音先輩が僕の真下、僕が天音先輩の真上に――一見、押し倒すような形になっていた。

 右手は天音先輩の頭の下に、左手は柔らかくも弾力のある感触が――むむむ、むね? 胸だ! と、動揺と感動が入り混じり、思考回路が鈍った瞬間、顔を引き寄せられる。皆まで言う前に、口が閉じる。閉じる、というよりは――閉じられた、とでも言うべきだろうか。


「はい。ナイスポーズです」


 シャッター音が鳴り響く。

 横目で風宮さんを見ると、カメラを片手にピースをしていた。


「……んぅ。さて、先刻の話の続きじゃ。単刀直入に言おう、お主は生徒会長という任から逃れることはできぬ。理解したか?」

「なっ、なっ、なっ! ななな、なにをっ」

「なにを? 何故そんなに慌てておる。キスはキスじゃ」

「と、当然の反応ですよ!」

「あぁ、安心するがよい」


 頬を少し紅潮させ、天音先輩は自らの唇をなぞりながら、


「惚れたのは嘘ではないぞ」


「……そ、そういう、問題じゃ」


 その姿を、その仕草を――、


「ちなみに、ファーストキスじゃった」


 ――僕は不覚にも綺麗だな、と思ってしまった。

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