第3話 侵食する力

「ただいま戻りました!」


大木を支柱とした木の家。その扉を開ける。


「ご苦労様、ルプス」


読んでいた本を閉じながら師匠が言った。


黄金のような髪に、整った顔立ち。中性的な見た目だが、身長は俺よりも高く、二メートルくらいある。そして、ゆったりとした服の下に隠れている肉体は鋼のように鍛えられている。


しかし初めて師匠とあった人が最初に目が行くのはそのどれでもない。


特徴的なとんがり耳だ。


師匠は人間でなく、交じりっ気のない純粋なエルフ。


これまで出会った人や村長の話を聞く限りでは、混血でないエルフが人里近くに一人で住むことは聞いたことがないそうだ。


人と交わらず、どっかにある里に住んでいるとか。


「ふむ、あの程度の魔獣なら問題なく倒せるようにはなったようだね」


師匠は俺を一瞥してそう言った。満足げにうなずいている。


「あの程度って・・・結構面倒だったんですが」


知恵を持った獣は時としてブラフを使ったりして、身を隠すのが上手い。


熊のような魔獣もそうだった。追いかけまわしてようやく仕留められた。


「ははは、あれは魔獣の中でも低級だ。どちらかと言えばまだ獣寄りのだな。ま、元となった個体が優秀だったんだろう」


「元から魔獣なんじゃないんですか?」


聞き流せない言い方だった。


魔獣とは魔力を使う器官、すなわち魔法を使う才能を持った獣の名だ。


魔法は生まれつきの才能が物を言うらしい。


「師匠の言い方だと普通の獣が、魔獣に成ったように聞こえるんですが」


「そう言ったんだよ。そうだな、言葉よりも実物を見た方がいいだろう」


言うや否や、壁に掛けてあった太刀を背負い、歩き出した。


慌てて報酬の入っていた袋を戸棚に仕舞い、師匠の背中を追いかける。


森の中は日中であっても薄暗い。それに地面も草に隠れた窪みなどがあったりしして歩きにくい。


それでも普段からこの森を歩き回っていれば感覚的わかるようになる。


「まず、魔獣の作り方について」


「魔力の結晶体を獣に埋め込むか、魔獣の心臓を移植するかの二つです」


「正解だ。本来なら魔獣はその種を受けたものからしか、産まれることはない。だが、その二つの方法で人工的に作ることができる。しかし、これらは原理から考案された方法に過ぎない」


木々が少なくなってきた。足元も湿った森の土から、硬い岩盤に代わってきている。


「実際は原理さえ守れば方法なんてなんでもいいんだよ。お、ここだよ」


そこは数日前に突き止めた魔獣の巣になっていた洞窟だった。


あの時はただの野生の熊の仕業だと思っていたから中までは調べなかった。とりあえず熊が立ち寄りそうな場所とだけ記憶していた。


師匠は洞窟の中へ勝手知ったる我が家のように入っていく。


洞窟の暗闇に目が慣れず、足元もおぼつかなかった。


しかし、目が慣れてくると周囲に大量の骨が散らばっていることが見て取れた。骨の大きさや形は様々だが、幸いにも人間のものらしき骨は見えない。


奥へ進むにつれて、空気が澱んできた。嫌な感じだ。


本能的に嫌っている感覚。そう感じさせる何かが洞窟の奥にある。


顔をしかめる俺に比べ、流石は最強の師匠。


外と変わらず、むしろ家にいるときと同じような涼しい顔して歩みを進めている。


離れないようにしながら、師匠の後についていると、洞窟の中が仄かに明るくなってきていた。


壁には紫色に淡い輝きを放つ苔が生え、地面に落ちている骨も心なしか光を放っているように見える。


不意に足元で何かが動いた。


とっさに剣に手を伸ばすが、すっと手を出して師匠が制止してくる。


「見てごらん」


そう言って指さされた先を視線で追う。


「うわぁっ!」


小さな野ネズミだ。


見た目は。


しかし、片方の眼球が異常なほど肥大化しており、顔の半分くらいを埋め尽くしている。


ネズミは走り回ったり、暴れたりしている。そして、急に動きを止めると力なく倒れた。


「師匠、この生き物は・・・」


産まれてからずっと森で暮らしているので、この森に棲んでいる動物は把握しているつもりだが、こんな生き物は見たことがない。


「魔獣だよ。迷い込んだ野ネズミが触れてしまったんだろうね。体が耐えられず中途半端な結果となったんだろう」


言いながらそっと魔獣に向けて手をかざす。


それだけで魔獣の死骸は炎に包まれ、灰になった。


死骸を食べて新たな魔獣が生まれないための火葬。


「・・・師匠、この先には一体何があるんですか」


ただのネズミを魔獣へと変貌させるものが自然に存在しているなど聞いたことがない。


「災厄の一部さ」


さらに洞窟の奥へと進むと小さな泉があった。地下水があふれ出ている小さな泉だ。


洞窟を巣にしている生き物にとっては水飲み場として使われているだろう。


その泉の水が薄紫色に濁っている。


道中の壁にあった苔や骨と同じように淡い光を伴って。


洞窟に入ってすぐに感じた嫌な感覚はこれのせいだと理解できた。


それほどに禍々しさと怪しげな魅力がある。


ネズミも熊も魔獣となる前にこの泉の水を飲んだのだろうか。


確かめてみるか。危険ではあるがこのままにしておくわけにはいかないし、すぐに変化が訪れるとも限らない。それに師匠がいてくれるから、きっと解毒とかもできるはずだ。


だから、触れても、いや、飲んでしまっても大丈夫———


「これ、目を覚ませ」


ごつんと、硬い鞘の先端で頭を叩かれた。鈍い音と痛みが同時に襲い掛かってくる。


「うっ・・・」


ちょっと強めだったな今のと、思うと同時に気が付いた。


俺は今、何をしようとしていた。


「魔術に対する耐性は、精神力と自身の魔力制御に由来する。まだまだそっちの修業が足りないな、ルプス」


師匠が止めてくれなければ俺はこの泉に触れていた。


意識がはっきりとしている今ならわかる。


これは絶対に触れてはいけない。


まして飲もうものなら適応できずに死んでいたか、魔獣のような異形の姿になっていたかもしれない。


精神に干渉する魔術への対応も師匠から教えてもらって、自分のものにできていたと思っていたが、違和感を感じる前に術中に嵌っていた。


もし師匠がいなかったらと思うとぞっとする。


「師匠、この泉は何なんですか。魔獣を生み出す泉なんて物騒なもの初めて見ました」


今でも少しでも気を抜けば泉の水を飲みたいという衝動が沸き上がってきそうだ。かなり強い暗示か、魅了の力がある。


暗示をかけられていると気が付くと普通は効果が半減するが、変わっていないように感じる。


「魔獣が生まれた原因さ。魔獣を作る原理、すなわち生物に強大な魔力を与えることだ」


「つまりこの泉の水には魔力が含まれている、と」


「そうだ。湧き水には地下の魔力石からあふれている魔力が含まれているが、それは微量で害も恩恵もない。しかし、この水は別だ。強大な存在の魔力に汚染されている。むしろ、液体の魔力と言ってもいいくらいだ」


「じゃあ、泉に引き寄せられそうになるのも、その魔力が原因になってるんですね」


「ああ、これは偶然だと思うが、元の魔力の性質が色濃く出てしまったのだろう。それで余計にこの水に触れてしまうやつが増えたんだろう」


「元になった存在が?」


「ルプス、答えなら誰もが知っているよ。考えてみなさい」


水を汚染し、かつ本人の魔力の性質を与えてしまうような危険な存在。


それが何なのか、すぐに閃いた。


「・・・魔王」


「正解だ。一つの水脈を汚染し、野生動物を魔獣に変えてしまう。魔王ガリオロの魔力で間違いないだろう。農作物の不作が魔王の力によるものだと言っていたから、もしかしたらと思っていたが・・・」


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