第三十三話

 器。

 それは何かを入れる、あるいは盛るもの。

 カイルは体内に入り込む闇に、抗うだけで必死だった。

 少し気を抜けば闇に全て持っていかれる。


「案外、気力あんねんな~。流石やわ」


 あと、もう少し。

 カイルは遠のいていく意識の中、願う。

 今まで願ったことのない願い―――誰か、助けてと。

 そう思ったのは本当に自分か。

 それとも自身に纏わりつく闇なのか。


「そこまでだよ」


 冷え冷えとした声が闇の中に響いた。

 意識が遠のいていきそうな中、カイルにも聞き覚えのある声。

 低すぎず、高すぎない―――紫月の声。


「やっぱ張ってたんや。普段、仕事せぇへんのに」

「まぁね。流石に一歩遅かったけれど、カレを連れて行かせるわけにもいかない」


 お前ら、知り合いなのかという問いは、遠のいていく意識と吐き気の狭間に消える。

 何も出来ない。

 指一つ、動かすことが出来ない状態に限界を感じたカイルはついに意識を手放した。


「いいのかい? こんなことをして」

「そりゃ姐御は怖いで? こんなことして釘バット一発じゃ足りへんやろうなぁ」


 俺本気で死ぬかも、と軽口を叩いている。


「分かっているじゃないか。釘バットどころか、釘バットに全裸逆さづり、全裸で正座をさせられてキミの恥ずかしいあんなことやこんなことを晒され―――」

「ってあんなことやこんなこと暴露するんは紫月はんやん!」

「おや、バレちゃった」


 先程までの緊張感もない空間に、溜息をついたのは零の方だった。


「ま、とりあえず器は確保したし、今度は本気で器の躰貰いに来るわ」


 今ここで紫月と戦った所で勝てるはずがない。

 零は知っている。

 穏やかなようで激しい紫月の気性を。


「残念だね。久しぶりに暴れられると思ったのだけれども」

「冗談やないで。本気も本気の紫月はんと対等に戦える奴なんて今の時代、姐御か煉はん以外におらへんわ。まだ心身共に俺は俺の為に健康でいたいんや。とりあえず、退散させてもらうで」


 今度はカイルの躰ごと頂く、と再度通告をして零は姿を消した。

 捕らえなければならないだろうがあえて紫月は追いかけなかった。


「やれやれ。本当にキミはつくづく、厄介事に巻き込まれる星の下に生まれてきたようだね」


 魔術のことはよく分からないが、カイルが危険な状態に陥っていることは理解できる。

 紫月はカイルをそっと抱き起こし、舌なめずりをした。


「今の状態ならば、“鬼”と変わらない。というか、近いかな。つい、味見してみたくなってしまうね」


 だが喰らえば最後、紫月自身どうなってしまうか紫月自身も分からない。

 とりあえず晴明の邸に運び込むのが一番良いだろうと判断し、すぐ近くに控えていた煉に紫月はカイルを託した。


「お嬢」

「何だい?」

「奴は、“鬼”か? それに……コレは」


 零のことを指しているらしい煉の言葉に、紫月はしばし間を空ける。

 違うといえば違う。

 彼―――霧野 零自身に“鬼”はいない。


「んー。カイルの今の状態は近いけど“鬼”ではないね。とりあえず、コレが何なのかはボクも分からない。カイルを晴明の邸に運び込もう。どうやら、ボク達レイキ会とは別の組織も動いているらしい」


 紫月の言葉に煉も静かに頷く。

 晴明が言うには東と西の魔術に何の違いがあるのかと問われれば、根源はほとんど変わらないらしい。


「事情をカイルから聞くことができればいいんだけれど……」


 カイルの様子を伺うが、難しいだろう。


「煉。とにかく早く、晴明の所に。これからのことを話し合わないとね……」


 彼が闇の何かに器にされる予定なのだろう。

 闇の呪いはその為の布石。

 すぐにカイルの躰を奪いに来なかったのも何かのタイミングがあるのかもしれない。

 紫月は頭の中で情報を整理する。

 これはきっとヤトにも事情を聞かなければ、今起こっていることの全体図が見えてこない。

 ただ分かっているのは


「きっと、日ノ国と、カイル達の魔術協会で似たようなことが起こっているのだろうね」

「一体、霧野は何をやらかすつもりだ?」

「さて。やらかすのはカレじゃないかも。カレは多分、駒。もっと大きなバックがついていると思うよ。それも魔術協会とは敵対関係にある組織の可能性が高い」


 あくまで予想であるが、と紫月は煉に言う。

 長い石段を登り切ると、すでに事を察知していたらしい晴明がいつもとは違い、難しい表情で煉と紫月を出迎えた。


「紫月さん」

「一歩遅かったよ。霧野 零に何やら術をかけられてしまった所でね。幸い、今はまだこちらの手元で匿える」

「彼が……ということは、彼は西洋の魔術師だったということですか?」


 多分、と紫月もまた珍しく真面目な表情で頷いた。

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