第三話

「待てや! このクソ狐がぁぁぁぁぁあああああ!!」


 鬼ごっこをしていると思って遊んでいる神と祭。

 一方で、重要書類を次々と滅茶苦茶にされて怒り嘆き、神の狐毛を刈り取らんと追いかけ回すカイル。

 騒がしい庭を見る度に溜息を吐き、大河は無関係とばかりに現実逃避のために茶を一口。

 ほっ、と息を吐く。

 余計なことをする神も神だが、それに対して過剰反応をするカイルもカイルだ。

 神が怪我をしようが、カイルが怪我をしようがそこまで心配はしていない。

ただ祭だけは怪我をしないようにと願う。

 これが日常。

 それを思うと、先日のハデスとの闘いが嘘のようである。

 空は蒼くまさに穏やかな天気。

 甘味の最後の一口を口に入れて丁寧に咀嚼して飲み込むと、茶を飲み干す。


「……うむ、美味い」


 茶がなくなった、と思うと同時に母屋の台所へ続く廊下の先からある人物が急須を持って現れた。

 黒いローブを纏った青白い顔をして、みるからに不健康であると分かるような青年。


「大河様。お茶のおかわりはいかがですか?」


 隈の浮いた青白い顔で微笑む姿はある種のホラーとも言えるが、すでに見慣れている。

 彼こそが長年、祭に憑依していた死神のハデスだ。

 今やカイルに忠誠を誓う死神。

 分かりやすく単純に言えば、カイルの下僕である。

 とはいえ、カイルの意思で下僕にしたのではなく安倍晴明に術を掛けられた結果、下僕としてカイルの傍仕えをすることとなった訳だが。

 最初は自分じゃないと言っていたカイルだったがハデスがあまりにも献身的にカイルに尽くすため、大河はてっきり下僕を得たとばかりにカイルは調子づくと思っていたが違った。

 カイルはハデスのしたいようにさせている。

 正直な所、儀園神社のオカン―――決してオカンとは呼ばれたくない―――大河は、カイルよりもハデスの方が使えると思っている。

 すでにハデスもまた儀園神社の住人と化して自ら進んで神社の雑用をこなしてくれている。

 カイルは意外と丁寧な仕事をするにも関わらず、文句たらたら言っては神とかち合って雑用、家事を中途半端な所で放っていくため大河としてはマイナスの評価をつけている。

 その点、ハデスは死神としてかつて淡々と死者の魂を刈り取りあの世へ誘っていたためか、丁寧かつ淡々と最後まで仕事をしてくれる。

 正直な所、かなり使える。

 先日まで長らく祭の体に憑依して乗っ取り、最大の敵であったことも夢のようだ。

 カイルといい、ハデスといい、最初からこの儀園神社に住んでいたかのように大河達の日常となって溶けこんでいる。

 それでいいのだろう。

 悠久の時を生きる神。

 有限の長い時を生きる”人ならざるモノ”。

 対して有限の短い時を生きる”人”が存在するのはほんの一瞬であり、一時の通過点に過ぎない。

 いずれカイルは年を取り、この世をさり……残るのはハデスのみとなるだろう。


「大河様? いかがされました?」

「いや。何でもない。おかわりを貰おう」


 不思議だ。

 ハデスは死神であり、大河とは光と闇の関係だというのに大河自身、嫌な感じはしない。

 空になった大河の湯飲みにハデスは茶を注ぐ。

 注ぎ終わると急須を傍らに置いて、庭に目を向けた。

 庭では楽しそうな表情で逃げ回る神と祭。

 一方でカイルが必死な形相で二人を追いかけ回している。

 平和なその日常に、ハデスは表情を緩めた。


「カイル様は今日もお元気でいらっしゃいますね」

「あぁ。いつも通り、騒がしい」


 祭はともかく、神が悪戯を仕掛ける時点で、この儀園神社に静けさなどありえないのだが、と大河は苦笑しながらハデスに淹れてもらった茶をすする。

 もしカイルがこの神社に来なければ、悪戯の中心点は相変わらず大河自身であり、その度に神に苦言を呈する羽目になっていただろう。

 神に悪戯をされて。

 祭に振り回されて。

 “人”などとるに足りない存在だと認めることもせずに神という名に胡坐をかいている出来損ないの龍神に成り下がったかもしれない。

 隣にいるのは生けとし生きるもの全ての死を統括する死神。

 そんな自分とは相いれない相手が傍らにいるというのも何だか奇妙な話だ。

 だからこそ、知らない世界を知ることができる。

 だからこそ、知らない思いを知ることができる。

 どんな立場、視点であれ、知らないより知っている方が何よりも良いと思うことが出来たのは、やはりカイルのお陰だと言っても良いだろう。

 大河はそう思っている。


「本当にここは良い所です」


 ハデスも自身のしてきたことを覚えている。

 だがカイルのお陰で憑き物が落ちたかのように何千年かぶりに清々しい思いを感じた。

 だから今、ここにいたいと思った。

 カイルは“人”だ。

 自分達神々や“人ならざるモノ”にとってはほんの一瞬の時間しか生きない。

 しかしその一瞬の時間さえ、愛おしいものもあるということにカイルのお陰で気付くことが出来た。


「あのままでいれば、わたくしめは何も知らず、死神としての役目も完全に放棄していたでしょう。ですが生まれ変わることが出来ました。祭様はもちろん、それ以上にカイル様のお陰です」

「そうか。……そうかもしれんな。俺も、死神とこうやって茶を飲むことも話をすることもなかっただろうな」


 だが、と大河は言葉を続けた。

 ハデスは本当にそれで良いのかと。

冥界に帰ることも可能だったはず。

 カイルの下僕となってなお、この場にいても良いのかと大河はハデスに問う。

 ハデスは青い空を見上げて息を吐いた。


「わたくしめは―――構いません」


 これで良いのだ、とハデスは言葉を続ける。

 今回のことで新たな決意を固めたのだから、と。

 その決意とは―――

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