第78話
漆黒の闇である。
重たく、冷たい。
以前にも同じような場所に来たことがある。
上も下も分からないが首を捻っていると、目の前に二つの扉が浮かび上がってきた。
これも、前にも見た。
白と黒の扉。
開けてはいけないと本能が告げている。
「開け」
背後から、声をかけられて距離を置いてカイルは振り返る。
そこに立っていたのはハデスである。
「……あの先には何があんだよ」
何故、自分でなければ開かないのか。
カイルはハデスと対峙し問いかける。
こうなった以上、理由くらいは聞いておいてやるかとカイルは思ったのである。
知る権利はあるだろう、と。
「知る必要はない。何もな。貴様はただあの扉を開けばいいだけだ」
白と黒。
一体どちらを開ければいい。
その指定すらないが、カイルは彼のために扉を開く気はさらさらなかった。
何のためにここにいるのかはっきりとしているから。
「あのな。このオレがテメーの言うことを聞いて大人しくはい、そうですかと扉を開くわけねェだろ。テメーには借りがたっぷりとあるんだからな」
今ここで決着をつける。
杖がなくともどうにでもなるだろう。
そのために特訓だってしたのだ。今まで散々、死にかけてきたが。
「馬鹿なことを。貴様ごときが我に敵うはずもないというのに。精神体が脆いというのが“人”であるはず。“人”とは愚かなものだな。神に踊らされることも、死に抗おうとすることも滑稽だ」
構わずカイルは魔術で光を集めて放つ。
だが闇が深い分、その威力は低い。
「クソっ」
「ここは我の空間ぞ。死の中に光があるとでも思っているのか」
骸骨の手が伸びて、いとも簡単にカイルの首を掴みそのまま地面とも言えない場所へと叩きつけた。
「がっ……!」
「最後の仕事をしてもらうには、威勢が良すぎる。扉を開くなど、貴様の体が必要なだけだ。乗っ取るにしても少々従順になってもらうよう痛めつける必要があるか」
徐々に締まっていく首。
呼吸が出来なくて、カイルはひたすらもがいた。
ここまで来て何も出来ずにハデスの言う通りになるしかないのか。
大河と祭に後は自分がやると言っておいて。
「っ……」
「どうした? もう抵抗は終わりか? それともこのまま死ぬ方が良いか? 我の力ならば苦しまずに逝けるぞ。何、扉を開くだけだ。猿でも出来る仕事を何故、拒む」
せめて、杖があればもう少し自分の力を高めることができるのに。
結局自分は杖がなければ何も出来ないのか。
霞む目がハデスの瞳の奥を捕らえた。
骸骨の顔の、深い闇。
その瞬間、頭の中に知らない映像が流れだした。
今と変わらぬ骸骨のハデスと、美しい女性の姿。
扉の向こうへと姿を消していく彼女。
彼女のその背中に向かって手を伸ばすも届かず絶望へと堕ちていくハデスの姿がとりわけ目についた。
何も言わず、振り返ることもなく彼女は扉の向こうへと。
あの中に映る扉は今自分達の前にある扉そのものである。
ただ彼女を取り戻したい。
その一心だけで長い間、自分の弟も含めて大勢の人が死んだのかと思うと、カイルは怒りを通り越して自分の首を絞めるハデスが哀れに思えてきた。
不意に、手の平に暖かさと光を感じた。
「っ、これは……!」
輝きが増すに連れてハデスはカイルから手を離して後ろへと飛び退った。
「っ、げほっごほっ……一体、」
痛みにむせながらカイルが手を見ると、握られていたのはまさしく大河がいつも持っていた刀である。
「は……ははっ……。バカだろ、あいつ……」
穢れが体に纏わりつくだろうにそれも厭わずこんな時に力を与えてくれるとは。
カイルはそう口にしながら、しっかりと刀を握り締めて立ち上がる。
自分の中に光が満ち溢れるイメージを構築し、刀に纏わせた。
「この、光は……くっ、体が……焼けるっ」
眩い光がカイルから溢れ、漆黒の世界が眩い白へと塗り替えられていく。
「や、めろ……! 矮小な“人”ごときが……! 扉に近い貴様は我の言う通りにすればいいというのに!」
もう一度……ただもう一度だけ、かつての想い人である彼女を見たかった。
触れて、言葉を交わしたかった。
それだけだった。
それがいつの間にか、天界に向かって愛する者を奪った怒りと憎しみにすり替わっていった。
死に往く者の魂を肉体から切り離し、運んでいくだけが死神の、朽ちることのない自分に与えられた永遠の仕事のはずだった。切ない想いを知るまでは。
「我は―――……」
「闇へ還れ!」
大きく刀を振りかぶり、カイルはハデスを一刀両断にした。
確かな感覚はないが何かを切り裂いたという曖昧な感覚だけが伝わる。
黒から白へ反転した世界。
「終わった、のか……?」
力を出し切りもう立っている力はなく、カイルはそのまま倒れ込む。
大河の刀だけが脈を打っているかのように暖かい。
「終わったんだな……終わったん、だよな……?」
答える者は誰もいないが、色々とあったがやり切った。
まさかこんな形で決着をつけるとは少しも思っていなかったけれども、とにかく自分はやり切ったのだ。
知らない土地に来て、知らない人外に囲まれて、カイルからすると非日常に触れて。
いつの間にかそれが日常になっていて。
このまま目を閉じれば、元の場所へと戻れるだろうか。
祭も子狐の姿で神社に戻るのは困難だろう。
自分だってこんなにも疲れ切っている。
きっと、文句を言いながら運ぶのは自分達なんかより多少力が残っているであろう大河の役目になりそうだ。
晴明も目を覚ましただろうか。
段々と薄れていく意識の中で、誰かが近付き跪いたのを感じたが今はただ、疲れたから眠りたい。
****
「貴様……目を覚ましたのか」
「えぇ。ありがとうございます。大河。いや、カイルのお陰ですかね?」
意識の戻らないカイルの傍らで大河が手を握ってやっていると、襖が開いた。
そこに立っていたのは晴明だった。
「今回は参りました。天才の私もハデスにやられてしまうなんて。ですが、これで思う存分、大河に触れあうことが」
「触れるな。チッ。やはり貴様の息の根は止まってくれていた方が良かった」
手を出そうとした晴明の手を冷たく叩き落とし、大河は再びカイルに視線を落とす。
「おや。これは……」
「どうした」
「いいえ。カイルの意識が戻ってくるお手伝い、させてください。それくらいはいいでしょう?」
「……いいだろう」
晴明は小さく呪を唱えると、カイルの胸に指を当てて祓うかのように軽く滑らせた。
「さ、これでカイルもその内、目が覚めるでしょう」
「だといいがな」
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