第73話

「あり得ねェ……」


 げっそりとした表情でカイルは布団に倒れ込む。

 結局、神の手によって万能薬というらしい薬を無理矢理流し込まれた。

 成す術もなく薬は胃の中へ……吐き出すことも許されず口の中にはまだ苦味が残っている。


「クソ。こういう時に大河も飲みゃいいのによ。何で被害者がオレだけなんだ」


 運命共同体じゃねェのか……と思わないでもないが、彼はまだ目を覚ましそうにない。

 酷い穢れが体を蝕んでいるからだろう。

 聞けば大河の刀は両親が修復するから大丈夫とのことなので残る問題は、彼自身。

 そして自分の怪我と、どうすればハデスの元に辿り着いて祭を助け出し、ハデスを倒すことができるのか。

 あんなにも強いなんて。

 先日の無力だった自分。

 カイルはまた、自分は無力だったらどうしようという思いがよぎって不安になり、首を振ってその思いをなんとか追い出す。


「カイル、起きているかい?」


 部屋に入ってきたのはヤトである。

 カイルにとってもう一人、顔をボコボコに殴りたい人物だ。


「何だよ」

「嫌だなぁ。そんなぶすくれた可愛くない顔しないでよ。つねってもっと酷い顔にしたくなるから」

「余計に怪我増やす気かよ! クソ師匠だけにやることもクソ野郎だなオイ!」


 伸ばされた手を払いのけてカイルは猫よろしく威嚇をする。


「で、何だよ」

「実は彼のことなんだけどね」


 ヤトが目を向けたのは、大河である。


「神気を回復するにはやっぱり神水が必要でね。ただ残念ながらその神水もこの周辺の水に若干の穢れがあるし、持ってくると穢れて使えなくて」

「こいつの親父達の力は借りられねェの? 一応っつーか水の眷属のお偉いさんだろ?」


 ある程度、祓ったがそれでも足りないというのだ。

 このままではただ時間が過ぎていくだけ。


「せめて聖水があれば、もう少し足しになってどうにかなる可能性があるんだけどね」


 魔術師協会に申請を出したらあっさりと却下されたとのことだ。

 あの頭の固い干物共め、とヤトは口を尖らせながら言う。

 聖水……。

 カイルは何も言わず、壊れた部屋から助け出したトランクを開けて中身をひっくり返し、その奥底に大切にしまい込んでいたビンを数本、取り出した。

 見覚えのあるそのビンに、さすがのヤトも固まった。


「……カイル? 一番純度の高いやつじゃない! しかも五本も……」

「出発前に持ち出しといてよかったぜ。これくらい必要だと思ってよ、ジジィやババァに見つからずに持ち出すのは大変だったぜ」

「おバカ。ま、使えるからいいけど。後で大量の始末書顛末書送り付けられても知らないよ? 私には関係ありません!」

「そこは師匠なんだから片棒担げよ!」

「嫌ですー。弟子のやらかした事とはいえ、私は泥に入る気もましてや泥船に乗る気もないからね」


 さて、とヤトは話を元に戻す。

 いくら純度の高い聖水を使うからと言って大河が絶対に回復するという保証はない。

 直接この高い純度の聖水を飲ませればまた別の話であるが。


「どういうことだよ」

「カイルは光の魔術師だからね。力を込めて飲ませてあげれば、目が覚める確率はもう少しあがるんじゃないかな」


 なるほど、とカイルはその聖水を大河に飲ませようと腰を浮かせるが、待てよ、と動きを止めた。

 眼下の青年は眠っている。

 とてもではないが、自力で飲めるとも思えなければ飲ませようにもビンを口に近付けてももったいないことに零れる方が明らかに多いだろう。


「どーやって飲ませればいいんだ? コイツ今眠って……まさか」


 口許を引くつかせながらカイルはヤトを振り返った。


「あ、気が付いちゃった? 気付かずにやらかしてくれたら面白かったのに」

「オイオイ。まさか冗談……じゃないよな? マジでいらっしゃいますね、クソ師匠?」

「本気と書いてマジと読むよ。これはカイルにしかできないからね~。ちゃんと力と心を込めて、お友達を助けてあげなさい? おっと、それじゃあ私はこの聖水を持って神さんと話をしてくるよ。どうにかなりそうだって」


 部屋を出ようとしてヤトは言い忘れていたと一度立ち止まり、振り返って口を開いた。


「襲っちゃダメだよ?」

「襲うか! 何の心配してんだよ! つーか少しは弟子の心配しろクソ師匠」


 早く出ていけ、とカイルは枕を投げつけて師匠を追い払った。

 神といいヤトといい、似た者同士だ。

 イライラとする心を溜息で逃がしてカイルは手元の聖水を見て大河を見た。

 何だかんだと言って祭も、大河も、同年代の友人のような関係だとカイルは思った。

 生きている年月も種族もまったく違うけれど。


「仕方ねェな。キスじゃねーからな。アレだ。人工呼吸みてーなもんだからな」


 思いを込めて、カイルは自分の力を聖水に注ぎ、そっと大河に口移しをする。

 どうやら飲み込むことはできるらしい。

 その水を待っていたかのように、大河は嚥下をする。

 聖水がなくなるまで数回、それを繰り返す。

 いくらなんでもすぐには目が覚めないだろうが、水を飲むことができるのを確認してカイルはほっとした。

 後は大河次第。

 彼の目が覚めるかどうかだ。


「―――……。まったく、そんなもの持っているのなら、さっさと使ってくれればいいものを」


 部屋を後にしようとしていたカイルの背中に大河の声が投げかけられた。


「っ、テメー」

「言っておくが、狸寝入りなどしていないぞ。貴様のおかげでやっと目を覚ますことができた程度だ」


 まだまだ目が覚めないと思っていたが、速攻だった。

 とはいえ顔色が一気によくなった訳ではないが、減らず口が言える程度には元気になることができたらしい。


「大河。悪かったな。オレのせいで」

「馬鹿か貴様は」


 ハデスのことについて謝ろうと思って口に出したが、それを遮ったのは大河の声。


「“人”である貴様一人が抱え込んで何になる。貴様一人の責任でもないことだ」

「それはそうだけどよ」

「大怪我をしたのは俺が弱かったからだ。もっと早く祭にハデスとやらが憑依していることも気付こうと思えば貴様がこの国に来る前に気付けたはず。考えてみれば、俺自身に穢れがついていたのも悪い気が少しずつ俺の体を蝕んでいたんだろう。だがすでに起こってしまった後だ。それに対して貴様が謝る必要は微塵もない」


 これからどうするかだ。


「大河……」

「喉が渇いた。ついでに腹が減った。買い物したものが無事ならパパ上あたりが壊れていなければ台所や冷蔵庫に片付けてくれているはずだ」

「って結局、何だかんだ言いながらこき使うのかよ! オレだって怪我人だぞ」

「俺が眠っている間に回復してきているのだろう。俺はまだ立ち上がることすらできんのだ。何でもいいが、要望としては甘いものが食いたい」


 未だ破損した箇所の修理ができていないこの神社のどこに、そんな甘いもののストックがあるというのか。

 これは買いに走れとそういうことなのか。


「甘いもんなんかあるわけねェだろ。いいところココアが無事かどうかだろ。つーか寝起きでそんなもん要望すんな」

「ではココアで」


 人の話を聞け、とカイルは思ったが言い返すのも気力が必要だ。

 ひとまず目が覚めてよかった。

 そう思うことにする。


「仕方ねェな」


 重い腰を上げ、痛みを堪えてカイルは仕方なく、台所へ向かったのであった。

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