第72話

 目が覚めた。

 まだ体中が痛い。

 けれども少しはマシになったようだ。

 ゆっくりと起き上がる。


「いてて……師匠の拷問された後の怪我とどっこいどっこいくらい痛ェ」


 ……酒の匂いがする。

 恐る恐るカイルは枕元を振り返った。

 悲惨な状況が目の前に広がっている。

 転がっている何本もの一升瓶、食い散らかされたつまみ、そして布団もかけずに畳の上で大の字で寝ている神とヤトの姿が見える。

 何がどうなってこんな状態になっているのか、さっぱりといって分からない。

 こっちは痛い目に遭って寝ていて、祭のことだってどうなっているのかも分からない、神に至っては責めてきたというのに。

 カイルは溜息をついて痛む体でゆっくりと起き上がった。

 まだ痛いが十分、動ける。


「起きろ。クソ師匠にクソ狐」


 寝転がる二人の横腹に、カイルは普段の恨みを込めて思い切り蹴りを入れた。


「うぐっ、まだ寝かせてよー……」

「おぐっ。痛いなぁ……蹴らないでよ、綺羅々ちゃぁん……」

「誰が綺羅々だ! 寝ぼけてんじゃねェよ! つーか何やってんだよテメーら! 普通、怪我人の枕元で宴会するか!? 何だよこの汚ェ有様は! こちとら怪我して痛いって時によ!」


 それでも起きないヤトの胸倉を掴んでカイルは揺さぶる。

 後の報復がやはり怖かったりするが今はそれどころではない。


「オイコラ! 聞いてんのかクソ師匠!」

「あー……ちょっと待ってカイル。そんなに揺さぶったら……吐く……う、」

「ちょっ師匠―――!!」


****


 しばらくして、疲れ果てたカイルは再び布団に倒れ込む。


「あっはー。おっはよう! カイル」


 吐いたことによっていつもの調子を取り戻したヤトは元気にいつもの表情でカイルに挨拶をした。

 一方のカイルは疲れ果てている。


「おっはよう! じゃねェよ。こんな時に何を呑気に酒飲んで酔いつぶれてんだ。んで、何でオレが酔っ払いの介抱しなきゃなんねェんだ。こちとら怪我人だっつの」


 先程のヤトのせいでせっかく回復しつつあった気力、体力がギリギリだ。

 何故寝起きで二人が飲み食い散らかした部屋の後始末を自分がしなければならない。


「酷いなぁカイルくんは。大河クンも起きないし、何があるか分からないから見守ってあげてたんじゃないか」

「普通、酒煽りながら酔いつぶれて朝まで起きねェような奴が見守りとか言って見守ってねェヤロー共はいねェよ」


 そう言いながら自分の横でまだ眠る大河を見た。

 顔色がまだ悪い。

 刀を折られた分の負担が大きいからだろうか。


「んで。クソ師匠。ハデスは何のために祭に憑いて、昔オレとシエルが襲われたんだ」

「さぁ。私もよく分からないんだよね」

「扉を開くとか何とか言ってやがった気がするんだけどよ」


 扉を開く、とは一体何の扉だろう。

 そこにカイルとシエルとどんな関係があるのか。

 ハデスはどこへ行こうとしているのか。

 そのために何故、祭だったのか。


「本当、うちの可愛い祭ちゅわんを巻き込むなんて、ハデスって迷惑なんだけど」

「テメーの悪戯も十分、迷惑だからな。……扉、なぁ。そういや……」


 ふとカイルは思い出す。

 シエルが死ぬ前の夢だ。

 暗い闇の中、現れた扉。

 扉を開けろとハデスに言われ、シエルに助けられた。

 あの扉のことかもしれない。

 カイルは以前見た夢の話をした。


「なるほどね」


 カイルの見た夢の話も聞いてヤトも考える。

 扉というものは人間誰しもたくさん持っているものだ。

 出会いが、経験が、学びが、それぞれの扉を開いて人は成長し自分自身を作り上げている。


「これはますます、ハデスに理由を聞かないとね」

「でもそれには大河クンの力だって必要だよね? ま、刀があんなことになっちゃってるから、どうなるか分からないけど。人間じゃない私達は確かに人間よりも長生きだよ。でもね、ほんの少しのことで存在が突然消えてしまうことだってある」


 神はいつになく真剣に言った。


「力がない神様だって例外じゃないよ。大河クンは、このままだともしかしたら消えてしまうかもしれない。人間が体を動かすのにエネルギーが必要なように、大河クンには神気が必要なんだ」

「それがハデスのせいで神気を奪われた上、体の一部である刀も折られてんだもんな」


 もし、ハデスがいなければ。

 もし、ハデスが祭に憑依しなければ。

 もし、自分がこの国に来なければ。

 カイルは俯き唇を嚙みしめる。


「寝てる暇も傷治してる暇もねェ。とっととハデスのヤローを倒してやる」

「まぁ待ちなよカイル。本当にそんな怪我で行ったって」

「そうだよ。カイルくん」


 ヤトと同じく待ったをかけたのは神だ。

 先日までは祭が絡んでいるせいで色々と言ってきたというのに、何を今度は落ち着いているのか、カイルは理解が出来なくて不審に思う。


「あっカイルくんパパのこと不審に思ってるでしょ!」

「だってなぁ……」

「パパの祭ちゅわんは強い子なんだからね! ハデスごときにいいようにされてる子じゃないもんね! 流雨ちゃんがいつも考えてるような展開になんてならないから! というかそんなのパパが許しません!」

「いや、何も言ってねェけど」


 あれだけ人を責めていたというのに、急にどうしたのだろうか。


「あまりにもからかうのが楽しくって、ついカイルくんがちょこっと魔術が操れるだけの“人”だってことすっかりパパ忘れちゃってたからね」

「いちいち言い方がクソ腹立つんだけどよ。なぁ、師匠。あのクソ狐、殴っていいか?」


 まぁまぁ、とヤトはなだめる。


「本当のことだしね」

「肯定すんなよ!」

「でも、今回のことはカイルくんに預けるよ。なるべく早く怪我、治してね!」


 はい、と神は蓋をした湯呑をカイルの目の前に置いた。

 置かれた湯呑を見、カイルはそろりと神を見た。


「この国に伝わる、秘伝の万能薬だよ。これ飲んで、早く怪我治して、大河クンと祭ちゃんを助けに行って欲しい。カイルくん、頼んだよ」

「クソ狐……」


 そこまで言われてしまえば、カイルもそっとその湯呑を手にする。

 蓋を開けると緑色の液体が姿を現して反射的に蓋を閉めた。


「さぁ、ほら、早く飲まないと」

「いやいやいやいや! 何なんだよこの緑色のグロい液体!!」


 人間の飲み物じゃねェ! とカイルは叫んで後ずさり、飲むのを拒否した。

 これは飲めない。

 どんな味がするのかも想像がつかない。


「さてはテメェやっぱり楽しんでやがるな!」

「今回は本当にパパの心からの善意だよっ。ほらほら、パパが早くカイルくんの怪我が治りますようにって心を込めて作ったんだから」


 カイルは助けを求めてヤトに視線を送ったが、彼は笑顔で頑張れと親指を立てる。

 立てられた指を折って、あの顔をボコボコに殴りたい……そんな衝動に駆られた。


「ほぉら。カイルくぅん?」


 そして―――……。

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