第70話

 神社に戻ると、一部の建物は半壊していた。

 何が起こったのか。

 心底、結界の内側に建てていてよかったと神は思う。

 これが結界の外側であれば面倒なことになるし、人的被害も出ただろう。

 神社の神である龍神―――つまり大河を祀り結界の内側にいて悪さをしないという条件で陰陽師から棲む場所を借りているのだ。

 結界の内側で何が起ころうとも外側の人間には被害がないように。

 そうして張られているのが今もなおあり続ける結界だ。


「あの後一体何が……祭ちゅわんは!? 大河クンは!? カイルくんは!?」

「おやおや。これは修復が大変だね。本当に結界の内側に建てて良かったよ」

「今は修復なんてどうでもいいよ! 本当紫月ちゃんマイペースだし何かの心配も、誰かの心配もしないね!」

「何かの心配も、誰かの心配もしないこともないけれどなぁ。ただカレらに関しては心配する必要なんてないさ。それがボクなりのカレらに対する信頼だよ。こんな所で簡単に消えるお子様神様でもなければ、簡単に負けるようなお子様狐でもないし、簡単に死ぬようなお子様人間でもないのだから」


 と、紫月は辺りを見回す。

 間取り的に壊れているのは母屋のそれぞれの部屋の辺りだろう。

 紫月の後ろでまだ言い足りなさそうに神は顔を歪ませる。

 彼女に何を言っても暖簾に腕押し。

 そう思い直してまず、酷く壊れている方へと外から向かった。


「んー。誰もいないのかな?」

「そんなことないと思うよ。気配がするし……」


 幸いにも結界は自動修復で表に被害はないらしい。

 だがもしかしたら地震のように少しばかり表は揺れた可能性はあるだろう。


「あ、おかえり。神さん。紫月ちゃんも久々だね」

「おや。ヤトさんじゃないか」

「魔術師って神出鬼没だよね、というかそれよりここ何があったの!? 祭ちゅわんは!? それに大河クンにカイルくんの姿も見当たらないんだけど」


 神は矢継ぎ早にヤトに問う。

 そんな神を宥めながらヤトは口を開いた。


「ハデスが憑いていたのは祭くんだったみたいでね。祭くんは行方不明。大河くんとカイルはハデスに憑依された祭くんによって精神的にも肉体的にも重症を負って眠ってるよ。特に大河くん」


 龍神―――大河自身の鱗から鍛えられた刀が粉々に砕かれていたことを告げる。


「なるほどね。いやはや、本当に相手は強敵だよね」

「被害がどれくらいか今ちょうど見ていた所でね。あ、二人はこっちに寝かしているんだ」


 ヤトは壊れていない部屋を使わせてもらったと言っていつも食事をしていた部屋に向かった。

 布団もどこからか引っ張りだしたらしい。

 それについては家主である神も何も言わない。


「……祭ちゃんが? 本当に二人を?」

「祭くんの意識はないだろうね。それより、大河くんの穢れを早く祓ってあげたいんだけど魔術協会に聖水の使用許可を取らないといけないし、ていうか突っぱねられたし。突っぱねる意味分からないし。近くから神水を持ってくれば穢れちゃうし。あぁもう。本当どうしていいか分からない」


 紫月はじっとカイルの顔を覗き込む。


「……紫月ちゃん、何してるの?」

「真面目な話ってボク苦手なんだよね。ほら、起こっちゃったことは仕方がないじゃないか。二人が死ななかっただけ状況はいい方だよ。まだ持ち直す可能性の方が高いし、重畳さ」


 本当にマイペースな彼女に、ヤトと神は溜息をついた。

 それにしてもと神は思う。

 何で、二人は祭を止められなかったのだろうと。

 大河もカイルもそれなりに力を持っているだろうに。


「ぅ……」

「あ、目が覚めそうだよ。ヤトさん」


 うめき声を上げて目を覚ましたのはカイルである。


「起きたかい? カイル」

「し、しょう……? クソ狐達も……オレは、そうだ! 祭は!?」


 がばっと布団から起き上がるが、酷い痛みですぐに布団の上に倒れこんだ。

 自分が何故、眠っていたのかさえ朧気になりそうだったがすぐに思い出した。

 ハデスに体を乗っ取られた祭と対峙して負けた。

 自分が倒すべき相手なのに勝てなかった上に逃げられ、大河もズタボロの状態。

 一体この国に何をしに来たのか。

 そう思うとカイルは悔しくて仕方がなかった。


「ほらほら、無理しない。考えることは一杯あるけど、とにかく休む!」

「……師匠が優しいとか、オレ死ぬかもしんねー」

「ふぅん? じゃあ今からでも地獄の修行にご案内しようかな? うん、減らず口を叩ける力があるのならちょっとやそっとの修行でも倒れないよね」

「すんません口が滑りました。すんげェ全身が痛いんで修行は勘弁してください」

「あははっ。ヤトさん容赦ないよね~。で? さっきから黙っている神さんは、何か言いたいことでもあるのかな?」


 眉根を寄せて珍しく黙り込んでいる神に、紫月は目を向けた。


「……クソ狐」

「っ、本当何してたんだい! パパの可愛い可愛い祭ちゃんが攫われるなんてさ! 大河クンだって大怪我しちゃうし!」

「っ。んだとコラ! んなこと言ったって仕方がねェだろ!」


 神の言葉に痛みも忘れてカイルは怒鳴り返す。

 言われたくなかった。

 守れなかったことを今さら。


「オレが弱いことなんざテメーに言われなくても分かってんだよ!」

「カイル」


 立ち上がろうとするカイルの体をヤトが止めようとするが、カイルはその手を振り払う。


「こうならないために修行だってしてきたんでしょ!? 負けて祭ちゃんが攫われて大河クンが大怪我したのを、自分が弱かったからごめんなさい、で済ませられる問題じゃない!」

「だったらどーしたら良かったって言うんだよ! テメーだって自分の息子のことのクセに長い間知らなかったんだろーが! そんなテメーに言われる筋合いはねェんだよ!」


 今までにもないくらいの険悪な雰囲気で神とカイルは睨みあった。


「カイルくんが弱いから、こうなったんだから! カイルくんが弱いから、弟くんだって死んじゃったんでしょ!」


 そうはっきりと口に出された言葉は、カイルの心に突き刺さった。

 まるで息が止まるかと思った。


「はい、そこまで」


 さらに言い募ろうとした神を止めたのは紫月だった。


「止めないでよ紫月ちゃん!」

「神さん」


 神の声を遮って紫月は神を呼ぶ。

 その表情に神は言いかけた言葉を飲み込んだ。

 いつもの飄々とした表情ではない。

 怖いくらいに真剣な表情で、その視線は神を真っ直ぐに射抜いている。


「っ」

「カイル。キミは休みたまえ。治るケガも治らない」

「ってカイル! どこに行こうとしてるの!?」


 部屋の障子に手をかけたカイルを慌ててヤトは止める。


「んなの、祭取り戻すために決まってんだろーが。こんな胸クソ悪い所でケガ治るまで寝てられるかよ」

「だからって……!」


 ふわりと紫月の右手から黒い蝶が舞い出た。

 ひらひらと舞ったかと思うと、カイルの胸の前で吸い込まれるように消えた。

 その瞬間にカイルは意識を失って倒れこんだ。


「カイル!」

「ヤトさん、安心してよ。傷には安息が必要だ。しばし眠ってもらっただけさ」

「うん……それなら、いいんだけど」


 カイルのことだ。

 紫月が止めなければきっと、あのまま出て行ってハデスを追っただろう。

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