第69話

 時間は少々遡り、一方の神と天は神社から少し離れた森の中を歩いていた。

 何かおかしい。

 もし、レイキ会に行くのであれば一度町に出て歩かなければならない。

 なのに目の前のバカ天狗は何を―――本当は何も考えていないのだろうが―――考えているのか。


「どこまで行くわけ? こっちじゃなかったと思ったけれど?」

「間違いなく合っとる!」


 バカか、と神はツッコミを入れたくなった。

 気配もバカ天狗本人。

 だが何故だろう。

 どこか違うと思うのは、本能が何か危険なことを感じ取っているせいだろうか。

 天の後ろを一歩、一歩と少し距離を置きながら神は歩く。


「本当に、合ってる?」

「あぁ。合っとる! 何せ―――ここがおんしの墓場になるんじゃからな」


 辿り着いたのは大きく開いた場所だった。

 空には暗雲。

 それも、雨が降り始めていた。

 せっかく傘を持ってきたというのに、この雰囲気ではちっとも役に立ちそうにはない。

 振り返った天は、バサリと黒い羽根を広げる。


「まさか、あんな死神に寝返ったとか?」

「寝返ったんじゃあないんじゃなぁ。これが。とりあえず、おんしを葬らにゃならんのでな」


 神ほど、天は生きているわけではない。

 元々人間であったのが、かつて流行った修行の果てに“人ならざるモノ”になった。

 それがおよそ600年ほど前のことであるらしい。


「へぇ。一応は、バカ天狗にも考えがあったってわけ。いいよ。その汚い顔、ボッコボコにして、この間の高級酒の恨み、晴らしてあげるよ」


 傘を差し向けて神は目の前の天を睨みつける。

 先に動いたのは天だった。

 羽根がある分、いつもよりも早い動き。

 だが神とて負けられない。

 天よりも長生きをしている自分が、元人間ごときに倒されるわけにはいかない。

 愛する息子、祭のためにも早く神社に戻らなければ。

 突っ込んでくる彼に和傘を投げ捨てて狐術の印を組む。


「狐術―――鎌鼬!!」

「その程度は目くらましにしかならんぞ。おんしの考えてることはよく分かっとる! あ、いや、分かっておらんかも」

「どっちなんだい。まぁ、どうでもいいけどね。その汚い面といい体といい、ボロ雑巾にしてあげるから」

「ボロ雑巾になるのは、おんしじゃ。オレっちには敵わん」


 何が目的なのか。

 綺羅々の下僕中の下僕でドMともいえる彼がレイキ会を裏切るとは思えない。


「そういえば今頃、神社じゃ目を覚ましてる頃じゃろうな」

「目を? 一体ナニが―――」

「おんしの息子に憑依した、ハデスがのぅ」

「!? 祭ちゃんに……?」


 どういうことだ。

 天は何を言っているのだ。

 祭が、祭にもしもハデスが憑依しているとすれば、何故今まで自分は何も気付かずにいた。

 たった二人きりの血の繋がった親子で……誰よりも近くで一緒に暮らしてきたのに。

 それに一緒に暮らしていた同居人で龍神でもある大河が気付かないわけがない。


「ははっ、動揺作戦ってわけ? その程度じゃ私には効かないよ」

「本当のことじゃ。オレっちはよぉーく知っとる。おんしの息子は、何を考えていたかは知らんが大した演技力じゃ」


 だからといって天がハデス側に付くメリットがどこにも見当たらない。

 もしも祭に、本当にハデスが憑依しているのだとすれば……自分は、親として信じてもらえてなかったのだろうか。


「ま、祭ちゅわんが……祭ちゅわんがパパに隠し事なんて……」

「諦めろ。反抗期じゃ」

「反抗期……パパのかわいいかわいい祭ちゅわんが……反抗期……」


 あり得ないだろうが、もしそれが本当ならショックだ……と神はその場に膝をついた。

 本当のことかどうかは分からないがあの祭が自分に隠し事をしていたということ自体が本当にショックである。


「悪いが今、おんしに神社に戻ってもらったら困るでの」


 天は腰にいつも提げている八手の団扇を構えて風を起こす。

 狐術よりもその力は上だ。


「っ、悪いけれど私は虐められるより虐める方が好きだからね。こんな所でバカ天狗と戯れてる暇なんてないから。狐術、木の葉舞!」

「目くらましなら効かんぞ。ほい!」


 先程以上に、強い風が神を襲う。

 何とか目くらましをして神社に戻る段取りをつけていたが、すぐに決着をつけられそうにない。

 気ばかりが焦る。

 神社には今、祭しかいないはず。

 祭にハデスが憑依などしているはずがない。

 たまたま襲われているだけだ。

 カイルと大河がもう戻っているのなら彼らが守ってくれるだろう。

そうでないのなら父親である自分が、守ってやらなければならない。

 最初で最後のたった一人の息子なのだから。

 神は何とか天の隙をついてこの場を離れられないか、彼の攻撃を避けながら考える。


「終わりじゃ」

「! しまったっ……!」


 考えすぎて背後にまで気を配ることができなかった。

 やられる―――そう思った瞬間だった。

 何かが、天の攻撃を防いだ。


「これは……」

「無事か」


 自分と天の攻撃の間に蜘蛛の糸の盾である。

 同時に、天の体は蜘蛛の糸で縛り上げられた。


「おやおや。神さんともあろう狐が何という体たらくだい?」

「紫月ちゃんまで……」

「ここはボクが引き受けよう。何といっても、カレは天なんかじゃないからね。あ、体は天のものだけど」


 ということは、やはり天にもハデスが憑依しているのか。

 だとすれば祭に憑依しているというのは嘘の話なのだろうか。


「それにしても神さん、チョロイよね~。まんまと天に憑依したハデスの一部に連れ出されちゃうなんて。ま、久々にいい勉強したから良かったね。あの神さんがね~ふふっ」

「……紫月ちゃん」

「なんだい?」

「紫月ちゃんのそーいう所、嫌いなんだけど。どこからどう見ても今、緊迫感のある所だよね!? 人をからかっている暇のない所だよね! 美人なのにどうしてそんなに中身が色々と残念なのさ」


 そういう言葉にも気にした風もなく神の肩を叩きながらカラカラと笑う紫月に、心底嫌そうな顔を返す。

 神の反対側の肩に手を置いたのは煉だ。


「諦めろ。お嬢はこういう性格だ。所でお嬢。どうする」


 煉は縛り上げられたまま大人しくしている天を睨みつける。


「……どうやら逃げられちゃったみたい。とりあえず煉。天はレイキ会にでも放り込んできて。義理姉様に事情を話してきてよ。ボクは神さんと神社に向かうよ」

「そうだ! 祭ちゅわんにハデスが憑いているなんて嘘だぁぁああ!! パパの可愛い可愛い祭ちゅわんが反抗期になったり、パパに長い間隠し事したりなんてしないもんねっ。神社に何かあるわけないもんねっ」


 帰らねば、と神はすぐさま神社に向かって走っていった。


「お嬢は知っていたんじゃないのか? 祭だということを」

「まさか。ボクは誰かに憑りついていることには気付いただけさ。ボクだってそれなりには生きているけれど、相手はボク以上に長く生きているしかも神様だよ? あの子の演技力も大したもんだけど義姉様だって気付かなかったんだ。出し抜かれて義姉様、相当機嫌悪いだろうなぁ……」


 天は人身御供か。

 自分と同じく元人間とはいえ、綺羅々の暴力に耐えられる極めて貴重なドM要員だ。

 サンドバックにはうってつけである。

 そう思いながら煉は彼をレイキ会本部に放り込んだら、こちらに被害が及ばない内に逃げようと心に決めて天を背負うと紫月と別れた。

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