第55話
「大河ではない君と、話すことなんて何もありませんよ。何なら、その正体を暴いて調伏しましょうか?」
札を手に、晴明は大河の姿をした相手を睨み付ける。
恐らくこの禍々しい気は普通レベルではない。
神様レベルと言っていいほどだ。
いささか……否、かなり分が悪い。
神様を相手にするのならば、前もってしっかりと準備をしなければならない。
現代の日ノ国に生まれた晴明は、必要なものも手順も知識として一通り知っているが、一度たりとも神様を調伏したことがないのだ。
現代のこの国ではもう需要のない術法。
「”人”よりも多少、霊力がある程度の人間ごときが俺を調伏すると?」
と、相手は鼻で笑った。
「えぇ。大河の格好なんて後味が悪くなるのでやめてくれるといいんですけれど。覚悟してくださいね、神サマ」
何より長く生きる神々からすれば人間の命など一瞬だ。
それでも人間は抗わずにはいられない。
何故ならば神々と人間とでは考え方も生きる年月も違う。
だからこそ、”人”は”人”なりに生きられる道を模索するのだ。
神々に定められているだろう道は別に。
「元より、望まれなかった命。だからこそ、安倍晴明の名を頂けたからこそ私は今、ここに在るのです」
「愚かだな。そして、哀れだ。元より望まれない命なのであれば、生まれなければよかったものを」
彼の言うことは正しい。
何度、自分でも思ったことか。
生まれなければよかった、死んでしまいたかった、と。
一方で、自分が何故、死ななければならないとも憤っていた。
そして、自分は自分以外の誰かに求められた。
ほんの一かけらの望みであったかもしれない。
晴明は記憶にある限りの過去を思い出す。
物心ついた時にはすでに自分の父親であろう男の姿はなく、次から次へと男をとっかえひっかえしては気に入らないことがあれば新しい男と一緒になって幼い自分に手を挙げて己を保とうとしていたのだろうと思われる母親。
恨みがないのかと問われ、ないと答えれば嘘になるだろうけれど、それでも今、自分はこの場所にできる限り生きている。
「大河の姿をとる君の名は、ハデス。そうですよね?」
答えはないだろう。
神々にとって人の付けた名など記号に過ぎないのだから。
大河の姿をしたモノは、嗤う。
「あぁ。そうだとも。人ごときが付けた名だ」
応じた。
たとえ仮の名といえども応じればそれは弱みだ。
「一体何が目的でこの国に?」
「それを聞いてなんとする?」
「よその国の神様は、早々に帰ってくれるとありがたいんですけれどね。そうでないならば、私が調伏します」
目の前にいる彼がカイルの追っているハデスであっても関係ない。
今ここにいて対峙しているのは晴明しかいないのだ。
自分の持つ限りの陰陽師としての知識と、霊力を総動員し、たとえ刺し違えることになったとしても安倍晴明の名を継いだ自分が今できる限りハデスの凶行を止める。
「名もなきちっぽけな人よ。貴様に俺は調伏どころか、手出しなどできぬ。何故ならば。何故ならば、貴様はすでに我に囚われているのだからな」
ぐにゃりと視界が歪む。
「! これは……!」
いつの間にか……いや、ハデスが一歩、この部屋に入った瞬間に結界が食い破られたのだ。
もはや自分の結界の中ではない。
「くっ……」
晴明は慌てて、結界を張りなおそうと札を袖にしまい、すぐさま印を切る。
「もう遅い。その魂、俺が喰らってやろう」
大河ではない低い声。
あと少しで印を切り終える―――そこで、晴明の意識は途切れたのであった。
****
「で? 何を話してきたのかなぁ? 二人とも」
カイルと大河は神社に戻る。
とはいえ、大河は少々用事を済ませる為、儀園神社の階段下での待ち合わせということだったが。
カイルとしては大して待ってはいなかった。
そんな二人を待っていたのは、正座つきの神からの説教だった。
正座は大河にとっては慣れたものではあるが、一方のカイルはすでに足が痺れて動けない状態である。
「何って言われてもよ。これからどーするよ、的な」
「甘い! そんなことでパパは納得しないからね! ほら、吐きなよ」
「うぐっ、テメッ……!」
神は痺れているカイルの足を、容赦なくつつく。
「やめろって言ってんだろ! この、クソ狐!! ぎぃやぁぁあああああ!!」
あまりの痛みにカイルは床に倒れこんだ。
カイルを成敗した神は、今度は大人しく涼しい顔で正座をしている大河にターゲットを変えた。
「大河クゥン?」
「菓子を奢ってもらっただけです。パパ上。これはお土産です」
あの喫茶店は素晴らしかった、と大河はお土産にもらってきた和菓子のセットを神に差し出した。
引き出しを一つひとつ開けていけば、金平糖のような小さなお菓子から、わらび餅のようなお菓子、団子までも入っている。
「わぁい! パパうれしーなぁ! ……じゃなくて! 何を話してたか言えって言ってるでしょ!? 大河クン、ゴキちゃんとケムケム、召喚するよ!?」
それは嫌だ。
心の底からお断りしたい。
だが内容が内容なだけに口を開くこともできないし、あながち先程の説明で間違いではない。
こんな時に限って、カイルは足の痺れを散々、神につつかれたせいで使い物にもならない。
さて、どうしたものか。
「ほーらほーら、召喚されたくなかったら、大人しく……!」
大河に詰め寄ろうとしていた神は大きく後ろに飛び退った。
さっきまで神がいた場所には穴が空いている。
「テメッ、よくもやってくれやがったなコラ」
「もうっ危ないじゃないカイルくん!」
「甘いもの食いに行っただけだって言ってんだろが。話といやぁ、晴明のヤローがテメーの悪口散々言ってただけだ。要は、オレらは愚痴られただけだっつーの」
疑わしい。
神は二人に目を向ける。
「そいつの言っていることは本当ですよ、パパ上。これでもかというほどボロクソに言っていました」
しばし、考えて神は
「分かった。そういうことにしておいてあげる」
と言葉を返した。
そしてカイルと大河に、今日の夕食は早めにということを伝えると部屋を出て行ったのであった。
彼の姿が完全に消えてから、カイルと大河は大きく溜息をついた。
「……まったく。また畳を新調、か」
「仕方ねェだろ。金が入ったら畳代出すからよ」
大河はそういうことならばと畳についてはもう言うことをやめた。
時計を見れば、もう夕方だ。
「にしても、このお守り、どーしろと?」
「手首にでもつけておけ。奴のことは心底大嫌いだが、お守りや札に関しては信頼してやってもいい」
言いながら二人は台所へと向かったのだった。
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