第53話

 境内で互いに向き合う形で睨み合う神と、涼やかな表情を崩さない晴明。

 祭は神の後ろで。

 大河とカイルは晴明の後ろでその勝負の行方を見守ることになった。


「最高級のおあげをお土産に持たせると言われても、二人を見送ることなんてしないよ! 狐術―――疾風!」


 風の力が晴明に向かっていくが、晴明は慌てることなく、しかし素早く指で印を結んで言霊を口にする。


「安倍流陰陽術、相克―――桔梗紋」


 神の狐術で生み出された風は、晴明が結んだ印と言霊によって相殺されて消えた。

 続けざまに晴明は袖から数枚の符を投げた。


「安倍流陰陽術、符札―――式鼠」


 言霊を紡げば、数枚の符が変化しあおげを咥えた鼠が数匹、神と祭の脇を通り抜けて家屋の中へと走り去っていった。

 追いかけたい気持ちを神は押し殺し、勝ち誇ったような顔で晴明を見据えた。


「ふ、フンっ。あんな偽物を私が追いかけるとでも……」

「待って~! 鼠さんっ。おあげはボクのなんだからねっ」

「ま、祭ちゅわん!? それは偽物っ」


 けれど、体はうずうずと逃げる鼠を追いかけたくて仕方がない。

 自分は猫ではない。

 おあげを口にし逃げていく鼠など、偽物だと頭では分かっていても。

 それでも抗えない。


「っ……晴明、パパ達はこれが負けだなんて認めないからねっ。絶対、この借りは返してやるんだからね~!!」


 叫びながら、鼠が咥えているおあげを追いかけて走っていった祭を神は追いかけていった。

 その後ろ姿をにこやかな表情で、晴明は手を振ってカイル達を振り返る。


「さ、邪魔者は消えました。今の内にお茶しに行きましょう。もう個室で予約、取ってるので。あぁ、お金のことなら気にしないでください。私の奢りですから」


 そんな流れでカイルと大河は結局、神達を放置して晴明の用事とやらを聞くために彼の後をついていったのであった。

 儀園神社から少し歩いた場所に、その店はあった。


「で、俺達をこんな所まで連れてきて、用事とは何だ」


 しっかり、出された最高級品のお茶と和菓子をいただき、大河はやっと本来の目的を思い出したとばかりに晴明に問う。


「美味しいでしょう? お茶も和菓子も最高級品を取り扱っていますからね」

「うむ。美味い……じゃなくてだな」


 晴明曰く、この店の主人とは顔なじみであるとのこと。

 好きなお茶や和菓子を好きなだけ。

 そう言われると甘味に目がない龍神―――大河も用事などよりお茶や和菓子を先にいただくというもの。


「では次は、季節の和菓子セットに水無月、宇治抹茶あんみつ、宇治抹茶どら焼きに八つ橋、葛菓子、落雁と……」

「どんだけ食うつもりなんだよ」


 ひらすらお茶に和菓子を楽しむ大河に、カイルは特別に出してもらったコーヒーを堪能しながらも突っ込みを入れる。

 この店に晴明と訪れて一時間。

 彼の用事という話題は一切なく、ただ大河がこの店のメニューの多さに感動し、ひたすら甘味を食べ始めてけっこうな時間が経っている。

 カイルは大河の甘味への食欲に、いっそのことメニューの全て注文してしまえと口に出した。


「む。貴様の言うことも確かだ。では全部頼んでくれ」

「ってオレが注文するのかよ!」


 その上、お茶のおかわりも要求。

 自分で注文しろと言えば、カイルが適任だとあっさりと言い返される。

 どこの注文の多いわがまま姫だ。


「次に姫などと言ったら、その首を落としてやる。それで、貴様は注文するのか? しないのか? するのだろう? しないとは言わさんぞ?」

「……分かった。わーったって、注文するから。個室とはいえ刀抜くなよ」


 今にもカイルの首を落とさんばかりだった大河は、カイルが店に注文を出すとほくほくとした雰囲気で注文の品が来るのを待っている。

 和菓子には特に目がないらしい。

 それにしては食べすぎだと思わなくもないが、あえて口に出さないでおく。


「まぁまぁ。大河は大体こんな感じです。カイルも食べなきゃ損ですよ? こんな高級和菓子なんて、アホ狐の所にいたら食べられるか食べられないかと問われれば十中八九食べられません。あ、ほら。大河。注文の品が来ましたよ」


 所狭しと机の上にズラリ、和菓子とお茶。

 大河の今、目の前の目的は晴明の用事を聞き出すことよりも、晴明の紹介によるこの店のお茶と和菓子を制覇することだ。

 カイルはコーヒーをすすりながら晴明に目を走らせる。

 一体、彼の用事とは何なのか。

 自分よりも晴明よりも長生きをしているというらしい龍神は、高級な茶と和菓子に目を奪われた挙句に胃袋までもがっちりと掴まれている。


「本当、テメーどんな用事があってオレらを連れ出したんだよ。オイ大河。んな幸せそうな顔して菓子と茶をきっちりいただいてんじゃねェよ」

「いや、目的は分かっているぞ。……うむ、この菓子もまた絶品。茶も最高級とあって深く味わい深い。こんな隠れた名店があったとは、俺のチェックもまだまだ甘いな」


 ダメだコイツ、とカイルは溜息をついた。


「まぁまぁカイル。そんなに慌てないでください。ほら、このわらび餅は美味しいですよ? 口に入れた瞬間にきなこのいい匂いが広がって、わらび餅と一緒に溶けていくんですから」


 いつになれば彼の用事とやらが口から出てくるのか。

 そう思いながらもカイルは勧められたわらび餅を口に入れる。

 柔らかなきなこの匂い。

 相まって口の中でわらび餅が溶けていく。

 チョコレートなんかよりも柔らかいその口当たりのよさに、頬が落ちるとはこのことかとカイルはもう一口、と口に含む。


「おい。俺の分も残しておけ」


 どうやらわらび餅も大河の好みらしい。

 そんなこんなで、もう二、三度おかわりを注文(ほとんど全て大河の胃に収まった)し最後の和菓子が揃った所で大河は整えらえた庭を眺めながら、まだ茶と和菓子を楽しんでいる。

 完全に自分の世界である。


「どうです? 大河。私の家に来てくれるのなら、ここの和菓子とお茶、毎日でも提供しますよ?」

「何? それは本当か? いやだが……って違うだろう。俺達は用事があるからと貴様に連れ出されたのだろう!?」


 お茶と和菓子の美味しさに満足していた彼であったが、ようやく当初の目的を思い出したらしい。

 これだけ飲み食いしていおいて……いや、これだけ美味しいお菓子やお茶を飲み食いしていたからこそ目的が遠く彼方へと去ってしまっていたらしい。


「貢物を貰うのは神として当然の礼儀だからな。で、今の今まで忘れていたのだが晴明。貴様は一体どんな用事があって俺達だけをわざわざこんな素晴らしい茶屋の個室に来たのだ」

「よっぽどこの店、気に入ったみたいですね。大河。私とデートする度にこの店に連れてきますよ?」

「口説き文句はいいから、とっとと用事言えよ」


 話が一向に進まない。

 と、カイルは大河と二人の世界に入ろうとする晴明に声をかける。

 対して彼は、本当に分かっているのか分かっていないのか、しかし突然、居住まいを正して真剣な表情となった。

 ゆったりとした気分だったカイルと大河も、彼の雰囲気に居住まいを正す。


「実はですね―――」


 そうして晴明は口を開いたのであった。

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